(2003年 アメリカ)
12年間も検討され続け、9名もの脚本家が関わった企画なので、作り手の思いが肥大化してしまった作品であるとの印象を持ちました。様々なアイデアが浮かび、いろいろやりたかったんだということは理解できるのですが、果たしてそれが観客の求めるところなのだろうかという肝心な部分が置いて行かれています。ただしそれだけ作り込まれているということので決してダメな映画ではなく、見る価値は十分にあります。
あらすじ
遺伝子学者のブルース・バナーは実験中の事故で致死量のガンマ線を浴びたが死ぬことはなく、それどころか免疫が改善され、巨大なモンスター・ハルクに変身するようになった。なぜ彼は致死量のガンマ線を受けても無事だったのか?なぜハルクに変身するようになったのか?
スタッフ
監督はオスカー受賞者アン・リー
アン・リーは台湾出身で、アメリカで映画作りを学んだ監督であり、在学中にはスパイク・リーと知り合いになって彼の映画製作を手伝ったこともありました。監督としての評価は以下の通りズバ抜けており、世界中の権威ある賞はたいてい受賞したことがあります。
- ウェディング・バンケット(1993年):ベルリン映画祭金熊賞
- いつか晴れた日に(1995年):ベルリン映画祭金熊賞
- グリーン・デスティニー(2000年):アカデミー外国語映画賞、アカデミー監督賞
- ブロークバック・マウンテン(2005年):アカデミー監督賞、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞
- ラスト、コーション(2007年):ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞
- ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2012年):アカデミー監督賞
彼のキャリアのターニングポイントとなったのは2000年の『グリーン・デスティニー』であり、同作がアメリカで公開された外国語映画としては史上最高額の興行成績を上げたことで、従来の批評家受けだけの監督から、一般受けも狙える監督へと一皮向けたのでした。
本作の製作は難航していました。90年代から製作が報じられていたものの、監督候補者の名前が上がってくることはなく、肝いり企画の実現にあたってユニバーサルが相当慎重な人選をしていることが伺えたのですが、その期待を背負える監督として、アン・リーは十分な経歴を持っていました。そして、アン・リーは『ターミネーター3』(2003年)のオファーを断って、本作の監督に就任しました。
ターミネーター3【良作】ジョン・コナー外伝としては秀逸(ネタバレあり・感想・解説)
関わった脚本家は合計9名
クレジットされている脚本家は3名ですが、他にノークレジットで6名も関わっており、本作の脚本は非常に難航していました。マイケル・フランスによると、彼一人でも3稿を執筆したとのことなので、全員分を合わせると膨大な量だったことが推測されます。
- ジェームズ・シェイマス:1991年の『推手』から2009年の『ウッドストックがやってくる!』までアン・リーのパートナーとして脚本・プロデュースを務めてきた人物。リーのブレーン的な存在なのですが、アン・リー作品で評価されるのは監督ばかりで脚本賞に引っかかることがほとんどないので、シェイマス自身は無冠という悲しいことになっています。『いつか晴れた日に』と『ブロークバック・マウンテン』くらいですかね、脚本が評価されたアン・リー作品は。しかしこれらに限ってシェイマスはプロデュースのみを手掛け、脚本には関わっていません。何たる間の悪さ、運の悪さでしょうか。2019年現在は映画界から離れてコロンビア大で教鞭を執っているようです。
- マイケル・フランス:名字はフランスでも出身はフロリダ。多くの大作に関わってきた職人肌の脚本家であり、若い頃から大作で名前がクレジットされていたほどの実力を持っています。1993年の『クリフハンガー』で注目され、1995年には権利裁判で長期の凍結状態にあった007の6年ぶりの新作『ゴールデン・アイ』の脚本家に抜擢されて大ヒットを記録。ノークレジットながら1999年の『ワールド・イズ・ノット・イナフ』の初期稿も執筆しています。本作後にはマーベル御用脚本家の一人となり、トーマス・ジェーン版の『パニッシャー』や、ジェシカ・アルバ版の『ファンタスティック・フォー』の脚本を執筆しています。2013年に51歳で死去。
クリフハンガー【凡作】見せ場は凄いが話が悪い(ネタバレあり・感想・解説) - ジョン・ターマン:ダスティン・ホフマン主演の『卒業』やエドワード・ノートン主演の『アメリカン・ヒストリーX』で有名なプロデューサー、ローレンス・ターマンの息子。本作前にはテレビ界で脚本家としており、本作後には2007年の『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』に参加した以外は、テレビ界に出戻っています。
