(2015年 フランス)
ゲーム会社の社長であるミシェルは自宅に押し入って来た覆面の男に強姦されるが、過去の経験から不信感を抱く警察に通報することはなく、日常生活を続けていく。その後、覆面の男は身近な人間だという思いを強めていく。
1938年オランダ出身。名門ライデン大学で数学と物理学を学んだという映画監督としては変わり種で、オランダ海軍従軍中にドキュメンタリー制作に関わりました。1960年代にテレビ界入りし、『Wat Zien Ik?』(1971年)で映画監督デビュー。『ルトガー・ハウアー/危険な愛』(1973年)でアカデミー映画賞ノミネート、『娼婦ケティ』(1975年)がオランダで大ヒット、『女王陛下の戦士』(1977年)でゴールデングローブ賞ノミネートと短期間で国際的な評価を受けました。真偽のほどは定かではないのですが、彼の手腕に目を付けていたのがかのスティーヴン・スピルバーグで、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(1983年)の監督を探していた際に、バーホーベンを推薦しようとしていたとかしていなかったとか。
『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985年)でハリウッド進出。『ロボコップ』(1987年)でヒットメーカーの仲間入りをし、そのロボコップの主演候補の一人として接点のあったアーノルド・シュワルツェネッガーからの依頼で『トータル・リコール』(1990年)を監督して大ヒット。そのプロデューサーのマリオ・カサールの元で作った『氷の微笑』(1992年)が『トータル・リコール』をも上回る大ヒットとなったことから、ハリウッドのトップディレクターの一人となりました。
しかし、ピークを打った後にあったのは茨の道でした。マリオ・カサールと三度組んだ『ショーガール』(1995年)は興行的にも批評的にも失敗し、ラジー賞監督賞を受賞。バーホーベン×シュワルツェネッガー×マリオ・カサールのゴールデントリオの再結集作になるはずだった歴史大作”Crusade”は製作が難航した後に、カサールが経営するカロルコ社の倒産と、シュワの心臓手術によって企画が潰れました。VFXに史上最高額の予算を投入した『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997年)は業界人からの評価こそ高かったものの(タランティーノは年間ベスト映画に選んだ)、プロパガンダ映画のパロディという演出意図を一般客から理解されず、本物のプロパガンダ映画だと勘違いされて興行的に苦戦。『インビジブル』(2000年)は興行的にはまぁまぁの結果を残せたものの、同作によってスタジオシステムとの確執が決定的なものとなり、オランダへ帰国しました。
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1953年パリ出身。名門コンセルヴァトワールで演技を学び、1972年に映画デビュー。以降、2010年代に至るまで出演作が途切れた時期はなく、セザール賞では主演女優賞に14回ノミネートという史上最多記録を持っており、フランス国内では長期にわたってトップに君臨している大女優です。
本作で彼女が演じたミシェル役にバーホーベンが当初想定していたのはニコール・キッドマンだったのですが、非常にリスキーな役柄だったことからアメリカ人女優は軒並みこの役柄を演じたがらず、かつてバーホーベン監督のエログロ時代劇『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985年)に主演したジェニファー・ジェイソン・リーのみが関心を示したのですが、知名度の問題から起用には至りませんでした。加えて、作品の方向性を勘違いさせないためにはフランスでの撮影が最善と判断されたことから、フランスでトップの実績を持つユペールに役が回って来たという経緯があります。
ミシェルの設定年齢49歳に対して、撮影開始時点のユペールの年齢は62歳。しかもミシェルは若い男をも虜にする美魔女という設定までがあったのですが、これを演じるにあたっての違和感がまったくないユペールの美貌や、きっちりと体を作ってきた女優魂には驚かされました。研ナオコやザッケローニと同い年ですからね。
