【凡作】大逆転_コメディとは思えない陰鬱さ(ネタバレあり・感想・解説)

その他
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(1983年 アメリカ)
大富豪のデューク兄弟は、人の成功を決めるのは血筋か環境かという命題について、エリートのウィンソープを転落させ、彼の後釜にホームレスのバレンタインを据えることで、二人がどう変化するのかを観察するという実験を行う。

4点/10点満点 エディ・マーフィ以外に笑えるところがない

© Paramount Pictures Corporation

スタッフ・キャスト

監督はジョン・ランディス

1950年出身。60年代には高校を中退して20世紀フォックスのメールボーイとして働き、一時期はヨーロッパでスタントマンなど経験。1973年に帰国して、後に特殊メイク界の巨匠となるリック・ベイカーとともに類人猿が街を混乱に陥れるホラー・コメディ『シュロック』を自主映画として製作するなど、とにかくいろんなことをやってきた人でした。

1978年には低予算で、しかもR指定のコメディ映画『アニマル・ハウス』を監督し、1億4000万ドルもの興行成績を上げる大ヒット。これは2019年現在の貨幣価値に換算すると5億4000万ドルであり、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(2016年)の売上とほぼ同じくらいという猛烈な金額となっています。

80年代に入っても『ブルース・ブラザーズ』(1980年)、『狼男アメリカン』(1981年)と勢いが衰えることはなかったのですが、1982年7月にスピルバーグ製作のオムニバス映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』の撮影現場でヘリコプターの落下事故を起こし、主演のヴィック・モロー(1960年代にテレビドラマ『コンバット!』の主演で人気を博した俳優で、ジェニファー・ジェイソン・リーの父)と子役2人がローターに巻き込まれて死亡するという大惨事となりました。現在なら確実に作品がお蔵入りするところですが、結末を変更して完成させ、予定通りに公開されたのだから凄い時代だなと思います。

ランディスも映画界から干されることはなく、続く本作の企画も予定通りにこなしました。本作の撮影は1982年12月から1983年3月と事故から半年も経っていない時期であり、ランディスの精神的ダメージが癒えていなかったためか、コメディ映画とは思えないほど陰鬱な場面がいくつか見て取れます。

脚本は『ツインズ』のコンビ脚本家

ティモシー・ハリス&ハーシェル・ワイングロッドはコメディをメインとしているコンビ脚本家で、本作の主演でもあるダン・エイクロイドが再度主演した『花嫁はエイリアン』(1988年)、シュワルツェネッガー主演の『ツインズ』(1988年)、『キンダガートン・コップ』(1990年)を執筆しています。奇抜な着想こそ良いがそこから先の広がりがないという点がこのコンビ脚本家の特徴であり、シュワルツェネッガーとダニー・デヴィートが双子だったという序盤がすべての『ツインズ』、暴力警官が幼稚園の先生になったらという序盤がすべての『キンダガートン・コップ』などではその傾向が顕著に表れていました。

主演はサタデー・ナイト・ライブ出身のダン・エイクロイド

1975年にスタートしたバラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』のオリジナルメンバーの一人であり、コントやモノマネをこなしつつ、音楽が趣味だったこともあってジョン・ベルーシと共にブルース・ブラザーズを結成し、任期を博しました。1977年には『ダン・アイクロイドのひと目惚れ』で映画初主演。1980年にはテレビで演じたキャラクターをブローアップしたジョン・ランディス監督の『ブルース・ブラザーズ』が大ヒットしましたが、1982年3月に相棒のジョン・ベルーシを薬物の過剰摂取により亡くし、精彩を欠いていた頃に出演したのが本作でした。

共演は撮影時21歳のエディ・マーフィ

16歳でコメディアンとしての活動を開始し、19歳でサタデー・ナイト・ライブのレギュラー入り、21歳で『48時間』(1982年)に出演し大ヒットと、キャリア初期のエディ・マーフィは破竹の進撃をしていました。

当初バレンタイン役はベテランコメディアンのリチャード・プライヤーが演じる予定だったのですが、プライヤーが降板したために、当時エディ・マーフィをゴリ押ししていたパラマウントからジョン・ランディスに「これからスターになるガキがいる」とキャスティングの提案がありました。40代のプライヤーが考えられていたバレンタイン役に21歳のエディ・マーフィは若すぎるような気がするし、話題性優先で役柄との相性を考えないスタジオのゴリ押しによるキャスティングはうまくいかないことも多いのですが、本作においては珍しくこれが吉と出ています。

