(2021年 アメリカ)
オスカー俳優エイドリアン・ブロディがひたすら苦虫を嚙み潰したような顔をしているバイオレンスドラマで、何も起こらない前半部分はしんどかったんだけど、後半のカチコミで盛り返す。期待して見るような映画ではないが、暇つぶしにならいいと思う。
感想
出張中のホテルで暇つぶしに見た映画①
いきなり個人的な話で恐縮だが、3日間ほど名古屋に出張だった。
夜は名古屋飯でも食べようかと思っていたのだが、初日は仕事が思いのほか長引いて終わったのが21時半。
その時間になると大半の店はラストオーダーが終わっており、みそかつ、ひつまぶし、きしめんなどの王道名古屋飯は軒並み断念せざるを得なかった。
唯一入れたのが鉄板イタリアンの店で、ステーキハウスのような鉄板の上に太麺のナポリタンが乗っているという、噂のケンミンショーで見たことのあるメニューを注文した。
一口目は確かにうまかった。しかしひたすらにケチャップ味なので凄まじい勢いで飽きてきた。
名古屋の人には申し訳ないが、名古屋飯って「これ!」と分かりやすい味付けなので一口目はいいんだけど、単調なので猛烈に飽きがくるという特徴がある。このナポリタンもまさにそのパターンだった。
タバスコなどで味変を試みるも、ベースのケチャップ味が強すぎてそこいらの香辛料では太刀打ちできない。
そして気が付けば店にいる客は私一人、「あの人、いつ帰るのかな」という感じで店員さんたちがチラチラ送ってくる視線もつらい。
しかし熱々鉄板の上に乗った麺はなかなかの強敵で、食が捗っていかないという三重苦。
何とか完食したものの、後半は掃除係からのプレッシャーを受けながら食べていた小学校時代の給食時間を思い出した。
逃げるようにホテルに帰ったが、「さすがにこのまま今日を終えるのは殺生だぜ」ということで、部屋のテレビで無料視聴できるという映画のラインナップを見てみた。
さすがは無料というだけあって、ブルース・ウィリスやスティーヴン・セガールのVシネがズラっと並んでいる。
映画好きの私ですら食指の向かないラインナップで、これを喜んで見る層っているのだろうかと心配になったのだが、そんな中で発見したのが本作『クリーン ある殺し屋の献身』(2021年)で、主演はオスカー俳優エイドリアン・ブロディだ。
酷いラインナップの中でのエイドリアン・ブロディの輝きは異常で、ほぼ後光がさしていた。
上映時間も90分足らずで寝る前のひと時には丁度良い長さであり、迷わず本作を視聴することにした。
清掃員が元殺し屋という新機軸
ブロディ扮する主人公クリーンはゴミ回収車に乗る清掃員だが、業を背負ったかのような重い表情、過去の暴力依存への後悔を口にするモノローグから、彼は元殺し屋だということがすぐに分かる。
殺し屋が隠喩的に「掃除人」とか「クリーナー」とか呼ばれる映画は数多くあれど、元殺し屋がガチの清掃員という身もふたもない設定は一周回って斬新だった。
清掃員として真面目に勤務し、たまに良さそうなものが捨てられていれば修理して質屋に売るというSDGsな日々を送るクリーン。
極めて規律正しくかつ勤勉な生活を送るクリーンだが、その背後には、起きている時間帯をすべてルーティンで埋め尽くすことで、悩みから解放されたいという思いが透けて見えてくる。
そして彼は、おばあちゃんと二人暮らしの近所の女子高生ディアンダ(チャンドラー・アリ・デュポン)を気にかけており、手作りの弁当を持たせたり、自転車を作ってやったりと、実の娘のように接している。
ここまで説明されればお察しの通り、クリーンはディアンダを守るため再び銃を手に取ることになる。
物語はこの手の映画のテンプレから1mmも外れることなく展開していくので、本作の見どころはストーリーよりも人物描写にあったと言える。
