(2026年 アメリカ)
さすがリドリー・スコット監督だけあって画の説得力は圧倒的だし、ヒャッハーに歪んだユートピアにと終末ものに必要な要素も過不足なく出してくる。それでいて2時間に収めてみせた構成力・要約力には舌を巻いたが、隣にいるいい女に手を出さない主人公のありえない紳士ぶりだけが気になった。

感想
公開初日のレイトショーを日本橋で見たけど、TOHOシネマズ自慢のTCXでの上映であるにも関わらず客入りはサッパリで、快適に見られはしたけど熱気は足らなかった。
名匠リドリー・スコット監督作品にすら客が入らないのだから、近年の洋画離れは本当に深刻なのだろう。
2035年を舞台に、ウイルスのパンデミックで世界人口のほとんどが死滅し、文明が滅び去った後の世界が描かれる。
ウイルスに関して具体的な言及はないのだが、どうやら呼吸器系の疾患だったこと、生き残った人々が他人との接触を避けてソーシャルディスタンス(すでに死語ですな)を保っていることからも、コロナ禍が終わらなかった世界として見ると意義深く感じる。
主人公ヒッグ(ジェイコブ・エロルディ)は元整備士という職歴を生かし、文明崩壊後の世界においてもセスナ機のメンテを欠かさず、暇を見てはそのセスナを自ら操縦して遠出をしている。
冒頭映し出される回復した大自然と、それに押されるかのように荒廃した都市の対比は圧巻で、「映像派リドリー・スコット、今日も仕事してます!」という感じだ。
ウィル・スミス主演作『アイ・アム・レジェンド』(2007年)のアップデート版といった風情だが、そういえば90年代にアーノルド・シュワルツェネッガー主演『アイ・アム・レジェンド』が企画された際の監督はリドリー・スコットでしたな。
90年代版『アイ・アム・レジェンド』はシュワルツェネッガーの心臓手術によって流れてしまったが、30年近くの時を経て別のディストピアもの企画をぶち上げたリドリー・スコットの執念には、本当恐れ入る。
そして、やれラージフォーマットだIMAXだと言われている時代において、横いっぱいに広がったシネマスコープの素晴らしさも再発見した。
サスペンス3作品(『誰かに見られてる』『ハンニバル』『アメリカン・ギャングスター』)を除き、ほとんどすべての映画をシネスコサイズで製作してきたリドリー・スコットの面目躍如といったところか。
ある日のフライトで「グランド・ジャンクション」と呼ばれる場所からの無線を傍受したヒッグは、希望を求めそこへ行こうとするというのが、ざっくりとしたあらすじ。
このあらすじからお察しの通り、基本的に本作はロードムービーである。
ある場所を目指す主人公が、道中さまざまなトラブルに巻き込まれ、また出会った人々との交流を重ねていく。
ヒッグが出会うのはジャック(ガイ・ピアース)とシーマ(マーガレット・クアリー)の親子であり、当初は怪しい侵入者扱いを受けていたヒッグだが、次第に二人に受け入れられ、やがて強い絆を結ぶまでが、ゆったりとしたペースで描かれる。
人によっては退屈に感じられるかもしれないが、芸達者な3人組と、心の微妙な機微に触れた脚本の出来が素晴らしく、個人的にはいつまでも見ていられた。
そうして「もうこのまま何も起こらなくていいよ!」と思った矢先に襲撃してくるヒャッハー達。
こいつらが馬に乗ったヒューマンガス軍団といった風情であり、ここから急にマッドマックスっぽくなる。この転調も悪くない。
セスナで命からがら逃げだした3人組は、いよいよグランド・ジャンクションに至る。
そこは小規模な空港なのだが、この荒廃した世界においては例外的に文明が残っており、一見するとユートピアだ。
しかしそれは人をおびき寄せるための罠であり、その実態はというと、利用価値のない人間を殺して食べる食人集落だった。
終末の世界で駆け込んだ先が更なる地獄だったという展開は『死霊のえじき』(1985年)のようであり、また『28日後・・・』(2004年)のようでもあった。
この後半部分を、良く言うと定番を過不足なく盛り込んだ、悪く言うと定番ばかりでオリジナリティのない展開ということになるのだが、細かい説明を省いてこれらを矢継ぎ早に見せてくるリドリー・スコットの要約力には惚れ惚れとした。
ヒャッハーがどうしてそうなったとか、偽りのディストピアがどう機能しているかとか、そんな説明などいらない。
終末世界の定番なのだから、クドクド説明しなくてもこれがどういうものだか分かるでしょみなさんという、豪快な割り切りが気持ちいい。
また追い込まれた主人公たちが繰り広げるアクションにも見ごたえがあり、ここでもリドリー・スコット監督の円熟を通り越した演出の凄さを目の当たりにした。御年88歳にして絶好調である。
旅が徒労に終わった主人公は、再び出発地点に戻ってくる。
そこで生活を再開するのだが、ディストピアSFらしからぬ暖かな空気で締めくくる辺りは、本作に珍しい新規性だったと言える。
この通り2時間はきっちりと楽しめたのだが、カックンは最後の最後にやってきた。
大冒険を経たヒッグは、星空の下でシーマとキスを交わす。
これ自体はラブストーリーの美しい締めくくりではあるのだが、私としては、こんな美人のお姉ちゃんがずっと隣にいて、何なら添い寝までしに来てたのに、今の今まで手を出してこなかったんかい!ということが腑に落ちなかった。
下品になりすぎないよう直接的な描写がないだけで、中盤での添い寝でやることはやってるもんだとばかり思ってたんだけど、どうやら違ったらしい。
人間がこれだけ死にまくり、おまけに生き残り同士で殺し合いまでしている世界で、同世代の男女が出会う確率はそもそも低い。
しかも相手が凄い美人ともなるとチョコボールで金のエンゼルを出すレベルの確率だと思う。
また主人公だって10年近くご無沙汰で性欲という問題を抱えていただろうに、隣にいる女性にまったく手を出してこなかったとか、どんな聖人君主なんだ。
原作では比較的早いうちに肉体関係になるらしいのだが、映画用の脚色で二人の関係はプラトニックに変更されたらしい。
しかし極限状態における性とは人間の本質的な課題であり、それを避けて通った物語は、途端に嘘くさく感じられた。


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