ロスト・ハイウェイ_交通規則を律儀に守るマフィア【7点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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得体の知れない脅威
得体の知れない脅威

(1997年 アメリカ)
デヴィッド・リンチ監督の代表作。一見すると出鱈目なようでいて実は整合性のとれたストーリー、複雑怪奇なストーリーを言葉ではなく映像で見せきるリンチの演出力、そして捻じれたユーモアと、全編見せ場だらけの大怪作として仕上がっている。

感想

10代の頃に見て、サッパリ意味の分からなかった映画。

その後は一切見返さずに来たんだけど、この度、ちょいと気になることがあったので、中古Blu-rayを購入して数十年ぶりの鑑賞となった。

デヴィッド・リンチ監督作中でも特に難解とされてきた作品だが、2006年に突如としてリンチが「O・J・シンプソン事件に着想を得たものだ」とネタを明かし、世界中が深く深く納得した。

O・J・シンプソンとは、1970年代のアメフトのスター選手であり(後に殿堂入り)、俳優としても成功を収めた。

それが有名人のゲスト出演というレベルではなく、『タワーリング・インフェルノ』(1975年)や『カプリコン・1』(1978年)といった大作に主要キャストの一人としてガッツリと出演しており、ジョージ・ケネディと並び、70年代パニック映画を象徴する顔だった。

二人は『裸の銃を持つ男』(1988年)シリーズで共演することとなるのだが、シンプソン扮するノードバーグ刑事の屈託のない笑顔を見れば、誰しもが「きっとこの人は底抜けの良い人に違いない」と直感したはず。

そんなシンプソンであるが、1994年6月に元妻とその友人の第一級殺人容疑者として捜査線上にあがったうえ、逮捕当日に繰り広げた派手なカーチェイスが生中継され、全米メディアをにぎわせた。

『ロスト・ハイウェイ』というタイトルは、シンプソン逮捕時のカーチェイスに由来するものと思われる。

DNA鑑定の結果、誰の目にもクロと言える状態となったのだが、対するシンプソンはドリームチームと呼ばれる大弁護団を結成。

弁護団は、後に「チューバッカ弁論」と呼ばれてネットミーム化する論点ずらしで諸々煙に巻き、大方クロと思われた裁判を逆転無罪にまで持ち込んだ。

この顛末から「弁護士の正義って何だろう」という社会的テーマが浮かびあがってきて製作されたのが、キアヌ・リーブスとアル・パチーノが共演した『ディアボロス/悪魔の扉』(1997年)だったりする。

一方リンチの方はというと、シンプソンの素行を眺めていて、とても妻を殺した人間には見えないという点に興味を持った。

シンプソンの脳内では、妻を殺さなかった自分というものが出来上がっているんじゃないかと考え、殺人犯の記憶が上書きされていくプロセスをフィクションに落としこんだ。

それが本作なのである。

ネット上には本作に係る様々な考察記事が存在しているが、殺人犯の記憶の上書きであると思って見れば、ほぼすべての謎はすんなりと腹に落ちる。

無秩序な映像のコラージュに見えて、実のところ論理的に組み立てられていて目立った破綻がないことが、デヴィッド・リンチの凄いところだ。

また「全部主人公の妄想でした」がオチならどんな荒唐無稽な話でも作れてしまうので、真面目に見た人間からの批判が殺到しそうなのに、リンチ作品にはズルしてる感が全然ないのも凄い。

リンチは徹底してセリフに頼らない。

映像のみでストーリーを語れる作家だからこそ、ネタを明かされたところで「ズルい!」とは感じないのである。

これまたリンチにしかできない芸当だろう。

私が今になって本作を見直したのは、旭川女子高生殺人事件の裁判において主犯が殺意を否定しているという報道を見て、本作を思い出したからである。

主犯によると、被害者は自ら川に飛び込んだとのこと。

SNSに投稿された動画に自分が写っていたというトラブルをきっかけとして、主犯とその舎弟が被害者を呼び出し、暴行を加えた後に橋から川へ突き落したというこの事件。

直前に撮影された動画の内容や、共犯者の証言を考慮すると、被害者が自ら死を選択したとは思えない。

それでもなお、滔々と「被害者が自ら飛び降りた」と主張する容疑者の報道を見ていて、こいつの中ではそれが事実になっているのだろうと思った。

本作は二部構成となっている。

前半は夫婦関係が拗れ始めた主人公フレッド(ビル・プルマン)のドラマであり、自宅には発送者不明のビデオテープが執拗に送りつけられるようになる。

そのビデオに映っているのは自宅の外観だが(実際のリンチ邸らしい)、二本目・三本目と重ねるにつれ無人宅内にビデオカメラが上がり込むようになり、最終的には血まみれになった妻レネエ(パトリシア・アークエット)と、半狂乱で叫ぶフレッドの姿が収められるに至る。

