ビッグ・リボウスキ_観客を困惑させるパロディ【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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コメディ
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(1998年 アメリカ)
ふざけているつもりでもアメリカ文学史上の古典と同等レベルのものを作り出してみせるコーエン兄弟の構成力には恐れ入ったし、豪華俳優陣を使ったキャラクター劇としても楽しめたので、非常にハイレベルな作品であると言えます。ただし、作品の完成度がもはやパロディの域を越えてしまっているという点が、本作の評価を困難にしています。出来は良いのだが、企画の一義的な目的から振り返って、これが本当に正しい在り方なんだろうかと。 そんな迷いがありつつも、全体的には楽しめたし、コーエン兄弟にしか出せない風格も持っているので、個人的に好きな作品ではあります。

© 1998 Gramercy Pictures

あらすじ

LAいちのグータラ男・デュード(本名ジェフリー・リボウスキ)の元に、彼を同姓同名の大富豪ジェフリー・リボウスキと間違えた借金取りがやってくる。借金取りに玄関マットを台無しにされたデュードはリボウスキに弁償を要求しに行くが、それがきっかけでリボウスキの妻・バニー誘拐事件に巻き込まれる。

詳細なあらすじ ※ネタバレあり

本作は登場人物が多い上に話が二転三転して非常に分かりづらいため、細かいプロットを整理しておきます。完全にネタバレしているので、未見の方は読まれないようにしてください。

  • 同姓同名の大富豪と人違いをされてジェフリー・リボウスキことデュードが借金取りに自宅を荒らされる。
  • デュードは本来のターゲットであるジェフリー・リボウスキの元に押しかけ、借金取りに小便をかけられた玄関の敷物の弁償をして欲しいと言うが、リボウスキには取り合ってもらえなかった。
  • そんな折、リボウスキの妻・バニーが誘拐され100万ドルの身代金が要求される。
  • リボウスキはデュードに高額報酬と引き換えに身代金の引き渡し現場へ行くことを依頼。どうせ金に困ったバニーの狂言だろうと高を括ったデュードは簡単な仕事だと考えてこれを引き受ける。
  • デュードは自分の車で身代金の引き渡し場所へと向かうが、強引に参加してきたウォルターの発案により、金ではなく汚れ物の入ったバッグを犯人に引き渡す。
  • その後デュードとウォルターは馴染みのボウリング場へと戻ったが、二人がボウリングをしているうちに身代金の100万ドルを積んだ車を盗まれる。
  • デュードはリボウスキの娘・モードの元へと連れて来られ、身代金として用意された100万ドルはリボウスキ個人の金ではなく、財団の資金から引き出されたものなので、犯人からこれを取り戻して来て欲しいと依頼される。この時点では、デュードは犯人に100万ドルを渡したものと信じられている。
  • モードに会った直後、デュードはリボウスキから犯人に身代金を渡していないことを問い詰められる。またリボウスキの元に届けられた切断されたバニーの足の指を見せられ、これが狂言誘拐ではないことを知る。
  • リボウスキと誘拐犯の両方を怒らせ、加えてモードにも安請負いをしてしまったデュードは、何としてでも100万ドルを取り戻さねばならない状況へと追い込まれる。
  • 後日、警察によってデュードの車が発見されたが、100万ドル入りのスーツケースは無くなっていた。
  • デュードの車から出てきた答案用紙から近所の高校生・ラリーが車の盗難犯であり、100万ドルを持っているのもラリーだと思われる。デュードとウォルターはラリーの家を訪れるが、ウォルターの早まった行動によって金のありかをラリーに吐かせることには失敗する。
  • 帰宅したデュードをモードが待っており、資産を持っているのはモードと財団であり、リボウスキ自身は文無しであることを聞かされる。
  • そこから、身代金という名目でリボウスキからデュードに渡されたスーツケースにはそもそも金が入っておらず、リボウスキは財団から100万ドルを引き出して懐に入れたという仮説が浮かび上がる。リボウスキは浪費家で厄介者だったバニーを葬れて、しかも100万ドルも手に入るという一石二鳥を目論んでおり、ネコババはデュードに押し付ける魂胆だったのではないかと。
  • デュードとウォルターが真相を確かめにリボウスキ宅へと向かうと、そこにはバニーの車が停まっていた。バニーは家に戻ってきており、これにより、誘拐は狂言だったことが判明する。なお、リボウスキに送り付けられた小指はバニーのものではなく、犯人グループの女性のものだった。
  • 身代金が欲しくて自らの誘拐事件をでっち上げたバニーと、バニーへの身代金を払ったことにしてネコババしたリボウスキのウソに巻き込まれて散々な目に遭ったデュードは、またグータラな日常へと戻ることにする。
  • そんな折、狂言誘拐の実行犯であるウーリがデュードの前に現れ、100万ドルをよこせと言ってくる。人質のバニーが家に戻った今、なぜ身代金をよこせという話になるのかとデュードは呆れるが、ウーリは本気で襲い掛かってきたため、デュードとウォルターは応戦する。
  • ウーリの一件の際に、その場に居たドニーが心臓発作で死亡。身寄りのないドニーをデュードとウォルターが葬るが、ウォルターが散骨に失敗し、デュードは呆れ果てる。