あまりに複雑なので、以下の図にまとめてみました。
タイトルの”ELLE”とはフランス語で彼女という意味であり、ミシェルという女性のドラマを描いた作品であることが分かります。
1970年代より一貫して、バーホーベンは節操のない人物達が織りなすドロドロのドラマを描いてきましたが、その真骨頂とも言える作品が本作です。作中で貞操観念らしきものを持っているのはアンナ、エレーヌ、レベッカくらいのものであり、その他はもうめちゃくちゃ。気晴らしに誰かの肉体を求めたり、別の誰かへの当てつけのために誰かとの関係を深めたりと、えらいことになっています。
まともな感性を持った観客にとっては感情移入できる人物がほとんどいない話であり、しかも彼らはやたらと込み入った複雑な関係性の中にあるのですが、これがつまらないどころか死ぬほど面白く、どうしようもない人間達のドロドロのドラマをいくらでも眺めていたいという気持ちにさせられました。どんな題材でも圧倒的に面白く見せきたポール・バーホーベンの演出力にはまったくの衰えがありません。加えて、これだけ複雑な図式があるにも関わらず、観客が大きく混乱することもないという抜群の構成力も披露しており、理解に務めなくても情報が勝手に頭の中に入ってくるような感覚を抱きました。
このドラマでは「本当の幸せって何だろう」みたいな薄甘いことを言っている人間はいません。自分の求めるものを勝ち取れるかどうかという単純な幸福論がそこにはあって、強い者は自分の要求をどんどん押し通していき、弱い者は強い者にしてやられるのみという荒っぽいドラマが形成されています。
主人公・ミシェルは強者の部類に入ります。彼女は身近な人間達の幸福を歓迎しておらず、それらをぶち壊してやりたいという衝動を持っており、年齢不相応の色気を武器にしてロベール&アンナ、リシャール&エレーヌ、パトリック&レベッカといった幸福な周辺カップルに侵食していきます。恐らくミシェル本人に自覚はなく、積極的に仕掛けていくということはないのですが、男性からのアプローチを受け入れるという形で従前の関係性をぶち壊して回っていく点が面白くもあり、怖くもあります。周辺に居たカップルは、物語の最後にはほぼ全滅していました。
そんなミシェルをも超えるほどの強者なのが、ヴァンサンの恋人のジョジーです。ヴァンサンを尻に敷き、明らかにヴァンサンの子ではない赤ん坊を出産してもどこ吹く風で、ヴァンサンへの当たり方を変えない。ヴァンサンはいくらでも掘れる穴だということをちゃんと認識しており、「お前がキレる立場じゃないだろ」と言いたくなるようなシチュエーションであっても、ジョジーの方が傍若無人な態度を取り続けています。最終的には、常に批判的だったミシェルにまでヴァンサンとの関係を認めさせたのだから、本当に大したタマだと思います。
※注意!ここからネタバレします。
と、強い奴はとことん強いという人間関係のバトルロイヤルを見せられた後に、意外なところに最強の人物がいたことが判明するラストのドンデンが素晴らしかったです。
周囲の人間がことごとく不幸になって満足したミシェルの満ち足りた姿で作品が締め括られるのかと思いきや、弱者だと思われた意外な人物が実はゲームの中心にいたことが判明します。それは、パトリックの妻のレベッカ。夫のパトリックが強姦魔だったことが判明し、何も知らなかった妻のレベッカはかわいそうねという扱いを受けるのですが、実はレベッカは暴力を振るわなければ満足できないというパトリックの性癖を従前より理解しており、しかし自分ではそんな要求に応えることはできないために、夫が強姦魔になって近所を荒らしていることを黙って見過ごしていたのです。自分以外の女性が犠牲になることで夫の欲求が満たされ、その上に自分と夫との幸せな生活が築かれるという構図を作り上げていた。強者と思われたミシェルと、弱者と思われたレベッカの力関係がここで一気に逆転するというドンデンには心底驚かされました。
圧倒的に面白く、エネルギッシュ。描写は刺激的だし、モラルのない物語に拒否反応を示す観客も一定数は出てきそうな作品なのですが、バーホーベンの作風を熟知している層にとっては、これぞバーホーベンに期待する内容だと満足できる作品ではないでしょうか。