アイランド_マイケル・ベイに知的な映画は無理だった【5点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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(2005年 アメリカ)
2019年、地球は汚染されて生命の住めない土地となっており、僅かな生き残りはコロニーと呼ばれる施設に隔離され、完璧な管理下での生活を送っていた。そんなコロニーの住人であるリンカーンは、身に覚えのないフラッシュバックを夢で見るようになり、世界に対する疑念を持ち始めた。

©Warner Bros.

スタッフ・キャスト

監督は破壊王マイケル・ベイ

1965年ロサンゼルス出身。『バッドボーイズ』(1995年)でのデビュー後、一貫してジェリー・ブラッカイマーと仕事をしてきたマイケル・ベイが、はじめてブラッカイマーから離れて製作した作品が本作でした。

バッドボーイズ【駄作】スベりっぱなし(ネタバレなし・感想・解説)

本作の脚本を抱えていたマイケル・ベイに製作のチャンスを与えたのはスティーヴン・スピルバーグでしたが、そもそもマイケル・ベイが映画界を目指したのは、高校時代に『レイダース/失われた聖櫃』(1981年)のインターンとして働いた経験があったためでした。その『レイダース』の監督であるスピルバーグから声をかけられたという点に、深い因縁のようなものを感じます。

3名の脚本家

  • カスピアン・トレッドウェル=オーウェン:本作の原案を書いた人物で、他にアンジェリーナ・ジョリー主演の『すべては愛のために』(2003年)の脚本も書いています。後述する盗作騒動でハリウッドでの仕事がしづらくなったのか、本作以降、その名前を見かけることはなくなりました。
  • アレックス・カーツマン:1973年ロサンゼルス出身。ロベルト・オーチーとは高校時代からの友人で、マイケル・ベイと同じウェズリアン大学で学んだ後に(ベイは8歳年上)、オーチーと共にテレビ界で働くようになりました。映画進出作である本作の働きぶりがマイケル・ベイの目に適ったのか、ベイとドリームワークスのコラボ第二弾『トランスフォーマー』(2007年)にも引き続き脚本家として参加しました。
  • ロベルト・オーチー:1973年メキシコシティ出身。テキサス大学卒業後にアレックス・カーツマンとのコンビで活動し、『トランスフォーマー』シリーズや『スタートレック』シリーズを成功させました。加えて、テレビ界ではJ・J・エイブラムスと『FRINGE/フリンジ』を製作してヒットさせました。

プロダクション

マイケル・ベイが惚れ込んだ脚本

カスピアン・トレッドウェル=オーウェンによる本作の脚本は元々ジェリー・ブラッカイマーの手元にあったのですが、映画化の目途もなく塩漬け状態にありました。何らかの事情でこの脚本を目にしたマイケル・ベイは可能性を見出し、映画化を熱望。しかしブラッカイマーは企画にゴーサインを出しませんでした。

なぜブラッカイマーがそう判断したのかは分かりませんが、もしかしたら、マイケル・ベイのギラギラ映像と知的な含みを持つディストピアSFとの相性の悪さを見抜いていたのかもしれません。そこに現れたのがスティーヴン・スピルバーグであり、自身が率いるドリームワークスでの製作を提案してきました。

マイケル・ベイとドリームワークスの初コラボ

一説によると、マイケル・ベイが持ち込んだ本作の脚本が、ハリウッドに従前より存在していた『2300年未来への旅』(1976年)のリメイク企画と結びついて、映画化に至ったとも言われています。

『2300年未来への旅』(1976年)とは、コンピューターによる管理下で人々は楽園のような人生を送ることができるものの、人口抑制のため30歳になると処分される未来世界を描いたディストピアSFであり、公開時より一貫して失敗作と見做されている作品ではあるのですが、そのアイデアには光るものがありました。批判覚悟で作る必要のある往年の名作・傑作のリメイクとは違い、失敗作のリメイクはハリウッドにおける錬金術のひとつであり、1997年にワーナーがレオナルド・ディカプリオ主演でリメイクすると発表して以来、『2003年未来への旅』は何度もリメイク企画が立ち上がっていました。2012年頃にはニコラス・ウィンディング・レフン監督×ライアン・ゴズリング主演の『ドライヴ』(2011年)コンビの名が上がり、直近では『X-MEN』シリーズの脚本家であるサイモン・キンバーグが関わっており、『ハンガー・ゲーム』(2014年)のようなシリーズ化を計画しているようです。