スタッフ

製作・監督・脚本はコーエン兄弟

泣く子も黙る現代アメリカ映画界の最高峰にいる兄弟。20代で製作したデビュー作『ブラッド・シンプル』(1984年)がいきなりの高評価でインディペンデント・スピリッツ賞の監督賞を受賞し、若くして大手スタジオの20世紀フォックスと契約。1991年の『バートン・フィンク』がカンヌ国際映画祭で主要三部門(パルム・ドール、監督賞、男優賞)を制覇し、1996年の『ファーゴ』ではアカデミー脚本賞、カンヌ国際映画祭監督賞受賞というとんでもない勢いの中で放ったのが本作でした。

兄・ジョエルが監督、弟・イーサンがプロデューサーとしてクレジットされることが多いのですが、実際には二人の間での役割分担はないようです。

スタッフはコーエン兄弟の馴染みのチーム

  • 撮影/ロジャー・ディーキンス:アカデミー撮影賞に13度ノミネート、『ブレードランナー2049』で受賞という、現在ではトップクラスの評価を誇る名撮影監督。70年代に出身のイギリスで撮影監督としてのキャリアをスタートさせ、1990年よりアメリカ映画を手掛けるようになり、1991年の『バートン・フィンク』以降ほとんどすべてのコーエン監督作品の撮影を手掛けています。
  • 編集/トリシア・クック:イーサン・コーエンの奥さん。1990年に編集助手として『ミラーズ・クロッシング』に参加したご縁で兄弟と知り合いになり、1993年にイーサンと結婚。以降、ほとんどのコーエン監督作品を手掛けています。なお、彼女の他に本作の編集としてクレジットされているロデリック・シェインズとは、コーエン兄弟の変名です。
  • 音楽/カーター・バーウェル:1984年の『ブラッド・シンプル』以来、すべてのコーエン兄弟作品の音楽を担当しています。インディーズ監督との相性が良く、デヴィッド・O・ラッセル監督の『スリー・キングス』、スパイク・ジョーンズ監督の『マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』、マーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』なども手掛けています。90年代後半から2000年代前半にかけてメジャー映画に積極的に参加していた時期があり、『ボーン・アイデンティティ』の作曲も担当していたのですが、製作期間が延びたために録音作業を完了できずにジョン・パウエルにバトンタッチ。同作のクレジットに名を残しているのは後任のパウエルのみなのですが、パウエルはカーター・バーウェルのアプローチを引き継いだということなので、あの特徴的なメインテーマはバーウェルの作品としても聞いてあげて欲しいところです。

