(2019年 アメリカ)
FBIでデータ分析官の職に就くJJは、親友の死の真相を探るべくハーレムで独自捜査を開始したが、その際に、乳児期に別れたまま会ったことのない、ハーレムで長年探偵業を営む父を頼りにする。その父は、タフガイとしてハーレムで名高いジョン・シャフト2世だった。
本作は『シャフト』(2000年)の19年ぶりの続編という位置づけにあるのですが、『シャフト』(2000年)も『黒いジャガー』(1971年)のリメイクなので、ちょいと複雑。そこで、関連作の整理をしておきます。
現在までに製作されたシャフトの関連作品はこの5作品です。1973年にはテレビシリーズ化もされたのですが、さすがに追い切れないのでここでは割愛します。
1971年の『黒いジャガー』は映画史を変えた作品でした。郊外のアフリカ系アフリカ人をターゲットにした映画ジャンル”ブラックスプロイテーション”の始まりが同作とされているのです。また、アイザック・ヘイズが作詞作曲した『黒いジャガーのテーマ』はビルボード1位を獲得し、アカデミー歌曲賞を受賞しました。これは、演技部門以外でアフリカ系がアカデミー賞を受賞した初のケースとなりました。
『黒いジャガー/アフリカ作戦』は、後に『タワーリング・インフェルノ』(1975年)を手掛けるジョン・ギラーミン監督×スターリング・シリファント脚本という豪華メンツにより製作されています。これだけの人材を投下されるほど、当時のブラックスプロイテーションには勢いがあったということです。このジャンルは70年代のうちに下火になったものの、それまでは白人しか映っていなかった映画界に一大革命をもたらし、アフリカ系の人々がスクリーンに登場するきっかけになったと評価されています。
時を経た2000年にサミュエル・L・ジャクソン主演の『シャフト』としてリメイク。監督と脚本を務めたのは、『ボーイズ’ン・ザ・フッド』(1991年)でアフリカ系として初めてアカデミー賞監督賞にノミネートされた経験を持つジョン・シングルトンで大いに期待をされたものの、女を抱かないシャフトにガッカリする声が多く、シリーズ化する気満々だったものの結局一作だけで終わりました。
そして本作です。タイトルは2000年と同じく『シャフト』ですが、リブートではなく続編であり、『黒いジャガー』(1971年)とも『シャフト』(2000年)とも繋がった話となっています。分かりづらいので『シャフト2』とか『新シャフト』にしてくれれば良かったんですけどね。
1970年出身のアフリカ系アメリカ人の監督です。1991年に名門南カリフォルニア大学を卒業し、90年代後半にはミュージックビデオの監督として活躍。2002年に監督したコメディ映画『バーバーショップ』が1200万ドルという低予算に対して7500万ドルのヒットとなったことで注目され、フランス映画『TAXi』(1998年)のアメリカ版リメイク『TAXi NY』(2004年)を経て、マーベルコミックの原作を実写化した『ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]』(2005年)と、その続編の『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』(2007年)を監督しました。
1992年生まれ。10代より主にテレビドラマで活躍し、前作でウィル・スミスが演じたヒラー大尉の息子のディラン・ヒラー役で『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』(2016年)に出演しました。前作でのウィル・スミスの躍進を考えると、アッシャーも同作をきっかけにスター街道を走っても良かったのですが、作品自体の批評的・興行的不振の影響で彼のキャリアにもさして良い影響は出ませんでした。本作でようやく笑いと男らしさを両立したザッツ・エンターテイメントな個性を発揮できたと言えます。
先代、先々代は腕っぷしが強く、圧倒的な自信を持ち、悪党相手に「俺が誰か知ってるか?」と凄むような主張の強さが魅力だったのですが、シャフト家に触れずに育ったJJは正反対の性格。チンピラに対してはカツアゲに遭った進学校の生徒の如く下手に接し、喧嘩も銃も苦手。ハーレムの下町っぽさにも馴染んでいなくて、身なりを見るだけで子供から舐められるという有様です。
当然一人で捜査などできるはずもなく、特に親近感を抱いているわけでもない父親を頼りにします。通常のドラマでは、父親に捨てられたと思い込んできた息子が父親相手につっぱるという話にしそうなものなのですが、本作では特にこだわりもなく「使えるものは何でも使う」という発想で父親を頼りに行くという点が新しく感じました。
このJJですが、実はカポエイラのたしなみがあって酒を飲むと『ドランクモンキー 酔拳』(1978年)の如く強くなったり、実は射撃の名手で武装した3名の殺し屋をたった一人で射殺したりと、普段はナヨっているがいざとなると猛烈なスキルを解放させるという、『噂の刑事トミーとマツ』的な部分が古典的ながら楽しくもありました。
この通り、基礎的なスキルは持っているが、その温厚な性格のためにナヨっていたJJが、父や祖父との関わり合いの中で徐々にシャフト家の気質を目覚めさせ、最終的に正統な後継者へと成長していく様が作品の骨子となっており、キャラクター劇としては極めて面白く作られていました。シャフト家が登場する続編が今後作られるのであれば、ぜひ追いかけていきたいと思ったほどです。
前作『シャフト』(2000年)では、サミュエル演じるシャフトは超クールに描かれていたのですが、本作では時代錯誤的なマッチョとして描かれており、こちらもコメディリリーフとなっています。草食系の息子とは対照的な存在であり、「男は女が怒った時、ケツを踏みつける強さを持つべきだ」という女性蔑視的な発言をはじめとして、人種差別的発言、性的マイノリティを差別する発言を連発し、時代錯誤な頑固おやじぶりを炸裂させます。悪党の痛めつけ方も常軌を逸しており、すぐに暴力を振るう様が笑いを誘います。
ただし、男は強くあるべき、守る力を持つべきというマッチョイズムの良い面もきちんと描けており、いざという時に頼りになるシャフトは前作同様でした。時代の変化を織り込みつつも、昔ながらのかっこよさも残したという本作のアプローチは適切でした。
面白くないと言うよりは、途中でどうでも良くなるほど込み入っていると言うべきでしょうか。ハーレムのギャング、プエルトリコ系の経営者、イスラム教会、退役軍人の集まりが複雑に絡み合った陰謀が正体なのですが、あまりに話がややこしすぎるし、そのややこしさが作品の本質的な面白さにも繋がっていないので、探偵ものとしての楽しみはほとんどありませんでした。アクション・コメディというジャンルをとっているのだから直感的な面白さを追いかけるべきで、観客に無駄な頭を使わせる構成はまずかったと思います。
キャラクター劇としては非常に楽しく、ジョン・シャフト2世とJJに対してはすっかり親近感を抱きました。これで探偵部分も面白ければよかったのですが、話がもうひとつでしたね。