- ジョナサン・ヘンズレイ:ノークレジットで参加。本作のプロデューサーの一人であるゲイル・アン・ハードの夫であり、1997年に本作の初期稿を執筆しました。彼が注目を浴びたのは『サイモン・セズ』というアクションスリラーの脚本を執筆したことであり、これは手を加えられて1995年に『ダイ・ハード3』となりました。90年代後半には職人的な脚本家としてハリウッドで重宝され、『ジュマンジ』(1995年)、『セイント』(1997年)と手掛けてきました。丁度その頃、奥さんのゲイル・アン・ハードが企画していた地球に隕石が落ちてくる話に、自身が執筆していた油田火災消化のエキスパートの話を組み合わせて一本の映画にするという奇抜なことを考え付き、これが1998年の『アルマゲドン』となったのでした。
アルマゲドン【凡作】酷い内容だが力技で何とかなっている(ネタバレなし・感想・解説) - ザック・ペン:ノークレジットで参加。今やアメコミ映画界の重鎮であり、『X-MEN2』『インクレディブル・ハルク』『アベンジャーズ』などを執筆しており、またスピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』の脚色も行っていますが、本作製作時点では1993年に『ラスト・アクション・ヒーロー』をコケさせたくらいしか実績がありませんでした。
ラスト・アクション・ヒーロー【凡作】金と人材が裏目に出ている(ネタバレあり・感想・解説) - J・J・エイブラムス:ノークレジットで参加。今やハリウッドのトップクリエイターであるJ・J・エイブラムスですが、本作製作当時はテレビ界を中心に活躍しており、その最中に『アルマゲドン』の手直しをしたり、映画化されなかった『スーパーマン』の脚本を書いたりしていました。
アルマゲドン【凡作】酷い内容だが力技で何とかなっている(ネタバレなし・感想・解説) - スコット・アレクサンダー&ラリー・カラゼウスキー:ノークレジットで参加。80年代末から2010年代まで一線で活躍している息の長い脚本家コンビであり、笑いと哀愁を兼ね備えた人間ドラマを得意としています。『エド・ウッド』(1994年)、『ラリー・フリント』(1996年)、『マン・オン・ザ・ムーン』(1999年)、『ビッグ・アイズ』(2014年)が代表作。2014年にはO・J・シンプソン事件を描いた『アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件』でエミー賞4部門受賞。
- デヴィッド・ヘイター:ノークレジットで参加。『X-MEN』シリーズや『ウォッチメン』などアメコミ映画の脚本家。またステルスゲーム『メタルギア』シリーズの英語版でのスネークの声を担当しています。
視覚効果は重鎮デニス・ミューレン
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』を製作するために設立したVFXスタジオILM(Industrial Light & Magic)の設立間もない頃からのメンバーであり、当初の中心メンバーだったジョン・ダイクストラがルーカスと喧嘩別れした後にはILMの中心メンバーとして活躍。『アビス』『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』といったVFX史のフラッシュポイントには常に彼の存在があり、8度ものアカデミー賞受賞歴を誇ります。これは存命中の人物としては最多受賞記録となっています。
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ターミネーター2【良作】興奮と感動の嵐!ただしSF映画としては超テキトー(ネタバレあり、感想、解説)
本作は90年代から検討されてきた企画であり、当時世界最高のVFXスタジオだったILMに視覚効果が発注され、その中でもトップの実績を持つデニス・ミューレンが直々に指揮を執っていたということで、いかに気合の入った企画であったかが伺えます。ミューレンがルーカスもスピルバーグも関わっていない映画の陣頭指揮を執ったのは、1991年の『ターミネーター2』以来のことです。
プロダクション
製作前段階ですでに2000万ドルを投資
本作は、企画開始から完成までに12年を要しました。90年代初頭からユニバーサルは本作の企画をしていたものの、最初に障害となったのは技術でした。巨大化したハルクを動かすためにはかなり高度な技術が必要であり、なかなかこれを実現できなかったのです。本格的な製作作業に入る前からVFXには相当な投資をしており、1998年の時点でユニバーサルは2000万ドルも注ぎ込んでいました(『プレミア日本版』1998年11月号より)。