登場人物

デュードと仲間達

  • ジェフリー・”デュード”・リボウスキ(ジェフ・ブリッジス):LAいちのグータラ人間。大金持ちのリボウスキと間違えられて借金取りに襲われた際に、大事にしていた玄関マットに小便をされたため、その弁償をリボウスキに要求しに行った。学生時代は反戦運動に参加したり、ベトナム戦争では良心的兵役拒否をしたりといった根っからのリベラル気質。その後、誘拐されたバニー・リボウスキの身代金引き渡しをリボウスキから依頼されたことから、一件に巻き込まれた。
  • セオドア・ドナルド・”ドニー”・カラッポス(スティーヴ・ブシェミ):デュードのボウリング仲間。常にデュードとウォルターに発言を遮られ、何を言っても聞いてもらえない。
  • ウォルター・ソブチャック(ジョン・グッドマン):デユードのボウリング仲間。銃を好み、友人がボウリングでファールをした程度でも銃を取り出すほどだが、専ら脅しのために携帯しており発砲はしない。保守派っぽい言動をとるものの、「中国人という表現は不適切だ。アジア系アメリカ人と呼べ」と言うなど、ポリコレにはなぜか配慮している。ユダヤ人ではないが、ユダヤ人の前妻の影響でユダヤ教に改宗している。法律や判例にやたら詳しい。『地獄の黙示録』の脚本や『コナン・ザ・グレート』の監督として有名であり、また反共主義者でもあるジョン・ミリアスをモデルにしたと思われるキャラクターで、銃へのこだわりや外見が当人と酷似している。
ウォルター(ジョン・グッドマン)

ジョン・ミリアス御大
 © 2008 Getty Images

大富豪リボウスキと関係者達

  • ジェフリー・リボウスキ(デヴィッド・ハドルストン):実業家で慈善事業にも力を入れているが、社会的名声の割に本人は短気でドケチ。人を見下した態度をとり、玄関マットの弁償を求めてきたデュードを激しい口調で追い返した。朝鮮戦争で負傷し、車いす生活を送っている。立派なことを言う割には、孫ほども歳が離れており、どう見ても金目当てでしかないバニーを妻にしているゲスな面がある。
  • バニー・リボウスキ(タラ・リード):10代後半と推測される金髪美人で、リボウスキの妻。元はミネソタの田舎から1年前に家出してLAに出てきた元ポルノ女優である。彼女の借金が原因でデュードが借金取りに襲われた。
  • モード・リボウスキ(ジュリアン・ムーア):リボウスキの亡くなった前妻との間にできた娘で、リボウスキ財団の理事。前衛芸術家でもあり、裸で宙づりにされながら筆を振り回してキャンバスに絵の具を垂らすなど、常人には理解できないスタイルの創作活動を行う。バニーの身代金の100万ドルが財団の運営資金から引き出されたことに気付き、デュードにこの100万ドルを取り戻すことを依頼する。
  • ブラント(フィリップ・シーモア・ホフマン):リボウスキの秘書。リボウスキを心から慕っている様子である。

バニーの関係者たち

  • ウーリ・コンコル(ピーター・ストーメア):バニー誘拐事件の主犯。元ポルノ俳優でバニーとの共演経験がある。それ以前にはテクノミュージシャンをしていたドイツ人で、そもそもはモードの友人だった関係からバニーと知り合いになった。
  • ジャッキー・トリホーン(ベン・ギャザラ):ポルノ映画のプロデューサーで闇金業も行っている。冒頭でデュードの元へ借金取りを差し向けた張本人で、多額の借金をしたまま姿を消したバニーを探している。

その他

  • ラリー・セラーズ(ジェシー・フラナガン):地元の高校生で、ウォルターが大好きなテレビドラマの脚本家の息子。盗まれたデュードの車からラリーの答案用紙が出てきたことから、デュードとウォルターは彼が車の盗難犯で100万ドルも彼が持っていると考えて家を訪ねた。
  • ジーザス・クインターナ(ジョン・タトゥーロ):ボウリング大会でのデュード達の対戦相手。性犯罪者で服役経験がある。
  • ザ・ストレンジャー(サム・エリオット):馴染みのボウリング場で途方に暮れるデュードの隣に現れ、「熊を食うこともあれば、熊に食われちまうこともあるってな」と、深いんだか何だかよく分からない言葉を残す。本作のナレーターでもある。

感想

ハードボイルドの古典の翻案

コーエン兄弟の脚本は基本的にはオリジナル作品なのですが、既存の文学からモチーフを借用することが多く、本作ではレイモンド・チャンドラーの1939年のハードボイルド小説『大いなる眠り』が下敷きにされています。同作の原題は”The Big Sleep”であり、本作のタイトル”The Big Lebowski”はこれに通じているというわけです。