『2300年未来への旅』より。チープだが底知れぬ不気味さが70年代。
© Metro-Goldwyn-Mayer

話を本作に戻します。ドリームワークスは、1997年の設立時より往年のSF映画をリメイクしたいという願望を持っていました。しかし『タイムマシン』(2002年)は批評・興行ともに惨敗、『アルゴ探検隊の大冒険』(1963年)は打合せの最中にレイ・ハリーハウゼンを激怒させて企画中止と、うまくいった試しがありませんでした。そこにマイケル・ベイが『2300年未来への旅』(1976年)によく似た雰囲気の脚本を抱えてやってきた。監督作を一度もコケさせた経験のないマイケル・ベイならば、彼らにとって鬼門の企画を任せても勝算があるかもしれない。ドリームワークスにとってはまさに渡りに船という状態でした。ただし、「クラシックによく似た雰囲気を持つオリジナル」という本作の脚本は、後に大問題を引き起こすこととなるのですが。

マイケル・ベイの限界が露呈した作品

ドリームワークスは作家性を重視する社風であり、監督をコントロールするのではなく、できる限り協力するという姿勢を貫きます。思えばマイケル・ベイは「こっちの端に金を突っ込むと、向こうの端からビデオテープが出てくる工場」というコンセプトのプロパガンダ・フィルムズに所属してMTVを撮りまくっていた時代より、スポンサーやプロデューサーが望む映像を撮るということばかりをやっており、作家性を尊重されたことがありませんでした。そんな中で作家主義のドリームワークスと出会った。本作以降、古巣のジェリー・ブラッカイマーの元に戻ることがなかったことから考えても、ドリームワークスとの仕事はベイにとって大変心地の良いものだったのだろうと推測します。

ただし、ドリームワークスの作家主義は本作では裏目に出ました。「マイケル・ベイに難しい映画は撮れない」という事実が露呈したのです。もしかしたら、マイケル・ベイは本作でデヴィッド・フィンチャーやリドリー・スコットと同列に並び立とうとしていたのかもしれませんが、彼はどう頑張ってもトニー・スコットの強化版でしかありませんでした。難しいメッセージよりも分かりやすい展開が目立ち、ギラギラした映像からは悲壮感が漂ってこない。本作の熟練プロデューサー達は作品をしっかりとコントロールし、ベイにより良い方法を教えるべきでした。

1憶2600万ドルの製作費に対して、全米興収は3500万ドルにとどまりました。それまでのマイケル・ベイ作品ならば公開直後の週末だけで稼いでいた金額が本作のトータルという大失態。どれだけ批評家から叩かれようが興行成績だけはピカイチだったマイケル・ベイにとって、この失敗は大打撃となりました。

盗作騒動

加えて、脚本に盗作騒動が持ち上がりました。『クローン・シティ/悪夢の無性生殖』(1979年)というカルトSF映画とあまりに似すぎているとの指摘があったのです。『クローン・シティ』のあらすじはこうです。クロヌスという施設で暮らす若者達は健康状態を維持し、体を鍛えることに余念がないが、それは健康状態の良い者から「アメリカ」という楽園に行くことができるためである。「クロヌス」の正体は大金持ちに臓器提供するためのクローン人間製造施設であり、「アメリカ」に送られた者は臓器を抜き取られて死ぬ運命にあった。

『クローン・シティ』のビデオジャケット。ロクでもないB級SFの匂いがプンプンしてきますね。

…本作とまったく同じ話ですね。これはたまたま似ているアイデアが含まれていたというレベルではなく、もはや写経です。『クローン・シティ』の監督とプロデューサーはドリームワークス相手に訴訟を起こし、相当な和解金を受け取ったと言われています。この騒動以降、本作のオリジナル脚本を書いたカスピアン・トレッドウェル=オーウェンの名前を見かけることはなくなりました。

