(2017年 日本)
2021年、東京オリンピック後の新宿歌舞伎町。少年院を出所した新次は、自分を裏切った元子分の裕二に復讐しようとしたが、ボクシングジムで鍛えていた裕二に返り討ちにされた。新次はこれを機に海洋(オーシャン)拳闘クラブに入会するが、そこには健二という年上の男もいた。二人は共に鍛えられながら、ボクサーとして成長していく。
1964年山形県出身。早稲田大学卒業後にテレビ番組制作会社の老舗であるテレビマンユニオンに所属しました。是枝裕和監督は同期だったようです。『アメリカ横断ウルトラクイズ』『世界ウルルン滞在記』『情熱大陸』等に関わり、2012年にテレビマンユニオン代表取締役に就任。門脇麦主演、菅田将暉も出演したサスペンス『二重生活』(2016年)で映画監督デビューし、本作が二作目となります。
1993年大阪府出身。2008年のジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストに残ったことで芸能プロダクションに所属し、2009年の『仮面ライダーW』に桐山漣とダブル主演。同作で知名度を得た後はしばらくアイドル的な仕事が続いたものの、『共食い』(2013年)で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、文芸作品にも出演するようになりました。菅田自身は、文芸作品こそ自分の仕事のホームとして認識しているようです。
とにかく出演作が多いのですが、これは役柄を作り込んでくるタイプではなく、感覚的に役柄を掴み、現場でのアドリブなどで膨らましていけるタイプの俳優だからこそ。
本作では20kgもの体重差のある建二役のヤン・イクチュンに合わせるために、15kgもの増量をして臨んだようです。ボクサー役で体を絞る俳優が多い中、逆に体重を増やしたのはかなりのレアケースだと思います。
1975年韓国出身。21歳で兵役に就いた後に演劇を学び、21世紀に入った頃から俳優としてのキャリアが本格化。自身で主演した初監督作品『息もできない』(2008年)が韓国国内のみならず世界的な評価を受けて数多くの賞を受賞したことから、国際的な映画人となりました。梁英姫監督の『かぞくのくに』(2012年)、西川美和監督の『夢売るふたり』(2012年)、宮藤官九郎監督の『中学生円山』(2013年)と日本映画にも出演しています。
1935年青森県出身。早稲田大学在学中に「チェホフ祭」で第2回「短歌研究」新人賞を受賞。大学中退後にはラジオドラマや映画のシナリオも書くようになり、1967年からは演劇実験室「天井桟敷」を結成して前衛劇活動を展開しました。出演経験のある美輪明宏によると、「あまりにシャイで、人の目を見て話せない男」とのことです。1983年に肝硬変を発症し、その後腹膜炎の併発による敗血症のため死去。享年47歳。葬儀委員長は谷川俊太郎が務めました。
本作の原作『あゝ、荒野』(1966年)は寺山修司唯一の長編小説であり、2011年の蜷川幸雄演出、新宿新次役に嵐の松本潤、バリカン建二役に小出恵介での舞台化を経ての、本作での映画化となります。
原作発行から半世紀以上が経過した作品であるため、当映画版においては設定年代が現代に置き替えられた上で、現在の世相を反映した内容へと変更がなされています。
前後編各2時間半、合計で5時間超という大長編であり、私は二晩に分けて鑑賞するつもりでいたのですが、一晩で一気に見てしまいました。観終わったのは午前3時でしたが一瞬たりとも眠気に襲われることもなく、長尺を感じさせないほどの勢いと熱量のある作品でした。
設定は2021年という近未来に設定されているものの、歌舞伎町という狭く独特な舞台をとることで、原作の書かれた半世紀前の昭和のような泥臭さを出すことに成功しており、この世界を覗くだけでも楽しめました。
そして、主人公達の熱演の凄まじさ。菅田将暉は、テレビだけを見ていると人気タレントの一人のような印象を受けるのですが、本作では役柄になりきるという演技の巧さ、ボクサーらしい体と動きを仕上げてきた役作りの凄さ、全裸でのラブシーンもこなすという思い切りの良さで、彼がアイドル的な人気を前提としない本物の俳優であることが分かります。
対する建二役のヤン・イクチュンは繊細な演技で役柄をモノにしています。建二の原動力は怒りでも虚栄心でもなく、自分からも他人からも否定され、軽んじられ続けてきた自分を今変えねばならないという静かな思いだったりします。こうした対照的なキャラクターを見事な演技と演出で描き切っているので非常に見応えがありました。
加えて、脇役に至るまでが個性的であり、歌舞伎町の最底辺で生きる人々のドラマには大変な魅力がありました。
と、面白いのは面白かったのですが、納得のいかない部分もあまりに多かったので、文句も書いていきます。
上記「登場人物」の項を見ていただければわかる通り、本作の人間関係はかなり込み入っています。この込み入った人間関係が、「どこどこで偶然再会しました」レベルの話で結び付けられてドラマが進んでいくのですが、これがフィクションとは言えさすがにやりすぎのレベルに達していました。
所詮はフィクションなのでリアリティに難癖をつける気なんてさらさらなく、この手の偶然も一つや二つならば気にならなかったのですが、ほとんどすべての展開が偶然で片付けられてしまうことは、さすがにやりすぎでした。
上記に加えて、これだけ大勢のドラマを複雑に織り込んだ割には、オチがついているものがほとんどないという点も気になりました。
本作は親子関係が重要なファクターであり、それらのドラマのキーワードは「赦し」だったように思います。新次も建二も芳子も毒親に育てられ、憎んだところで逃げ出すことはできない血縁という厄介なものに翻弄されており、彼らが親とどう向き合うのかがドラマの大きな方向性だったと思うのですが、驚いたことに、明確な結論を付けたドラマがどれ一つありませんでした。
新次と京子のドラマは、中盤にて「私だって大変だったのよ」と京子が謎の逆ギレをしたところで投げ出されたし、建二と建夫のドラマは建夫の難病でぶった切られたまま建夫が死ぬし、芳子に至ってはセツとニアミスこそすれど再会をしないという、ならばなぜセツなんか登場させたのという状態となっています。
東日本大震災、自殺、介護、貧困といったテーマがかなりでかでかと掲げられた内容なのですが、これらがボクシングという主題にうまく馴染んでいませんでした。
まず、自殺抑止研究会は一体何をしたいのかがよく分かりませんでした。自殺という行為を生きることからの試合放棄としてボクシングの対局に置きたいんだろうなという構図こそ何となく見えたのですが、あの気持ちの悪い研究会は不要だったなと。前編のクライマックスだった自殺フェスなんて、問題意識よりも笑いの方を喚起していたし。
自衛隊がらみのエピソードについては、監督の個人的思想が出過ぎちゃったんじゃないのと思います。国家とか自衛隊が何となく悪くて、そこに対抗しようとするSEALDsみたいな若者達という構図を描きたかったんでしょうが、それとボクシングに一体何の関係があるんだという感じでした。後編のクライマックスでは試合とデモがクロスカットで描かれるのですが、試合に没頭したい私としては、挿入されるデモが邪魔でしかありませんでした。
社会派テーマを掲げることは結構なのですが、ボクシングという本編とどうやって関係させるのかを、もっと緻密にやるべきでした。
時間を感じさせない力強い映画であり、見るべきものが多くありました。ただし、あまりにも風呂敷を広げ過ぎたために畳めていない部分があり、見応えはあって退屈もしないが、見終わった後に多くのモヤモヤが残るという結果に終わっています。