『大いなる眠り』はハードボイルド小説史上の古典として高く評価される一方で、筋書きがあまりに錯綜していて矛盾も多いとされており、本作は古典のそうしたおかしな部分を換骨奪胎してコメディにしてしまった作品でした。日本で言えば、『名探偵コナン』が現実的にありえないトリックや犯人側のめちゃくちゃな動機で話が進んでいっても、「まぁそういうもんですから」みたいな感じでお目こぼしを受けているので、その不合理な部分をふざけたキャラクターにやらせてコメディにしてみましたというところでしょうか。余計に分かりづらくなりましたか。

コーエン兄弟は2010年の『トゥルー・グリッド』でも本作と同じアプローチをとっています。西部劇の名作として名高いものの、実はおかしな部分も多い『勇気ある追跡』(1969年)をコーエン兄弟なりのアプローチで作り直しました。そちらもまた、ジェフ・ブリッジスが主演でしたね。いつかレビューしたいと思います。

出来が良すぎてパロディになっていない

ハードボイルド小説の「そんなわけないだろ」と言いたくなるほど込み入った話をパロディにした作品なので、おそらく意図的に話が複雑にされています。上記のあらすじにも書いた通り複雑怪奇な話なのですが、これだけの内容が2時間未満の尺に収められており、しかも駆け足感もない。それどころか全体にゆったりとした空気すら感じさせられるほどで、コーエン兄弟の要約力や構成力の高さには舌を巻きました。

他方で、ハードボイルド作品の展開を「ありえねぇ~」と言って笑うという、当企画の一義的な目的は達成されていないように感じました。話があまりに分かりづらすぎて理解するのにいっぱいいっぱいで、笑う暇もないような状況が出来上がっているのです。また、なまじ話がきちんと作り込まれており、これはこれで額面通りに楽しめてしまえるために、果たしてパロディとして機能しているのだろうかという点も引っかかりました。コーエン兄弟から「今の笑いどころですよ」と言われても、「え?どこが?」と言いたくなるような映画となっているのです。

これについて興味深い記事がありました。本作が公開された1998年の古いインタビュー記事なのですが、『ファーゴ』がサスペンス映画として評価されてアカデミー脚本賞を受賞したことに触れ、イーサン・コーエンは以下のように言っています。

『ファーゴ』みたいな映画が成功するなんて、世の中どうなってるんだかさっぱりわからないよ。

『プレミア日本版』1998年11月号

強い訛りで話す主人公(日本で言えばズーズー弁)、頭の悪い犯人、ふざけているとしか思えない殺害場面と、恐らく『ファーゴ』はコメディのつもりで撮られているのですが、なぜか真っ当なサスペンス映画の範疇で理解され、評価されたことが意外だったのでしょう。

この通り、コーエン兄弟の映画は作り手の意図するところとは別の部分で評価されているような気がします。そしてその原因は、もうちょっとユルく作ればいいのに、パロディ元と同等のハイレベルな物語を作ってしまうために、見ている者にとっては本気で作られた映画なのか、笑わせるつもりで作られた映画なのかの区別が付かないという点にあります。

キャラクター劇としては成功している

パロディとしては成功していないものの、コメディ映画としては楽しめました。おかしなキャラクターが入り乱れる物語なのですが、一人一人のキャラがしっかりと立っているし、実力のある俳優達が楽しみながら演じていることが伝わってくるので、作り手が意図したとおりに楽しくなっています。

無職でボウリングばかりやっているダメ人間デュードがまともに見えるほど異常なキャラクターばかりで、まともな人間は一人も出てこないのですが、そんな中でもひと際パンチが効いていたのがジョン・グッドマン扮するウォルターでした。すぐにベトナム戦争の話を始めるウザい親父で、場を引っ掻き回しているのに当の本人には足を引っ張っているという認識がなく、失敗すると居直る・不機嫌になる・自分に対する批判の10倍の勢いで他人を怒鳴り返すと本当にめんどくさい野郎なんですが、観客を不快にさせる一歩手前で笑えるキャラになりえています。

ウザい親父と言えばジェフリー・リボウスキも同様で、初対面のデュードに対してとんでもない説教をかまし、本来はデュードの話のはずなのに、要所要所で自分がいかに凄いかを絡ませるというめんどくささが最高でした。リボウスキがブチ切れる場面は面白すぎて巻き戻して二度見てしまったほどです。

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