インクレディブル・ハルク_再評価すべき良作【7点/10点満点中】

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マーベルコミック
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(2008年 アメリカ)
MCU内でも一二を争うほど存在感の薄い作品だが、あらためて見ると後のアベンジャーズへの伏線も多く、なかなか見ごたえのある作品だった。ハルクという難しい素材も無難に扱えており、世界的な再評価を期待したくなる作品である(キャプテン・アメリカの第一作やアイアンマンの第二作よりもはるかに面白い)。

MCUでもっとも影の薄い作品

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。。・・・ってもう2月である。

前回の『クレイヴン・ザ・ハンター』(2024年)の記事から2か月近くもあいてしまい、2月中旬になって今年一発目の投稿という何とも酷い状況になってしまったが、この間、主力だった部下の退社による穴埋めで仕事がバタバタしていたり、長男の中学受験があったりで、映画を見ている時間がほとんどなかった。

隙間時間でネトフリなどを見ようにも眠気が勝ってしまい、最後まで見ていられない状況だったが、ようやっと受験が終わり、仕事も落ち着いてきたので、またボチボチとやらせてもらいます。

と、新装開店の決意をしたのも束の間、ここんところは劇場でまったく新作がかかっていないではないか。

2023年の全米脚本家組合のストライキでハリウッドの映画製作がストップしてしまった影響がここに来て発現したようで、スピルバーグの旧作3本や『セブン』(1995年)のリマスター版がIMAXでかかっているようなご時世である。

というわけでタイムリーな新作の記事でなくて申し訳ないが、今回は17年も前の映画『インクレディブル・ハルク』(2008年)の感想を書くことにする。

本作はMCU第1フェーズの作品であり、『アイアンマン』(2008年)よりも先に公開された日本においてはMCU第一弾と目することもできるのだが、そんな重要ポジションであるにも関わらず顧みられることが驚くほど少ない。

かく言う私も劇場公開時に一度見たっきりであり、その時には面白いという感想を持ったものの、何度も見ようという気にはならなかった。

その理由は簡単で、この映画が他のMCU作品と繋がってるんだか繋がっていないんだか不明確で、公式の扱いも微妙だったので、MCUの連作を見続けていく中で、本作を飛ばしていても支障がなかったためである。

なぜそんなにも扱いが微妙なのかというと、主演のエドワード・ノートンが本作一本限りで降板してしまい、『アベンジャーズ』(2012年)以降にマーク・ラファロが演じたブルース・バナー=ハルクと同一人物なのかどうか、公式ですら濁してきたことが大きい。

その後、本作の存在が忘れ去れていると感じていたルッソ兄弟が『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)にウィリアム・ハート扮するサディアス・ロス将軍を再登場させたことで、本作はちゃんと「あったこと」になり、ディズニープラスのドラマ『シーハルク』(2022年)では本作のヴィランであるアボミネーションが再登場した。

また直接的に本作を示唆した発言ではないものの、2021年にマーベル・スタジオ社長ケヴィン・ファイギが「プロジェクトによってキャストが変わります」とコメントしたことで、「別キャストでも同一人物ってことはありうる」というMCUルールがファンにも伝わった。

そして2025年2月14日公開予定の『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』(2025年)ではメインキャラの一人としてサディアス・ロス将軍が再登場し(ウィリアム・ハートが2022年に逝去したのでハリソン・フォードに交代)、また娘のベティ・ロス(リヴ・タイラー)とサミュエル・スターンズ(ティム・ブレイク・ネルソン)も帰ってくる。

・・・サミュエル・スターンズって誰?と思った方も多いと思うが、本作『インクレディブル・ハルク』においてミスター・ブルーを名乗ってブルース・バナーの治療法探索に協力していた人物であり、劇中ではいい人っぽく描かれていたのだが、コミックでは長年にわたってハルクのスーパーヴィラン”リーダー”だったキャラクターである。

本作のクライマックスでブルースの血液サンプルが体内に入り込み、額が肥大化する描写があったので、『キャプテン・アメリカBNW』ではヴィランとして仕上がった姿で再登場するものと思われる。

またサディアス・ロスは2025年5月公開予定の『サンダーボルツ*』にも再登場予定であり、ここにきて本作『インクレディブル・ハルク』に起源を持つ要素が多く復活しているということが分かる。