アメコミブームに乗っての本格始動
90年代半ばにおける爆発的なCGの発展により技術的な問題は克服できたのですが、次に問題になったのが製作費。概算予算が1億ドルを越えたため、1998年にいったん企画は凍結されました。その後、2000年に20世紀フォックスの『X-MEN』が全世界で3億ドル近くを稼ぎ出す大ヒットとなったことから、膨大な製作費をかけてもそれをカバーするだけの売上高を見込めるということとなって、本作の製作にゴーサインが出ました。最終的にかかった製作費は1億3400万ドルであり、これは7500万ドルだった『X-MEN』の倍近い金額でした。しかし本作の売上高は『X-MEN』を下回る2億4500万ドルであり、結果はなかなかの苦戦でしたが。
登場人物
バナー家
- デヴィッド・バナー(ニック・ノルティ):ブルースの父。若い頃には軍で免疫力を高めるための研究をしていたが、最終段階での人体実験を当時の上司であるロスに禁じられ、自分自身を実験台にしていた。そんな折に妻・エディスが妊娠し、ブルースが誕生。その後はブルースのサンプルを研究対象にしていたが、そのことがロスにバレて軍から追放された。直後にブルースの不幸な将来を案じて4歳の我が子を殺そうとしたところ、揉み合いになって妻を殺してしまい、一連の事件を隠蔽しようとしたロスによって30年間の監禁状態に置かれた。監禁が解かれた後には、成長したブルースの勤務する研究所に清掃員として潜り込んだ。
- エディス・バナー(カーラ・ブオノ):ブルースの母でデヴィッドの妻。4歳のブルースを殺そうとしたデヴィッドを止めに入り、誤って殺された。
- ブルース・バナー/ハルク(エリック・バナ):父・デヴィッドが自分自身を実験台に研究をしていた時にできた子であるため、生まれながらに遺伝子の変異が起こっている。父が母を殺したことから里親に育てられたが、里子に出される前の記憶は綺麗サッパリ失われている。現在は遺伝子学者として研究所勤務で、奇しくも父・デヴィッドと同じく回復力を上げるナノメットという技術の研究をしている。実験中の事故で致死量のガンマ線を浴びたが、死ぬどころか体の回復力が向上し、ハルクに変身するようになった。変身のコントロールはできない。
ロス家
- ロス将軍(サム・エリオット):禁じたはずの人体実験を行った末に奥さんを殺したデヴィッドを30年間幽閉した。ブルースがデヴィッド・バナーの息子だと知って警戒し、ナノメット研究の中止と娘・ベティへの接触禁止をブルースに命令した。ブルースがハルクになった後には、ハルク対策の陣頭指揮を執った。原作では「サンダーボルト」の異名を持つほどの異常者レベルのタカ派軍人だが、本作では割かしマトモな人間として描かれている。
- ベティ・ロス(ジェニファー・コネリー):ロス将軍の娘だが、親子仲は悪い。研究者としてブルースと同じ研究室に所属しており、二人はかつて恋仲にあった。別れた今でも関係は良好で、仕事上のパートナーであり良き友人でもある。ただし、イケメンのタルボットを嫌い、コミュ障気味の変人・ブルースに惹かれるという彼女の特殊な好みが、事態をこじらせる一因となっている。ハルクに変身したブルースをなだめることができる唯一の人物。
その他
- グレン・タルボット(ジョシュ・ルーカス):ベティの大学時代の同窓であり、ブルースとベティに横恋慕している。元は軍人だったが現在は退役し、軍の研究を下請けする民間研究機関・エイジオンの重役となっている。ブルースとベティが研究しているナノメットの軍事転用を考えており、平和的な提携に応じないのであれば敵対的買収をしてでも技術を手中にすると脅しをかけてくる。ハルクとして覚醒したブルースへの人体実験を軍から委託され、ブルースに対して公私混同した拷問を仕掛けてハルクに逆襲される。
感想
コミックの映画化にしては生々しすぎる
コミック風のバカバカしさやケバケバしさを意図的に採り入れた1997年の『バットマン&ロビン/Mr.フリーズの逆襲』の批評的・興行的苦戦から、以降のアメコミの実写化企画はリアリティ路線に振り切れていました。本作もそんな流れの中で製作された作品であり、しかも監督は1997年に暗い暗いホームドラマ『アイス・ストーム』を撮ったアン・リー。振り切れすぎでした。
父・デヴィッドは4歳のブルースを殺そうとして誤って妻を殺すし、当のブルースは感情表現を不得意とする根暗な人間。成長したブルースはデヴィッド、ロス将軍、タルボットの3人からいたぶられるも何もできず、ストレスがピークに達したところでハルクが暴れるのですが、そのハルクの大暴れにも明確な目的やゴールがないので、余計にブルースの立場が悪くなっていくという悪循環。ここまでくるとリアリティ路線どころではなく、悲惨過ぎて見ていられない話になっています。
