(2026年 アメリカ)
しばらくお見掛けしていないパニッシャーがどうなさっているのかをコンパクトにまとめた一篇。話らしい話はないが、アクションには目を見張るものがあるので見て損はない。50分しかないしね。
感想
『デアデビル: ボーン・アゲイン』のシーズン1(2025年)には客演したが、シーズン2(2026年)には出てこなかったパニッシャー(マットやカレンがあんなに大変なことになってたのにね)。
その間、彼がどこで何をしていたのかを明らかにしたうえで、客演が公表されている『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』(2026年)へとつなげるのが、このドラマの立ち位置のようだ。
というわけなので、ひたすらにパニッシャーというキャラクターにのみフォーカスし、その他の構成要素は限りなく希薄になっている。
冒頭、パニッシャーことフランク・キャッスル(ジョン・バーンサル)は、ベッドすらない殺風景なボロアパートの一室にて、血まみれの手で懸垂をしたり、精神安定剤を酒で流し込んでは嘔吐したり、自分自身をナイフで傷つけたりと、大いに荒れた状態にある。
自分自身をパニッシュ(処刑)している状態ともいえるのだが、なぜこんなことになったのかというと、町の治安悪化の原因を作ったのは自分じゃないかしらと思っているからだ。
アパートの外はどこの紛争国ですかと言いたくなるほどの酷い有様。
ヒャッハーな悪党がホームレスの連れている犬をトラックに轢き殺させるというショッキングな悪事が起こるが、画面の片隅に破壊済のパトカーが映っていることからもお察しの通り、警察はこの地域にはやってこない。
もともとここを仕切っていたのはマフィアのグヌッチ・ファミリーで、彼らがいたときには一定の秩序は存在していたのだが、フランクの妻子殺害に関与したとのことでパニッシャーにより壊滅させられたことから、地獄の釜の蓋が開いた状態となったのだ。
同じくジョン・バーンサルが扮したNetflix版のパニッシャーでは、フランクの家族を殺したのはジグソウだったはずなんだけど、そこのつながりは重視されていないのだろうか。
ネトフリ版のパニッシャーが配信されたのは2017年と2019年で7年も前の話。皆さん覚えておられないだろうし、細かい設定は拾わず自由に再構築していきますねというのが、ディズニーの方針なのかもしれない。
兎にも角にも、家族を失ったことが辛すぎてフランク・キャッスルには戻れない、そうかといってパニッシャーという別人格を生きるにしても自警団活動に自信を持てなくなってきたというのが、フランクの現状なのだ。
そんなフランクの前に、車いすの老女が現れる。
彼女はグヌッチ・ファミリー唯一の生き残りで、パニッシャーに惨殺された夫と子供たちの復讐のため、フランクに懸賞金をかけたという。
彼女もまた極道なので、ある程度の暴力や処刑は因果応報として受け入れる気概があったのだろうが、悪事とは無縁だった末子までを目の前でパニッシャーに殺害されたことから「さすがにやりすぎじゃないか」となり、フランクに対する復讐を決意したという経緯がある。
彼女にもまた、かつてのフランク並みに処刑の権利があると言える。
かくして処刑される側となったフランクに対して、町中のヒャッハー達が襲い掛かってくる。
そんな『ザ・レイド』(2011年)や『ジャッジ・ドレッド』(2012年)みたいな状況下で、思い悩む暇もなく暴力性に再点火させたフランクの大暴れは、パニッシャー史上最凶ともいえる壮絶なものとなっている。
敵から奪ったショットガンをバンバン撃ちまくって次から次へと押し寄せてくるヒャッハー達を葬り、ショットガンが弾切れとなれば素早くハンドガンに持ち替えるというキビキビとした動きはどうだろう。
前半で悩み苦しんでいたフランクからは一変して、実に生き生きとしているではないか。
また幼女を襲おうとしたスキンヘッドをナイフでめった刺しにするという過剰なまでの暴力性と、「やっぱ俺が好きなのはこれだよ」と開き直る様は、陰鬱だった前半とは対照的な爽快感に溢れている。
「これのどこが『ワン・ラスト・キル』(最後の殺し)なんだよ」と思うところだが、あまりにもアクションが素晴らしいので結果オーライだ。
車いす老女との因縁は決着せず、話は特に前進するでもなかったので、ドラマとしての完成度が高いとは言い難いが、パニッシャーをテーマにした短編作品だと思えば、その存在を再定義するにあたっての必要情報がコンパクトにまとめられた良作だったと言える。
これはこれでいいんじゃないだろうか。


コメント