この頃のエディ・マーフィには実年齢を越えた芸達者ぶりと存在感があって、それは役柄との不一致という問題を凌駕しているのです。また、ジョン・ランディスやダン・エイクロイドに死というキーワードが付き纏っていた時期にあって、作品全体も陰鬱な方向に傾きかけていたのですが、パッと明るいエディ・マーフィの存在によってコメディ映画としての体裁が守られています。

なお、エディ・マーフィの初出演作である『48時間』もリチャード・プライヤーを想定して脚本が書かれていたようなのですが、テレビでエディ・マーフィを見かけたウォルター・ヒルが是非エディにやらせたいということで、キャスティングを変更したようです。

登場人物

  • ルイス・ウィンソープ3世(ダン・エイクロイド):若くしてデューク兄弟の商品先物取引会社の重役を務めるハーバード大卒のエリート。デューク兄弟の姪であるペネロープと婚約している。貧困層に対する偏見を持っており、道端で偶然ぶつかったバレンタインの身なりを見て泥棒だと早とちりし、警察に逮捕させた。その後、人の成功を決めるのは血統か環境かというデューク兄弟の実験台にされ、窃盗容疑と麻薬売買容疑をかけられて仕事も財産も婚約者も失った。
  • ビリー・バレンタイン(エディ・マーフィ):デューク兄弟の会社の周辺でベトナム帰還兵を装った物乞いをしているホームレス。ウィンソープの勘違いによって留置所に入れられたが、その際に社会の最底辺に居る人間ということでデューク兄弟の目に留まり、彼らの実験台になってウィンソープの地位を与えられた。
  • ランドルフ・デューク(ラルフ・ベラミー):商品先物取引会社を経営しているデューク兄弟の兄。ウィンソープの実力には懐疑的で、彼が優秀なのは環境が良かったためであり、ウィンソープの恵まれた地位に置けば誰だって彼と同等になれると主張する。
  • モーティマー・デューク(ドン・アメチー):デューク兄弟の弟。ウィンソープの実力を買っている。彼の実力は血筋によるもので、彼ならどんな環境に置かれても這い上がって来られるはずだと主張する。
  • オフィーリア(ジェイミー・リー・カーティス):街の娼婦。偶然出会ったビークスからの依頼でウィンソープに接触し、婚約者のペネロープの目の前で彼をヤクの売人に見立てる芝居をした。その後、行く先のなくなったウィンソープに付きまとわれて迷惑していたが、あまりに突飛な言動の数々から彼が本当に富裕層の人間であることを見抜き、窮地を脱した後には巨額の報酬を受け取るという約束の元に、彼の面倒を見ることにした。
  • コールマン(デンホルム・エリオット):デューク家の執事で、現在はウィンソープの世話をしている。デューク兄弟からの指示によりウィンソープを屋敷から追い出したが兄弟への忠誠心は薄く、バレンタインと共に戻って来たウィンソープを受け入れ、デューク兄弟への仕返しにも参加した。
  • クラレンス・ビークス(ポール・グリーソン):農務省の特別保安官で、デューク兄弟にインサイダー情報を売っている。またデューク兄弟の指示によりウィンソープに窃盗容疑と麻薬売買容疑がかかるよう仕向け、さらに警察署にいた娼婦のオフィーリアをウィンソープに接触させ、婚約者のペネロープからも切り離した。
  • ペネロープ・ウィザスプーン(クリスティーン・ホルビー):デューク兄弟の姪で、ウィンソープの婚約者。転落後にもウィンソープの潔白を信じかけたものの、ビークスの手が回ったオフィーリアがウィンソープをヤクの売人に仕立て上げる芝居をしたことから、彼に見切りをつけた。
  • ハーヴェイ(ジェームズ・ベルーシ):新年を迎える列車でゴリラの着ぐるみを着ていた男。演じるジェームズ・ベルーシはダン・エイクロイドの仕事仲間だった故ジョン・ベルーシの弟。

企画が本来持つポテンシャルが活かされていない

ほとんど出オチの映画になっている

本作の着想は極めて優れており、金持ちの転落劇と貧乏人の成り上がり劇、そして権力者への復讐劇という3つの物語を一つの映画に内包した構造になっており、うまく作れば一粒で三度おいしい映画にもなりえたはずの企画でした。しかし、前述した通りこの脚本家コンビは着想こそ良いものの、後に続く物語の構築を不得意としているために、金持ちと貧乏人を入れ替えるというワンアイデアのドタバタ劇に終わっています。日本のお笑いで言う出オチというやつです。ドーンと提示したワンアイデアで終わってしまうという。

