(2026年 イギリス・アメリカ)
予習していかなかった私が悪いのかもしれないが、神話特有の強引な展開、訳の分からんしきたりが多く、「なぜそうなる!?」の連続だった。映像は確かにすごかったけど、個別エピソードの羅列のようでアクション大作としての大きな勢いを感じなかったし。

IMAX上映館の熱狂
その名前だけで客を呼べる映画監督は随分と少なくなった。
スピルバーグですら『レディ・プレイヤー1』(2018年)以降は大ヒットから遠ざかっており、『ディスクロージャー・デイ』(2026年)の動員にも苦労した。
ベテラン勢で頑張っているのはリドリー・スコットとジェームズ・キャメロンのエイリアン1&2コンビだが、スコットの新作『ラスト・サバイバー』(2026年)は世界的な爆死(面白かったのにねぇ)、キャメロンは『アバター』ブランドで何とかなっている面がなきにしもあらず・・・
そんな世知辛いご時世において、「この監督の新作は何が何でも見なきゃ!」と思われている孤高の存在がクリストファー・ノーランである。
初期のサスペンス映画3作品を除くすべての映画が重厚長大。
徹底的なアナログ主義者で(インターネットすら嫌っているらしい)、CGの使用を極力抑え「本当にやる」姿勢を貫徹し、フィルム撮影にも拘りまくる。
そんなノーラン監督の最新作だが、日本の観客だけが全世界同時公開から2か月も「待て」を喰らった。
各国の動員記録を次々と更新しているというニュースを見るたび「見たい!」という思いを募らせ、期待がパンパンになった状態で先行ロードショーに臨んだ。
本作は全編がIMAXフィルムで撮影された史上初の長編映画であるが、日本国内でIMAXのオリジナルサイズ(1:1.43)で見られる映画館は、グランドシネマサンシャイン池袋と109シネマズ大阪エキスポシティの2館のみ。
その他の映画館は、IMAXを名乗っていてもフルサイズではなく(1:1.90)、上下をカットして上映されることとなる。
こうまで言われると「池袋で見なきゃ!」と思わされてしまうが、ネット予約はカオスだった。
待ち構えて予約開始時刻に予約ページに入ろうとしたが、「混みあっているのでしばらくお待ちください」の表示が1時間近くも続き、一向に入れる気配がない。
このまま見られなくなるのも殺生だなぁということで、妥協して109シネマズ川崎のIMAXを予約した。
109川崎のIMAXに特筆すべき点はないが、とはいえ話題作だけあって当日の劇場は満席で、ちゃんと間に合うようには行ったんだけど、時間通りに入場できるか軽く焦ったほどの混雑だった。
こうした熱気を感じられることが、映画館で映画を見ることの醍醐味だと思う。
かくして待ちに待った『オデュッセイア』を鑑賞したが、個人的にはハマらなかった。
現代人の理解を越えた超展開の連続
内容は典型的な「行きて帰りし物語」、何せ原作が古典ですから。
トロイア戦争の英雄オデュッセウス(マット・デイモン)が、母国イタケーへの帰還に20年もの時間を要する。
有名な「トロイの木馬」って、神への供物を奇襲攻撃の手段として使うという、神様的にNGなやつだったらしく、そのため勝った側もいろいろ呪われてしまったのが原因らしい。
一方その頃母国イタケーでは、「もし俺が帰還しなければあたらしい旦那を探せ」というオデュッセウスの言葉が独り歩きし、残された王妃ペーネロペー(アン・ハサウェイ)の元に自称花婿候補が押し寄せては、連日連夜どんちゃん騒ぎを繰り広げている。
かれこれ10年近くもこの状態なのだから、さすがに追い返せやと思うのだが、古代ギリシアにおいては「客人をもたなさなければならない」という”ゼウスの掟”なるものがあり、ペーネロペーとしては不快な男達を迎え続けねばならないとのこと。
しかもこいつらの騒ぎ方が異常で、王子テレマコス(トム・ホランド)を挑発する、お城の家畜番(ジョン・レグイザモ)に無礼を働く、オデュッセウスが大事にしていた老犬を足蹴にするなど、「お客様は神様ですってレベルじゃなねぇぞ!」と言いたくもなってくるが、それでもこいつらには飯を振舞い続けなければならないらしい。
はい、ここまでの概要でお分かりの通り、この物語には「神様がどーのこーの」という超展開、現代人の理解を越えた謎のしきたりがメチャクチャ多い。
ギリシア神話がモチーフなのでそれは当たり前っちゃ当たり前なんだけど、かといって神様そのものを映し出すことがないので、体裁的には時代劇なのに、突然神様が介入してきて話の方向性が強引に変わるという、なんとも奇妙な体験をさせられることとなる。
