レッド・ブレイク_ダイ・ハード×コマンドー×リーサル・ウェポン÷1億【2点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

(2021年 アメリカ)
80年代アクションを21世紀のポリコレでコーティングしたような映画だが、企画倒れもいいところで何一つ面白くない。こんなにくだらない映画は本当に久しぶりだった。

感想

出張中のホテルで暇つぶしに見た映画②

前回記事『クリーン ある殺し屋の献身』に続く、名古屋出張編第2弾。

前日は残業が長引きすぎて名古屋飯のラストオーダーに間に合わなかったが、本日は20:30に仕事を終えたので、選択肢は十分残っている。

「いっちゃんメジャーなものを食おう」というわけで、矢場とんに入店して名物わらじとんかつ定食を注文した。

味に猛烈に飽きた昨日の鉄板ナポリタンの教訓から、味噌とソースの2種かけを選択。万全である。

確かに味噌カツはうまかった。ただし端っこが筋っぽかったり、2種かけと言いつつソース味の方にも味噌だれが流れ込んできて、結局全部が味噌味になったりと、多少の不満は残った。

まぁ昨日の鉄板ナポリタンよりは格段の進歩を遂げたのでいいか。

ホテルに戻ってもまだ22:00前だったので、昨日に引き続き無料視聴できる映画のラインナップを漁って、本作を発見した。

中央にジョン・マルコヴィッチがドーン!というジャケットの安心感が違う。

マルコヴィッチと言えば、『シェルタリング・スカイ』(1990年)や『ザ・シークレット・サービス』(1993年)で演技派として高い評価を受ける一方、『コン・エアー』(1997年)のような僕らの大好物にも気取らず出演してくれる信頼できる御仁。

若ハゲが奏功してか30年間ほとんど見た目が変わっていないので、本作のようなVシネマに出演しても落ちぶれた感じがしない。

2日目はこれで行くことにした。

80年代アクション×ポリコレ

ただし見始めて早々にガッカリしたのは、マルコヴィッチは脇役だということ。

主演は『ワイルド・スピード』シリーズのタイリース・ギブソンで、製作を兼ねるほど本作に思い入れがあるらしい。

タイリースが演じるのは海兵隊上がりの男カイルで、退役後の現在は年頃の娘と二人暮らしという、なんとも『コマンドー』(1985年)なライフを送っている。

ただし生活は順風満帆というわけでもなく、戦場での記憶がフラッシュバックするPTSDに悩まされており、メンタルは荒れ気味。奥さんを失ってめそめそしているという『リーサル・ウエポン』(1987年)的な設定も置かれている。

そんなカイルの義理の父親(=母親の再婚相手)がジョン・マルコヴィッチ扮するサムであり、サムはスーパーを経営する地元の名士である上に、政界進出にも成功して下院議員を務めている。

そして、サムの経営するスーパーが武装集団に占拠され、その場に居合わせたカイル達が人質にされるという『ダイ・ハード』(1988年)的な物語が本作のメインプロットとなる。

この通り80年代アクション映画の落穂ひろい的な作品であり、日曜洋画劇場に育てられた私のために作られたような作品だと感じた。

大勢に受け入れられる作品でこそないが、ターゲットにはハマるジャンル映画の一種であろうと思って見ていたのだが、これが驚くほど面白くなくてびっくりした。

ダイ・ハード的アクションの醍醐味とは、厳しい敵の監視網をかいくぐっていかに反撃に持ち込むかなのだが、本作の武装集団は阿呆揃いで監視体制がゆるゆる。人質たちは割かし自由に動き回っている。

しかも人手が致命的に不足しているためにスーパー内全域を制圧することができず、そこら中に人質たちの隠れ場所があるという、主人公目線だと超イージーモードの籠城戦となっている。

これで手に汗握ることなどできるはずがない。

またカイルは娘のために戦うのかと思いきや、今日会ったばかりのマニーという少年の保護に重きが置かれていくので、主人公の動機や戦いの目的にも腹落ちがしなかった。

そしてアフリカ系のタイリースの義父がマルコヴィッチという、違和感あり過ぎのキャスティングの時点でお察しの通り、人種的多様性という昨今のハリウッドの流行り要素もかなり雑な形で織り込まれているので、余計に収拾がつかなくなっている。

人質にはアフリカ系、ラテン系などがいて、彼らにはそれぞれのドラマがある。タイリースは出演作『ワイルド・スピード』シリーズのような人種の壁を越えた連帯、疑似的な家族関係の描写を目指していたようだ。

対して武装集団は典型的な貧乏白人で、自分の人生がつまらないのは自分以外の誰かが悪いせいだと信じているようなクソ野郎として描かれている。

そして人質側にも白人がいるんだけど、こいつらは一時的に犯人に加担したり、窮地においてゲスな本性を暴露したりと、これまたロクでもない人間として描かれている。

ミニマルな舞台を社会の縮図として見立てた人種のるつぼ的なドラマが指向されていたのだろうが、いかんせん構成力や演出力が追い付いていなさすぎで、すべてが破綻している。

その結果、有色人種は良い奴、白人は悪い奴という恐ろしく差別的な話になっているので、見ていてしんどかった。

マルコヴィッチは良い奴なんだか悪い奴なんだか

犯人グループのリーダーはイーガン(クリストファー・バッカス)という男で、彼の父はサムの元共同経営者だったという。

しかしサムに裏切られて父は刑務所に入り、里子に出されたイーガン自身の人生も滅茶苦茶になってしまったので、サムから金を奪った上で、彼の城であるスーパーを爆破すると言う。

一方、サム本人はイーガンの主張を真っ向から否定する。

こうした流れをとる以上、サムの過去にいったい何があったのかが重要な謎解き要素になると思うのだが、驚いたことに、事の真相ついては最後まではっきりしないまま、映画は終わってしまう。

作り手側が途中からどうでもよくなってしまったのだろうか?尻切れ感がすごかった。

こんなにグダグダで、最終的に辻褄合わせをしようとする気持ちすら捨ててしまった映画には、久しぶりにお目にかかった。

兎にも角にもサムは社会的信頼を失ったような終わり方をするんだけど、息子のカイルだけは「今まで塩対応ですまなかった。今度バーベキューやろうぜ」と言ってサムとの関係回復を望む。

結局、サムって良い奴だったのか、悪い奴だったのかすら判然としない。

近年まれにみるアクションの駄作なので、ツッコミを入れながら見れば楽しめるかもしれない。

言わんドラゴ

脱サラして公認会計士資格をとったものの、組織人であるうちはサラリーマンと大差なく、かといって独立開業する踏ん切りもつかないハンパ者です。 映画館には話題作を見に足を運ぶ程度で、その他の映画はもっぱら動画配信サービスが主たる鑑賞方法となっています。利用しているのはNetflixとAmazonプライムビデオですが、ほぼNetflixに寄っていますね。