また、本作はカルチャーギャップコメディでもあって、ホームレスが金持ちの世界に驚いたり、貧乏人を見下していた金持ちが庶民の意外な知恵や工夫に感心したりといった点にも面白さが宿ったはずなのですが、この点も訴求されていないので、もっといろいろやれたはずなのにと感じました。

社会考察が雑に流される

加えて、個人の成功を決めるものとは本人の資質なのか、環境なのかという興味深い社会考察もあったのですが、この部分もかなり雑なんですよね。バレンタインは先物取引の構造をちょっと教えられただけで一流のブローカーに変身してしまうし、教養あるウィンソープの転落の仕方はかなり極端。彼はオフィーリアの世話になっているのだから少なくとも寝食には困っていないはずなのに、腹を空かせて物を盗んだり、人目も憚らず食品にかぶりついたりといった展開は不合理だし行き過ぎでした。

全体に説得力に欠ける展開が多く、実際にエリートとホームレスを入れ替えてみたら本当にこんなことになるのではないかという一片のリアリティの醸成に失敗しているので、知的でなければならないテーマを扱っているのに、適当にやりすごされているような感覚を持ちました。

ウィンソープが悲惨すぎて笑えない

前述の通り、ジョン・ランディスは『トワイライトゾーン』の現場で起こしてしまった死亡事故の責任を追究され、映画監督が現場の事故に係る訴追の場に立たされるという映画史上初とも言われる厳しい環境下にあって、事故への責任と自身のキャリアがどうなっていくのか分からないという不安を抱えていました。また、ダン・エイクロイドはジョン・ベルーシを亡くした直後で、親友を失ったことの悲しみと、仕事上の相棒を失ってこれからどうやってキャリア形成していくのかという悩みの時期にありました。

二人は自分の築いてきたものが失われるという点でウィンソープの境遇を自己と同一視していたのか、彼の転落劇が過剰なまでに悲惨で笑えないレベルに達しています。チャップリンは悲劇と喜劇は紙一重と言いましたが、本作のウィンソープの悲劇に笑いどころはありません。身に覚えのない罪を着せられ、誰にも言い分を聞いてもらえず、留置所では暴力を受け、執事からは「あなたのことなど知らない」と言われる。サンタクロースの恰好をして会社のパーティに潜り込む様はまったく面白くなかったし、それまでの展開があまりに悲惨すぎて、彼が自殺を試みる場面も笑いどころにはなっていません。

ちょっと笑えないっす

コメディらしかったのはエディ・マーフィのみ

そんな中で、唯一気を吐いていたのがエディ・マーフィでした。彼が登場する場面にのみ、何か楽しいことが起こりそうなコメディ映画らしい空気が漂っており、特に後半の列車でビークスをハメる場面でのコントは彼の独壇場でした。「交換留学生のナンジャカンジャです(ゴールデン洋画劇場版の吹替)」と言ってコンパートメントに乗り込んで来て、謎のふさを振りながら、顔は満面の笑み。訳が分からんが、物凄いキャラの作り方だと感動してしまいました。続いてエイクロイドもアフリカ青年会議の仲間に扮して登場するのですが、ナンジャカンジャの迫力には完敗していました。

その他、構成の問題点

ただし、作品のハイライトとも言える列車でのコントも、構成のまずさから作品の重要な一部にはなりえていないんですよね。ウィンソープやバレンタインの扮装はすぐにビークスに見破られてしまい、銃を突きつけられて何もできないまま降参します。その後、発情したゴリラにビークスが襲われたことで偶然に危機を脱して計画が続行されるため、このパート全体が単発のコントになってしまっており、物語としてはまったくの無駄になっています。ゴリラのくだりをなくして、予定通り芝居でビークスを陥れるという展開にすべきだったと思うのですが。

また、デューク兄弟への復讐を成し遂げた後、ウィンソープとオフィーリアがくっつくのですが、これではウィンソープの婚約者であるペネロープが可哀そうです。彼女はウィンソープの潔白を信じかけていた善人であり、オフィーリアの芝居によってウィンソープを犯罪者だと信じてしまっただけなのだから、しっぺ返しの対象ではなく原状回復してあげるべき人だと思うのですが。

まとめ

笑いの中に鋭い社会考察があるわけでもなく、笑いという出口ありきの悲劇でもなく、コメディとは思えない重苦しい雰囲気がかなり異様でした。監督と主演俳優の両方が鬱の状態にあった上に、密度の薄いゆるゆるの脚本が来てしまったために、彼らの抱える心の闇がドバっと出たかのような内容となっています。唯一の救いはエディ・マーフィの奮闘であり、ブレイク中のスターの勢いがいかに凄いものであるかを思い知らされました。

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