(2003年 アメリカ)
12年間も検討され続け、9名もの脚本家が関わった企画なので、作り手の思いが肥大化してしまった作品であるとの印象を持ちました。様々なアイデアが浮かび、いろいろやりたかったんだということは理解できるのですが、果たしてそれが観客の求めるところなのだろうかという肝心な部分が置いて行かれています。ただしそれだけ作り込まれているということので決してダメな映画ではなく、見る価値は十分にあります。
遺伝子学者のブルース・バナーは実験中の事故で致死量のガンマ線を浴びたが死ぬことはなく、それどころか免疫が改善され、巨大なモンスター・ハルクに変身するようになった。なぜ彼は致死量のガンマ線を受けても無事だったのか?なぜハルクに変身するようになったのか?
アン・リーは台湾出身で、アメリカで映画作りを学んだ監督であり、在学中にはスパイク・リーと知り合いになって彼の映画製作を手伝ったこともありました。監督としての評価は以下の通りズバ抜けており、世界中の権威ある賞はたいてい受賞したことがあります。
彼のキャリアのターニングポイントとなったのは2000年の『グリーン・デスティニー』であり、同作がアメリカで公開された外国語映画としては史上最高額の興行成績を上げたことで、従来の批評家受けだけの監督から、一般受けも狙える監督へと一皮向けたのでした。
本作の製作は難航していました。90年代から製作が報じられていたものの、監督候補者の名前が上がってくることはなく、肝いり企画の実現にあたってユニバーサルが相当慎重な人選をしていることが伺えたのですが、その期待を背負える監督として、アン・リーは十分な経歴を持っていました。そして、アン・リーは『ターミネーター3』(2003年)のオファーを断って、本作の監督に就任しました。
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クレジットされている脚本家は3名ですが、他にノークレジットで6名も関わっており、本作の脚本は非常に難航していました。マイケル・フランスによると、彼一人でも3稿を執筆したとのことなので、全員分を合わせると膨大な量だったことが推測されます。
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するために設立したVFXスタジオILM(Industrial Light & Magic)の設立間もない頃からのメンバーであり、当初の中心メンバーだったジョン・ダイクストラがルーカスと喧嘩別れした後にはILMの中心メンバーとして活躍。『アビス』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』といったVFX史のフラッシュポイントには常に彼の存在があり、8度ものアカデミー賞受賞歴を誇ります。これは存命中の人物としては最多受賞記録となっています。
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本作は90年代から検討されてきた企画であり、当時世界最高のVFXスタジオだったILMに視覚効果が発注され、その中でもトップの実績を持つデニス・ミューレンが直々に指揮を執っていたということで、いかに気合の入った企画であったかが伺えます。ミューレンがルーカスもスピルバーグも関わっていない映画の陣頭指揮を執ったのは、1991年の『ターミネーター2』以来のことです。
本作は、企画開始から完成までに12年を要しました。90年代初頭からユニバーサルは本作の企画をしていたものの、最初に障害となったのは技術でした。巨大化したハルクを動かすためにはかなり高度な技術が必要であり、なかなかこれを実現できなかったのです。本格的な製作作業に入る前からVFXには相当な投資をしており、1998年の時点でユニバーサルは2000万ドルも注ぎ込んでいました(『プレミア日本版』1998年11月号より)。
90年代半ばにおける爆発的なCGの発展により技術的な問題は克服できたのですが、次に問題になったのが製作費。概算予算が1億ドルを越えたため、1998年にいったん企画は凍結されました。その後、2000年に20世紀フォックスの『X-MEN』が全世界で3億ドル近くを稼ぎ出す大ヒットとなったことから、膨大な製作費をかけてもそれをカバーするだけの売上高を見込めるということとなって、本作の製作にゴーサインが出ました。最終的にかかった製作費は1億3400万ドルであり、これは7500万ドルだった『X-MEN』の倍近い金額でした。しかし本作の売上高は『X-MEN』を下回る2億4500万ドルであり、結果はなかなかの苦戦でしたが。
コミック風のバカバカしさやケバケバしさを意図的に採り入れた1997年の『バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲』の批評的・興行的苦戦から、以降のアメコミの実写化企画はリアリティ路線に振り切れていました。本作もそんな流れの中で製作された作品であり、しかも監督は1997年に暗い暗いホームドラマ『アイス・ストーム』を撮ったアン・リー。振り切れすぎでした。