また、ナノメットの実験が失敗して破裂するカエルや、メスでヒトデが切られる描写、またかわいいワンちゃん達がデヴィッドに改造されて化け物になるなど、動物の扱いがなかなかエグくて気持ち悪かった点もマイナスでした。全体的に生々しいんですよね。クリストファー・ノーランのようなクールなリアリティならば歓迎ですけど、コミックらしからぬ生々しさは観客の期待するところではありませんでした。
テクノロジー描写が厄介
ブルースをハルクに変えた技術は原作や後のMCUでは単にガンマ線の照射と説明されるのですが、本作ではその上にナノメットという技術も絡んでくるため、二つの技術が入り乱れて設定が分かりづらくなっています。しかも、ナノメットには30年前にデヴィッドが研究していたものと、現在ブルースが研究しているものの2つが存在しており、ブルースには生まれる前から遺伝子に変異が起こっていたことなど、テクノロジーの説明が非常に込み入っています。
意図するところは分かるんですよ。単にガンマ線の照射のみであれば軍はハルク2号を簡単に生み出せてしまうという理屈になるので、そこに別の技術や遺伝子レベルの変異までを入れることで、再現を困難にしたかったのだと思います。ただし観客側は、テクノロジー描写にそこまで厳密なことは求めていないんですよ。ガンマ線とかナノメットなんて、ぶっちゃけどうでもいいのです。何かいろいろあってハルクという化け物が出来上がったという話でも納得してくれるのに、どうでもいい部分に神経を使いすぎなのです。
その結果、観客に対して余計に頭を使わせることになっているし、しかもその難しさがハルクという企画の本質的な面白さには繋がっていないことから、無駄でしかない枝葉となっています。その結果、原作では2ページ目でガンマ線照射事故、4ページ目でハルクに変身という超スピード展開だったものが、本作ではハルク登場までにたっぷり40分も使うという観客に対する拷問みたいな構成となっています。これは失敗でした。
ミステリー要素が不要
作品はデヴィッドとロスの30年前のエピソードからスタートするのですが、肝心な部分が曖昧にされたまま、ブルースとベティの現在パートへと移行します。30年前に一体何が起こったのかというミステリーが作品の横糸になっているようなのですが、これが作り手の意図するほど面白くないんですよね。観客にとっての関心の対象はハルクになった後であって、ハルクになる前のブルースの、そのさらに30年前に何があったのかなんて、ぶっちゃけどうでもいいのです。
そのどうでもいい部分を勿体ぶって隠すものだからイライラさせられるし、ただでさえテクノロジーの前提がややこしいのに、その上ドラマまでシンプルに進んで行かないので、多くの観客が脱落していく要因となっています。
あと、ネタバラシ後に何のサプライズもなかったこともマイナスでした。後半で明らかになった情報とは、デヴィッドが4歳のブルースを殺そうとしていたことと、誤って妻エディスを殺してしまったことの二つだけで、ほとんどの観客の推理を越えていませんでした。また、緑色の爆発が一体何だったのかは、最後まで分からず仕舞いでした。
敵が多すぎて話が散漫になっている
本作でブルースの前に立ちはだかるのはタルボット、ロス将軍、父デヴィッドの3人なのですが、3人も敵を登場させてしまったことで話が一直線に流れて行かず、焦点がブレてしまっています。誕生編での敵は一人に絞り、続編以降で敵の数を増やしていけばよかったのに、なぜこんなややこしいことにしたのでしょうか。
しかも、ラスボス格のデヴィッドの行動原理がサッパリ分からないんですよね。幼少期のブルースを殺そうとしていたんだから、現在でも自分の研究の副産物であるブルースの抹殺を目的にしているのかと思いきや、「息子よ、一緒に頑張ろう」とか言ってるし、その割にはモンスター化したワンちゃん達にベティを襲わせたりと、そんなことをしてブルースが付いてくるわけないだろみたいな余計なことしかしないし。
そして、ブルースと組んで一体何を達成したいのかと言うと、米軍は世界中に戦争を仕掛ける悪い奴らだから、俺らがそれを倒すんだという、分かったような分からないような突飛な話をし始める始末。加えて、デヴィッドに対するブルースの感情というものがまるで描写されないので、ブルースとデヴィッドの親子関係という作品の重要な構成要素が死んでしまっています。
デヴィッドとブルースの最終決戦もイマイチでした。デヴィッドが突如エネルギー体に変異し、水や岩石などの無機物に次々と姿を変えるというハルクを上回るモンスターと化すのですが、これがあまりに突然すぎる展開で置いて行かれそうになったし、どうすればこのデヴィッドに勝つことができるのかという勝敗ラインの提示もないので、訳の分からんまま戦いが始まって、何だかよく分からないけどブルースが勝ったという、何の感情も乗っからない最終決戦となっています。
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