ここで叫ぶフレッドは殺害後の興奮状態にあるのか、はたまた妻の死体を発見して錯乱状態にあるのか、定かではない。

ビデオという媒体を通すことで、あたかも他人事のように自分がやったことを捉える主人公の主観を表現したリンチの映像表現が光っている。

また画像が荒いので、本当にフレッドとレネエなのかはっきりとは視認できないという点も、人の記憶の不安定さを象徴しているようだった。

序盤にてフレッドより発せられた「起こった通りに記憶したくない」という、その時点では何気ない一言がちゃんと主題につながっていく回収の仕方も含め、実に見事な構成となっている。

その後フレッドは死刑判決を受けて勾留されるのだが、ある朝、刑務官が監房を覗くとそこに居たのはフレッドではなかった。

こいつは一体誰なんだと調べたところ、自動車整備工のピート(バルサザール・ゲティ)という青年だった。

釈放されたピートは、マフィアのボス(ロバート・ロッジア)が連れていたエロい女アリス(パトリシア・アークエットの二役)と恋仲になるんだけど、ヤクザの女に手を出したとあればただじゃ済まされないってことで、二人は駆け落ちを決める。

ただし先立つものがないとマフィアから逃げ切ることも難しい。アリスからの入れ知恵もあり、強盗で逃走資金を稼ぐことにした。

ここいらは『ワイルド・アット・ハート』(1990年)のような風情もあり、娯楽作としてまっとうに面白い。

またロバート・ロッジア扮するマフィアのボスの大袈裟すぎる演技には笑わせてもらった。

煽り運転をされたボスは(煽り運転をしたのではなくされたのだ)、不埒な相手ドライバーを車から引きずり下ろすと、「ここの法定速度は何kmだと思ってんだ!」「お前、車間距離をどれだけあけてたか言ってみろ!」「交通事故の死者は年間5000人にものぼるんだぞ!」と、『グッドフェローズ』のロバート・デ・ニーロばりの殴る蹴るをしながら、実にまっとうなことを吠えまくる。

イザベラ・ロッセリーニに「ママ~」と言って抱き着くと当時に「こっち見んな!」とキレる『ブルーベルベット』のデニス・ホッパーといい、険しい顔をして何を言い出すのかと思いきや、直前に口にしたエスプレッソをベーっと吐き出す『マルホランド・ドライブ』のマフィアといい、おかしくなった強面を描写させると、リンチの右に出る者はいない。

そしてパトリシア・アークエットが二役を演じていることからもお察しの通り、後半部分はフレッドの脳内で作られた物語だ。

妻を投影した女性から勝手に惚れられ、そして二人で劇的なドラマを演じたいという願望がピートの物語を生み出したのだ。

で、フレッドとピートの物語をつなぐのが白塗りの男ミステリーマン(ロバート・ブレイク)。

ミステリーマンが一体何者なのかの説明はなく、彼は悪魔であるという解釈もあるようなのだが、脳内世界を描いた本作においては、フレッドの人格の一部とみるのが妥当だろう。

殺人を犯したことを認められない自分(フレッド)、夢想に浸る自分(ピート)、そしてすべてを冷静に捉えている自分(ミステリーマン)、私はこういう図式で捉えた。

フレッドにとっては認めたくない現実を突き付けてくる恐怖の存在なので、ミステリーマンは恐ろしい見た目をしている。演じるロバート・ブレイクの顔圧の凄さもあって、一度見ると二度と忘れないキャラクターとなっている。

後にロバート・ブレイクは、O・J・シンプソンと似たような末路を辿ることとなる。

2002年、ブレイクは元妻の殺害容疑で逮捕されるが、刑事裁判では証拠不十分で無罪判決を勝ち取った。

しかしその後に元妻の遺族に起こされた民事訴訟では過失致死の責任があると判断され、3000万ドルもの罰金を科せられた。

本作には、そのような”いわく”を抱えた俳優が多い。

ピートに扮するバルサザール・ゲティは、リドリー・スコット監督『ゲティ家の身代金』(2017年)のモチーフともなったゲティ家の出身だし、ピートの恋人シェイラに扮するナターシャ・グレグソン・ワグナーは、『ブレインストーム』(1983年)の撮影中に謎の死を遂げた大女優ナタリー・ウッドの娘だ。

リンチがどこまで意図したのかは分からないが、こうした不穏なキャスティングにより、映画と現実が交錯する感覚を味わえるのもまた、本作の味わいとなっている。

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