父・デヴィッドは4歳のブルースを殺そうとして誤って妻を殺すし、当のブルースは感情表現を不得意とする根暗な人間。成長したブルースはデヴィッド、ロス将軍、タルボットの3人からいたぶられるも何もできず、ストレスがピークに達したところでハルクが暴れるのですが、そのハルクの大暴れにも明確な目的やゴールがないので、余計にブルースの立場が悪くなっていくという悪循環。ここまでくるとリアリティ路線どころではなく、悲惨過ぎて見ていられない話になっています。
また、ナノメットの実験が失敗して破裂するカエルや、メスでヒトデが切られる描写、またかわいいワンちゃん達がデヴィッドに改造されて化け物になるなど、動物の扱いがなかなかエグくて気持ち悪かった点もマイナスでした。全体的に生々しいんですよね。クリストファー・ノーランのようなクールなリアリティならば歓迎ですけど、コミックらしからぬ生々しさは観客の期待するところではありませんでした。
ブルースをハルクに変えた技術は原作や後のMCUでは単にガンマ線の照射と説明されるのですが、本作ではその上にナノメットという技術も絡んでくるため、二つの技術が入り乱れて設定が分かりづらくなっています。しかも、ナノメットには30年前にデヴィッドが研究していたものと、現在ブルースが研究しているものの2つが存在しており、ブルースには生まれる前から遺伝子に変異が起こっていたことなど、テクノロジーの説明が非常に込み入っています。
意図するところは分かるんですよ。単にガンマ線の照射のみであれば軍はハルク2号を簡単に生み出せてしまうという理屈になるので、そこに別の技術や遺伝子レベルの変異までを入れることで、再現を困難にしたかったのだと思います。ただし観客側は、テクノロジー描写にそこまで厳密なことは求めていないんですよ。ガンマ線とかナノメットなんて、ぶっちゃけどうでもいいのです。何かいろいろあってハルクという化け物が出来上がったという話でも納得してくれるのに、どうでもいい部分に神経を使いすぎなのです。
その結果、観客に対して余計に頭を使わせることになっているし、しかもその難しさがハルクという企画の本質的な面白さには繋がっていないことから、無駄でしかない枝葉となっています。その結果、原作では2ページ目でガンマ線照射事故、4ページ目でハルクに変身という超スピード展開だったものが、本作ではハルク登場までにたっぷり40分も使うという観客に対する拷問みたいな構成となっています。これは失敗でした。
作品はデヴィッドとロスの30年前のエピソードからスタートするのですが、肝心な部分が曖昧にされたまま、ブルースとベティの現在パートへと移行します。30年前に一体何が起こったのかというミステリーが作品の横糸になっているようなのですが、これが作り手の意図するほど面白くないんですよね。観客にとっての関心の対象はハルクになった後であって、ハルクになる前のブルースの、そのさらに30年前に何があったのかなんて、ぶっちゃけどうでもいいのです。
そのどうでもいい部分を勿体ぶって隠すものだからイライラさせられるし、ただでさえテクノロジーの前提がややこしいのに、その上ドラマまでシンプルに進んで行かないので、多くの観客が脱落していく要因となっています。
あと、ネタバラシ後に何のサプライズもなかったこともマイナスでした。後半で明らかになった情報とは、デヴィッドが4歳のブルースを殺そうとしていたことと、誤って妻エディスを殺してしまったことの二つだけで、ほとんどの観客の推理を越えていませんでした。また、緑色の爆発が一体何だったのかは、最後まで分からず仕舞いでした。
本作でブルースの前に立ちはだかるのはタルボット、ロス将軍、父デヴィッドの3人なのですが、3人も敵を登場させてしまったことで話が一直線に流れて行かず、焦点がブレてしまっています。誕生編での敵は一人に絞り、続編以降で敵の数を増やしていけばよかったのに、なぜこんなややこしいことにしたのでしょうか。
しかも、ラスボス格のデヴィッドの行動原理がサッパリ分からないんですよね。幼少期のブルースを殺そうとしていたんだから、現在でも自分の研究の副産物であるブルースの抹殺を目的にしているのかと思いきや、「息子よ、一緒に頑張ろう」とか言ってるし、その割にはモンスター化したワンちゃん達にベティを襲わせたりと、そんなことをしてブルースが付いてくるわけないだろみたいな余計なことしかしないし。
そして、ブルースと組んで一体何を達成したいのかと言うと、米軍は世界中に戦争を仕掛ける悪い奴らだから、俺らがそれを倒すんだという、分かったような分からないような突飛な話をし始める始末。加えて、デヴィッドに対するブルースの感情というものがまるで描写されないので、ブルースとデヴィッドの親子関係という作品の重要な構成要素が死んでしまっています。
デヴィッドとブルースの最終決戦もイマイチでした。デヴィッドが突如エネルギー体に変異し、水や岩石などの無機物に次々と姿を変えるというハルクを上回るモンスターと化すのですが、これがあまりに突然すぎる展開で置いて行かれそうになったし、どうすればこのデヴィッドに勝つことができるのかという勝敗ラインの提示もないので、訳の分からんまま戦いが始まって、何だかよく分からないけどブルースが勝ったという、何の感情も乗っからない最終決戦となっています。