登場人物

  • リンカーン・6・エコー(ユアン・マクレガー):コロニーで暮らしているクローンの一人だが、コロニーでの生活に退屈しており、また身に覚えのないイメージの断片が含まれた夢を見るようになったことから、世界への疑念も抱くようになっていた。
  • トム・リンカーン(ユアン・マクレガー):リンカーン・6・エコーのオリジナル。乗り物の世界的デザイナーとして財を成した人物であり、乱れた生活によって医者から余命宣告を受けるほど健康状態が悪いため、臓器移植を必要としていた。
  • ジョーダン・2・デルタ(スカーレット・ヨハンソン):コロニーで暮らすクローンであり、リンカーン・6・エコーとは友人関係にある。リンカーンと違って世界への疑念は抱いていなかったが、アイランドへ行けると言われて臓器を摘出される寸前にリンカーンに救出されて、以降はリンカーンと共に逃避行を図った。初期脚本では妊娠中という設定だった。
  • サラ・ジョーダン(スカーレット・ヨハンソン):ジョーダン・2・デルタのオリジナル。有名誌の表紙を飾る世界的モデルで幼い子供がいるが、自身は大病を患っていることから臓器移植を必要としていた。
  • バーナード・メリック(ショーン・ビーン):富裕層向けのクローンビジネスを運営している医師で、コロニーの管理をしている。大統領も顧客の一人であり、国防総省からの多額の出資も受けているという、強力なコネクションの持ち主。
  • ローラン(ジャイモン・フンスー):フランスの特殊部隊出身で、現在はフリーでアメリカ政府の仕事を請け負っている。逃走したリンカーンとサラの追跡のため、メリックに雇われた。
  • マック(スティーヴ・ブシェミ):コロニーで雇われているエンジニアで、リンカーンと親しくしている。逃亡したリンカーンとジョーダンに頼られて協力したため、組織に殺された。

感想

自由な製作環境を得て、かえって保守的になったマイケル・ベイ

スパルタ主義で有名なジェリー・ブラッカイマーの元を離れ、「すべて君の判断に任せるわ」という自由主義のドリームワークスでの仕事ということで、マイケル・ベイに特別な気負いがあったのか、本作はベイらしからぬ保守的な姿勢で撮られています。

一作前の『バッドボーイズ2バッド』(2003年)辺りでは特に顕著だったグロテスクな描写や笑えないギャグといった要素は徹底的に控えられており、真っ当なSFアクションとして製作されています。レイティングにも気を使っていたようで、例えばラブシーンの撮影においてスカーレット・ヨハンソン当人からはトップレスになるべきとの主張があったのに対して、PG-13の映画だから下着は外さないでくれと頼んだようです。ベイのバカ!

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作家としての自由が保障された途端に保守的になり、表現にエッジがなくなるという点が面白いなと感じたのですが、人間って意外とそんなものなのかもしれません。押し付けられれば反発するが、「何をしてもいい」と言われると控えめになる。その結果、サイモン・ウエストやドミニク・セナが監督したと言われても違和感を覚えないほど作家性を感じない面白みのない作品になった点は、ベイ本人も想定外だったのではないでしょうか。

マイケル・ベイがSFに向いていないという誤算

「プロダクション」の項目でも触れた通り、本作は70年代ディストピアSFからの影響がはっきりした作品であり、実際、全員が白い服装を着せられて性や人間関係までがコントロールされた社会という前半パートは、ジョージ・ルーカスの監督デビュー作『THX-1138』(1971年)からの影響が明らかでした。リンカーンとジョーダンが排気口を登った末に荒野に出ていく場面なんて、モロに『THX-1138』のクライマックスだったし。しかし、本作は画づらをなぞっているだけで、SFという虚構を通じて現実社会の問題点をあぶり出そうとする深い知性や問題意識は感じられませんでした。

『アイランド』(2005年)
『THX-1138』(1971年)
© 1971 – Warner Bros. All rights reserved.
『アイランド』(2005年)
『THX-1138』(1971年)
© 1971 – Warner Bros. All rights reserved.