クリストファー・ノーランの演出力をもって描かれるトロイ戦争などは確かにすごい。戦記物として圧巻のスペクタクルだ。
リアルに建造された巨大セットと大勢のエキストラを動員した往年の大作のような撮り方は、一周回って新鮮なんだけど、その流れで一つ目巨人とか、人を家畜に変える魔女とか出てくるもんで、「俺は一体何を見させられてるんだ」という気がしないでもない。
往年のレイ・ハリーハウゼン作品のように主要登場人物として神様をバンバン登場させて「オデュッセウスよ、お前に呪いをかけてやる!」とやるか、『トロイ』(2004年)のように神話的な要素を徹底的に排除して戦記ものとして再構築するか、どちらかの方向性しかなかったのに、ちょうど中間をいってしまったので、なんとも奇妙な味わいの映画となってしまったという印象。
そしてオデュッセウスが10年もの大冒険を経て帰還する物語かと思いきや、アクティブに動いていたのは最初の1年くらいで、残りの大部分はカリュプソ(シャーリーズ・セロン)に記憶を奪われ、二人で慎ましく生活していたという展開もカックンだった。
原作がそうなので仕方ないのだろうが、この辺りは豪快に変えても良かったんじゃないのかな。
記憶喪失だったオデュッセウスが徐々に記憶を取り戻すという、クリストファー・ノーランお得意の時間軸解体方式が取られているんだけど、本作においてその構成が功を奏していたかどうかは微妙。
話がまっすぐに進んでいかないことで大活劇としての勢いはなくなり、個別エピソードの羅列になった感もあり、時系列通りの話にした方がよかったんじゃないか。
時系列いじりがノーランの意匠ではあるので、そこに拘りがあるのかもしれないけども。
逆に現代的すぎるキャスティング
そんなわけで、中途半端に原作重視なのでうまくいっていない部分も多い一方で、現代風にめちゃくちイジりまくっていたのが登場人物の人種構成。
イーロン・マスクによる連日批判でも話題となったが、確かにこれは凄かった。
オデュッセウスの部下の半分が有色人種
当時の地中海の状況を考えるとアフリカ系や中東系がいるのは「まぁそうだったかもしれん」で済むけど、東洋人が混ざっているのは明らかに変だ。
イタケーの花婿候補の中にもセンター分けの東洋人が紛れ込んでたし
人種的多様性への配慮も結構なことだが、東洋人の俺が見てもおかしいんだから、そこまで配慮はしなくてもいいんだよ、ノーラン。
そして論争を呼んだヘレネ=ルピンタ・ニョンゴのキャスティングは、さすがにやりすぎだ。
ヘレネはスパルタの王妃である。
そして古代スパルタは徹底的な血統主義であり、それが強みであると同時に衰退も招いたという話は有名なので、そこにアフリカ系の王妃がいるのは違和感しかない。
こうした謎キャスティングのためにいらん雑念が加わってしまったことも、本作の感想を微妙にしている原因。
キャスティングでいえば、イタケーのパートは王妃役に元キャットウーマン(アン・ハサウェイ)、王子役に現役スパイダーマン(トム・ホランド)、嫌味な求婚者役に現役バットマン(ロバート・パティンソン)と、アメコミ映画出演者がズラっと揃えられている。
現代の神話とも言うべきアメコミ映画のキャストを使うことで、ギリシア神話との橋渡し役を期待したと考えられなくもないが、彼らの存在がそこまで「臭み消し」にもなっていなかったような・・・


コメント
細かい点ですが、原典については少し訂正が必要だと思います。まず「ゼウスの掟」のため求婚者を追い出せないというより、原典ではむしろ求婚者たち自身が歓待の規範を破る側として描かれています。
また、カリュプソの島に7年間留められるのは原典通りですが、ロータスで記憶を消される設定は映画独自の再構成です。
さらに非時系列構成もノーランだけの癖ではなく、原典自体が物語の途中から始まり、オデュッセウスが過去の冒険を長い回想として語る構成です。参考迄に宜しく。
知識面でのフォローをいただき、ありがとうございます
原作自体が回想形式だったんですね
ノーランが興味を持ったのも納得です
ファンタジー要素については、蓮の花を食べさせられて意識朦朧としているオデュッセウスが語ってる事なので、本当に起きた事なのか怪しい信頼出来ない語り部の作劇になっていると思います。
確かに、「オデュッセウスの脳内ではそうなってるだけ」の物語としてみることもできますね