【良作】ロボコップ(2014年)_大胆にアップデートされた21世紀版ロボコップ

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(2014年 アメリカ)
2028年、オムニ社は主に中東での軍事用ロボット配備で収益を上げていた。次に狙うのはアメリカ国内市場だったが、法律の壁に阻まれて苦戦を強いられていた。そんな中、汚職捜査中に爆弾を仕掛けられて瀕死の重傷を負ったアレックス・マーフィ刑事をベースとして、機械と人間を融合させたロボコップを実験的に投入することで、機械に対する警戒心の強い国内世論の懐柔を図ろうと画策する。

©Columbia Pictures

先日、ニール・ブロムカンプ監督がロボコップの新作を制作すると発表され、それは1987年の第一作の続編になるとのことで「『2』『3』そしてリブート版はなかったことにされるのか!」と衝撃を受けました。

興行的にも批評的にも苦戦し、4年経った現在でも再評価の機運が1mmも高まらないという失敗作扱いの本作ですが、1987年版と見比べるとなかなかよく考えて作られた作品であることが分かります。

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ED-209が実戦配備された世界

本作はED-209がテヘランの治安維持をしている場面から始まります。オリジナル版のED-209は軍事利用を意図されていたという設定がまんまここで反映されていると同時に、オリジナル版では試作段階という設定だったED-209が本作では実戦配備済であり、テクノロジーの基礎がまったく異なる世界の物語であることをここで強く印象付けています。さらに、オリジナル版のあのお披露目の場で誤作動をせずED-209がオムニ社の看板商品になっていたらというIFの物語にもなっており、いろんな意味で面白いと感じました。

1987年と同じテーマは扱わないという英断

オリジナルはテクノロジーと倫理を描いた作品でしたが、「器(機械)と中身(人間の精神)に齟齬が生じた時、その存在をどう定義すべきか」というテーマはいかにも80年代的で、21世紀には馴染まないものでした。現在においては80年代とは比較にならないほど人とテクノロジーの距離は近くなっており、そんな中でテクノロジーが生命に従属するという関係性はかなり明確になっています。「人間の精神にコントロールされている限り、それがどんな形をとっていようが人間だ」でこのテーマにはほぼ決着がついているのです。

1987年のロボコップ
© 1987 Orion Pictures Corporation
©2014年版のロボコップ
©Columbia Pictures

そこで本作はオリジナルのテーマをすっぱりと捨て去っています。マーフィは自らロボコップとなる道を選択しているし、周囲も彼をマーフィとして扱い続けています。装甲とマーフィの関係にしても、「君の生体組織はロボコップを形成するパーツのひとつに過ぎない」と言われていたオリジナルに対して、本作では核となるのはあくまでマーフィであり、その装甲は義肢装具のような扱いとなっています。この大胆な転換によって作品を時代にマッチさせた判断は正解だったと思います。

アクション映画の王道をいく展開

代わって本作で描かれるのは、困難を経て再び家族の元に帰ろうとする男の戦いであり、これはアクション映画としては極めて王道です。

また、オムニ社CEOというマーフィとの対立構造が非常に分かりやすい相手が敵として設定されており、マーフィは自分を抹殺しようとした相手と対峙し、最終的にこれを倒すという王道の結末を迎えます。他方、オリジナル版はこの辺りがとても曖昧で、トカゲのしっぽ切りにあったジョーンズ副社長のみが成敗されて不幸の元凶たるオムニ社はほぼ無傷のまま残るというもやもやした終わり方をしたのですが、本作はこの辺りを非常にスッキリとさせています。

さらに、オリジナルではコブラ砲一発で片を付けてしまったロボコップvsED-209という対戦カードがついに実現し、VFX技術の革新と相まって素晴らしい見せ場が繰り広げられます。「これが見たかったんだ!」とすごく満足できました。

マーフィ一家の物語

オリジナルではほとんど記号的な扱いとなっており、本編中に一度も現れることのなかったマーフィの家族が映画の中心部分に陣取っており、本作はロボコップとなった父(夫)を受け入れる家族の物語ともなっています。しかも彼らはオリジナルのような大企業の営利主義の犠牲者ではなく、父(夫)が助かるためには改造されるしか道はなかったが、いざ人間の姿ではなくなった父(夫)を見るとさすがに戸惑いを隠せないという、善でも悪でもないリアルな人間的反応を示しています。

監督は『ナルコス』のジョゼ・パジーリャ

外国人監督を起用するというオリジナルの人事を踏襲し、本作はブラジル人であるジョゼ・パジーリャが監督しています。この人は『エリート・スクワッド』でベルリン映画祭グランプリを受賞した実績を持ち、最近ではNetflixで『ナルコス』を大成功させました。

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また、バーホーベンとのもうひとつの共通点として、SFを専門分野にしていない監督であるという点が挙げられます。オリジナル版製作の時点でバーホーベンがSF映画を手掛けた実績はなく、またバーホーベン自身もSFは専門外だと感じていたのですが、畑違いの監督を起用することでオリジナル版は成功しました。本作もその伝統に則ってドキュメンタリー出身のパジーリャを起用したのですが、その成果は前述した冒頭のテヘランの場面で発揮されています。アメリカに支配された紛争地の雰囲気が見事に再現されており、またそこにED-209という架空の兵器を歩かせることにも違和感を与えておらず、この場面によって近い将来に実現しそうな世界の物語として本作を受け入れることができました。

その一方で、マズルフラッシュのみで描かれた中盤の大銃撃戦や、ED-209が待ち受けるオムニ社ロビーへのカチコミなど、ロボコップに必要なケレン味ある演出も見事モノにしており、この監督の引き出しは意外と多いことに驚かされました。バーホーベンの後任としては最適な人選だったと思います。

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