前置きは長くなったが、こうした諸々があって、本作を約17年ぶりに鑑賞しようと思った次第である。

ハルクという微妙な題材の映画化例としては上出来

ハルクといえば、興行的にも批評的にも失敗した『ハルク』(2003年)の存在も忘れちゃいけない。

2003年版は1990年代初頭から企画の検討が開始され、9名もの著名な脚本家と、アン・リーという後のアカデミー賞監督の手を経ながらも、めぼしい結果を残せなかった。

それほどまでに「緑色の大男が暴れる」という構図を、一定のリアリティをもって描写することは難しいのだろう。

また物語の骨子はブルース・バナーの逃亡劇であり、制御不能な巨人を脅威と見做した国家権力との戦いが描かれるのだが、マーベルでも屈指の強キャラであるハルクでは米軍に負ける気が全然しないため、「もし捕まれば大変な目に遭わされる!」「ブルース逃げて!」という緊張感も発生しづらい。

この通り、リアリティ的にもパワーバランス的にも厳しい素材なので、誰が作っても単独出演作は難しいんじゃないかと思う。

そんな中で、本作は十分に健闘をしている。

まずスゴイのが冒頭で、ハルクのオリジンを1分程度のタイトルバックで片づけてしまう。

「みなさんご存じの通り」でオリジンをやっつける手法は『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016年)『THE BATMAN-ザ・バットマン-』(2022年)、また今年の夏に公開予定の『スーパーマン』(2025年)でも採用されるようだが、これをはじめてやったのは本作だったと思う。初見時にはその豪快な割り切り方に感銘を受けたものだ。

すでにハルクとして仕上がっているブルース・バナー(エドワード・ノートン)はブラジルに潜伏中。

ここは『ハルク』(2003年)のクライマックスとも繋がっており、プロデューサーのゲイル・アン・ハードは、本作が2003年版の続編でもあるという趣旨の発言をしている。

続編ともリブートとも受け取れる絶妙な構成で前作の存在を取り込んでしまう無駄のない作りとしたのは、前作にも参加した脚本家のザック・ペン。エドワード・ノートンも脚本家として参加したそうだが、組合の規程でクレジットはなされていないとのことだ。

潜伏生活を送るブルースは、地元のハゲとか傭兵のエミル・ブロンスキ(ティム・ロス)によるイジメ・嫌がらせにひたすら忍従を重ねる。

こういう阿呆な奴らがいらんちょっかいをかけてハルクを目覚めさせるんじゃないかというハラハラは定番ながらもよくできているし、ついにキレたブルースがハルクに変身し、取り返しのつかないことをしたと阿呆たちを後悔させるくだりのカタルシスも決まっている。

本作はハルクという素材に求められていることをキチっとこなせているのである。

またハルクになって暴れた後のブルースが裸で放り出される、知らない土地から物乞い&ヒッチハイクで元居た場所に戻っていくという、コミックがご都合主義で片づけていた部分にも回答を出していて、本作の脚本は実によくできている。

VFXとライブを組み合わせたアクション演出も素晴らしい。

アメコミ映画はVFX一辺倒になりがちなのだが、本作はライブアクションとの組み合わせ方が絶妙なので、生身の人間が戦っているという感覚をきちんと残せているという点もポイント高い。

さらにはクライマックスに向けて図ったように見せ場の規模が拡大していき、最終的にはアメコミらしいやけくそのようなアクションもゲットできている。

偶然得たスーパーパワーを捨てたいと願っているブルースに対し、対峙したハルクのパワーに魅了され、自分も同等のパワーを身に着けたいと願うブロンスキ。

ついにブロンスキがアボミネーションに変身してハルクとの戦いを繰り広げるクライマックスは、バカバカしくも盛り上がる一大決戦となっているし、阿呆な怪物二人だけど元はエドワード・ノートンとティム・ロスだったんだよなぁと思うと、何とも味わい深いものもある。

ハルクという素材本来の難しさもあり、ジャンルの天井を突き破るほどの良編にはなりえていないが、ハルクの単独主演作として、やれることはやりきったと言えるのではないだろうか。

またあらためて見ると『アベンジャーズ』(2012年)につながっていく構成要素が多く、MCU内でも地味に重要作だったことを再認識した。

ニック・フューリーやS.H.I.E.L.D.の名称は本作より登場しているし、スーパーソルジャー計画の再現実験に失敗してハルクが誕生したという設定で『キャプテン・アメリカ』との連携も打ち出されている。

またアイアンマン=トニー・スタークとロス将軍との人的関係が描かれたことは、『シビル・ウォー』(2016年)でトニーが体制側に与したことの伏線にもなっている。

これまでさほど重視されてこなかった作品だが、今一度見返されることをお勧めする。

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