(2024年 アメリカ)
陪審員の男が事件の真犯人だったという驚天動地の法廷ドラマ。まぁとんでもない設定なんだが、円熟のさらに向こう側に行ったイーストウッドの確実な演出力によって、すべての観客に道徳を問う内容となっている。すごく面白かった。
感想
映画史に偉大な足跡を残してきたクリント・イーストウッドの最終作とも言われている本作。
ただし本人がそう明言したわけでもなく、年齢を考えたらこれ以上は無理だよなと周囲が決めつけている状態なので、まぁ酷い話ではあるんだけど。
104歳で新作をカンヌに出展したマノエル・ド・オリヴェイラの例もあり、ド根性でもう一本くらいは撮れるんじゃないだろうか。
本邦ではU-NEXTのみの公開だったので未加入の私は見る機会を逸していたんだけど、Amazonスマイルセールにて、あと1,500円ほど買えばポイントアップというところで本作のBlu-rayが偶然目についたので、ついで買いをした。
まぁ本当に申し訳なくなるような視聴経緯ではあるが、兎にも角にも楽しめましたよ。
仕事にも家庭にも恵まれ、まさに誠実を絵にかいたような男ジャスティン(ニコラス・ホルト)のもとに、陪審員の召喚状が届く。
しち面倒くさい人物紹介に時間をかけることなく、「理想の旦那様ね」のセリフを一つ入れることで、ジャスティンがどういう人間なのかを数秒で説明してしまうイーストウッドの端折りの技術が光る。
こうした思いきりはベテランならではのものだろう。
「面倒くさいなぁ」と言いながらも、模範市民ジャスティンはちゃんと裁判所へ向かう。
ジャスティンが陪審員を務めるのは、恋人を殺した件で第一級殺人罪に問われている男の裁判なんだが、審議がすすむうち、「俺もそこにいたかも」「あの晩、車で鹿をはねたと思っていたけど、実はこの事件の被害者だったのでは?」と、大変なことに気づいてしまう。
本作は、陪審員として容疑者を裁いている男が、実は真犯人だったという驚天動地の法廷ドラマなのだ。
映画130年の歴史の中で、サスペンスの型はおおよそ出きったと思っていたが、まさかこのようなアイデアが出てくるものかと心底驚いた(実は、どんな話かすらよく知らずに見ていた笑)。
当然、ジャスティンは刑務所になんて入りたくない。ジャスティンの保身のみを考えれば、目の前の容疑者に罪をかぶってもらうのが一番だ。
首には刺青が入ってるし、容疑者自ら「人生で良からぬこともしてきた」と認めている。
この件ではシロとはいえ、ワルはワルなんだから刑務所に入れちゃってもいいんじゃないかと、この状況に置かれれば誰だって都合よく算段し始めることだろう。
実際、ジャスティンがこの件を話した2名(奥さんと親しい弁護士)は、彼に自首を勧めない。
もしもどちらかが正義の道を説いていれば、あるいはジャスティンは罪の告白をしたかもしれないが、黙っておけばいいんだよというアドバイスしか聞かされないものだから、隠蔽方面に傾いてしまう。
ま、誰だってそうするよね。
だがジャスティンは根っからの善人なので、冤罪により無実の男の人生が奪われることも忍びない。
なので「自分も捕まらない、容疑者も釈放される」というゴール設定をして、その方向で動き始める。被害者感情はいったん度外視のようだ。
陪審団が大きく有罪判決に傾く中、ジャスティンだけは「けど証拠はありませんよね」と無罪の可能性を主張しはじめる。
「何をグダグダ言ってるんだ」「あいつが犯人に決まってるだろ」「ちゃちゃっと評決を出して早く帰りたいんだけど」と陪審内でも非難殺到なのだが、それでもジャスティンは「容疑者が有罪とは言い切れない」と主張する。
この辺りは、もろに『12人の怒れる男』(1957年)でしたな。
かくして孤立無援で容疑者を擁護したジャスティンだったが、そのうちに何人かの陪審員も心変わりを始める。
「警察の捜査が杜撰すぎる。決めつけがあったのでは?」と言う元刑事、「被害者の骨折は暴行によるものではないかも」と主張する医大生、果ては「私は警察24時のファンなの。これは冤罪のパターンよ」と言い出すおばちゃんなどなど、”事情通”揃いの陪審団。
なぜここまで専門家揃いなんだよ、てか裁判で提示された証拠ではなく自説で判断するのはルール違反だろとか、いろいろと疑問は沸いてくる。
ハッキリ言うけど、この脚本はプロットホールだらけだ。
陪審員に選ばれたジャスティンがたまたま真犯人だったという設定だって、かなりの無理筋だ。
本作のオリジナル脚本を書いたジョナサン・エイブラムスという人物の映画界での経歴を調べると、スタローン×シュワルツェネッガーの『大脱出』(2013年)でアソシエイトプロデューサーを務めた程度の実績しかない。
『大脱出』はアクションとしては面白かったが、緻密さがあったわけではなかった。
本作は、そこまで腕前のある脚本家が書いた作品でもないのだが、しかし不備を不備とも感じさせないあたりに、イーストウッド演出のすごみがある。
「映画は面白ければ筋が通る」が私の持論なんだが、本作はまさにそれを地で行く出来となっている。
細かい点などどうでもよくなる、あるいは好意的に解釈したくなるほど、映画が面白いのだ。
それは、善悪の揺らぎというものが、実に共感しやすい形で提示されているからだろう。
前述した通り、「自分は刑務所に入りたくない。けど無実と知りながら目の前の男を刑務所送りにするのも忍びない」というジャスティンの心境は、多くの観客が共有できるものだ。
そしてもう一人の主人公ともいえるフェイス検事(トニ・コレット)もまた、善悪の境界線上にいる。
検事長選を控えた彼女は、この裁判で有罪判決を勝ち取れば、検事長就任もほぼ確という立場にある。
彼女は被告を刑務所送りにすべく法廷では舌鋒鋭く切り込むのだが、陪審団がなかなか評決を出さないことからいろいろ気になり始め、やがて無罪の可能性を感じ取り始める。
もちろん検察官は最終ジャッジに参加することはないので、これが冤罪だったところで彼女の責任ではないし、彼女のキャリアを考えると、この事件はすんなり有罪になってくれた方がいいに決まっている。
なのだが、無実の男に罪を背負わせていいのかという純粋な正義感から、損得で言えば損に触れることが気になって仕方なくなるのである。
フェイス検事とジェスティンに共通するのは、容疑者一人が犠牲になってくれれば自己保身が保てることと、周囲の状況はおおよそ有罪の方向に傾いていて、こちらが行動を起こさなければ保身が達成できそうということだ。
要は、何もしなければ安泰なのだ。
あの男が犯人に決まってるでしょ→むむ、何かおかしい→私やっちゃったかも→放っておいた方がいいんだけど、どうしよう・・・
こうした揺らぎが分かりやすい形で提示されており、観客に対して「あなたならどうしますか?」と問いかける内容になっているので、それは面白いに決まっているのだ。
やはりイーストウッドの演出力は凄いの一言だ。


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