また、共同生活をさせているクローン達からどうやって検体を引き離すのかという問題に対して懸賞への当選者ということにした点や、主人公トム・リンカーンが一匹の蛾の存在によって世界観への疑念を持つに至った点など、脚本レベルでは良いアイデアで溢れているのですが、こちらもまた面白みを感じさせるレベルには達していません。マイケル・ベイの演出が大味すぎるのです。

さらに、スコットランド出身でバイク好きというトム・リンカーンの設定は演じるユアン・マクレガー自身のものだったし、サラ・ジョーダンが出演しているという設定の看板広告は映画用に製作したものではなく、演じるスカーレット・ヨハンソンが実際に出演していたものだったりと、メタ的な遊びも施されています。これらの細工がうまく機能していれば、「我々が知らないだけで、現実にこういうことが起こっているのかもしれない」と観客に思わせるような含みとなったはずなのですが、マイケル・ベイにはこうした遊びを効果的に見せるスキルがありませんでした。

テクノロジーの予見ができていなかった

本作のSF映画としての不出来を象徴する場面として、街角に設置された情報端末の描写が挙げられます。施設を脱走して都市に身を隠したリンカーンとジョーダンは、スティーヴ・ブシェミ扮するマックからのアドバイスに従い、街角にある情報端末を使ってリンカーン・6・エコーのオリジナルであるトム・リンカーンの住所を調べるのですが、現在の視点で見ると、これが完全にありえない描写となっています。

ここで登場する情報端末は公衆電話の進化形としてデザインされているのですが、御存知の通り、現実世界において公衆電話は死に絶え、携帯電話がスマートフォンに進化して高度な情報端末となりました。本作は完全に予測を間違えているのです。iPhoneが発売されるのが2008年のことなのに、2005年に公開された本作は数年後のテクノロジーの予見もできていなかったということになります。

加えて、個人情報をいとも簡単に調べられる社会というものも、現在の視点ではありえません。テクノロジーが進歩すればするほど個人情報の取り扱いは厳密になっていきましたが、その点の予見もできていなかったのです。

偶然性が伴うことなので確実にとは言えないものの、優れたSF映画というものは現実世界の予見がある程度できているものです。本作の製作陣も関わっていた『マイノリティ・リポート』(2002年)はそれがうまくいった作品であり、生態認証やリターゲティング広告など、数年後に実現される技術を描写したおかげでSF映画としての評判を後世に至るまで示すこととなりました。しかし本作にはそれがないのです。

最大の見せ場が中盤に存在するという不備

以上の通り、SF映画としては不出来な作品だったのですが、マイケル・ベイ印のド迫力アクションは依然として健在であり、十分に目を楽しませてくれました。中盤でのしつこい追撃戦は高速道路でのカーチェイス、大看板の落下と大掛かりな見せ場が連続してかなり楽しかったのですが、問題は、この中盤以降に1時間も上映時間が残っているということでした。

そこから先には目立った見せ場もなく、かと言って観客を惹き付けるだけの魅力的なストーリーテリングがあるわけでもなく、ダラダラダラダラと分かり切った話をされるだけでかなり退屈させられました。中盤レベルの見せ場がクライマックスに配置されていれば印象も違ったものになったのでしょうが、アクション映画としては中盤でやりきった状態になってしまっています。この構成の不備もまた、映画全体の印象を悪くする方向に作用しています。

これぞマイケル・ベイって感じの絵面

まとめ

マイケル・ベイ印の見せ場は迫力があるし、20歳そこそこのスカーレット・ヨハンソンは魅力的だし、決して見所のない映画ではないのですが、SF映画としてはまるで完成されておらず、「もっと面白くできたはずなのに」と歯痒い思いのする出来に落ち着いています。

出演者の魅力はちゃんと捉えられていたのですが…

本作以降、マイケル・ベイはまともに評価される映画を撮るということをスッパリと諦めて、批評家からバカと罵られようが観客を喜ばせる映画に邁進することになったのだから、マイケル・ベイ個人にとってはキャリアの分岐点になった重要作と言えます。

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