エイドリアン・ブロディが主演のみならず、製作、脚本、音楽までを担当した入魂の作品だけあって、クリーンの日常がひたすら丹念に描かれていく。
丹念過ぎて眠くなってきたし、「そろそろ60分ほど経ったかな」と思ってランニングタイムを確認したところ、なんとまだ30分を過ぎたところで、「これがあと1時間も続くのか」とゾッとしたりもした。
重い表情で淡々と生きるクリーンを見せられ続けることはなかなかの拷問で、私の表情も劇中のエイドリアン・ブロディ並みに重くなっていたと思う。
前半部分はとにかく何も面白いことが起こらなくて見ていることが苦痛だった。
クリーンには目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた娘を失った過去があって、それが原因で殺し屋家業からも足を洗ったようなんだけど、回想場面で映し出される娘がアフリカ系で、ポーランド系ユダヤ人であるエイドリアン・ブロディの身内ですと言われても違和感しかないのがツラかった。
かつての奥さんがアフリカ系だったのか、もしくはこの娘は血の繋がっていない養子だったのか、そのあたりの背景の説明は一切ないのだけど、パッと見で親子に見えない人たちが当然のように「親子です」と言われるのは観客を無駄に混乱させるだけだ。
今流行りの人種的多様性というやつなのだろうが、こういった形で織り込むことが正解なのだろうか。
そこまで集中せずに見ていたこともあって、ディアンダとも混同したりで、実に分かりづらかった。
敵はバイオレンス食堂親父
中盤に差し掛かると、ようやっと敵となるであろう男が登場する。
『デアデビル』のヴィンセント・ドノフリオを希釈したようなおっさん(グレン・フレシュラー)で、表向きは食堂の経営者なんだけど、実は町のギャングのボス。店の仕入の魚の腹にドラッグを詰めて輸送し、町で売りさばいている。
裏の顔は残虐そのもので、ドラッグを数袋くすねた中国人を白昼堂々、路上で殴り殺したりもする。
なぜそんなことができるのかというと、街の警官までを買収して顎で使える関係にしているからで、敵に回すとなかなか厄介な相手だと言える。
そんな親父の悩みの種はバカ息子の存在で、親父は裏家業を継がせたいと思ってるんだけど、息子はストリートの黒人たちとつるんでは、ドラッグを売る側ではなくもっぱら消費する側として順調にジャンキー街道を歩んでいる。
このバカ息子が前述した女子高生ディアンダと関わり合いになり、ジャンキー達の溜まり場で彼女を襲おうとするんだけど、そこにクリーンが救援に現れたことから、物語はようやく動き始める。
暴力衝動に再点火したクリーンはジャンキー達をレンチで滅多打ちにし、バカ息子の顔面はズタズタに。
親父は自業自得だとして息子に治療を受けさせることを拒否するんだけど、そうは言ってもうちの者に手を出した奴には落とし前を付けさせるとして、部下たちに報復の指示を出す。
しかし子飼いの警察官に調べさせたところ、相手となるクリーンは元殺し屋。しかも良い仕事をすることで有名な奴だったということが判明し、親父も周囲を固めることにする。
かくして両者の緊張感が高まっていく後半はなかなか面白かった。前半のグダグダをある程度は取り戻したと思う。
燃えるカチコミと尻すぼみなラスト ※ネタバレあり
当初はディアンダ&おばあちゃんを連れて逃げていたクリーンだが、警察にまで手が回っており、地元を離れれば何とかなる相手でもないことが分かると、ついに意を決する。
二人に金だけ渡して地元に戻ると、馴染みの質屋にショットガンを買いに行く。
質屋の店主はそもそもクリーンの素性を知っている間柄のようで、通常のドラマならば「やめとけ」と言って主人公を止めるべき立場にいる。
店先で「あのショットガンをくれ」と言うクリーンに対して「ちょっと待て」と言い、ここで質屋の説教が始まるのかと思いきや、「こっちにもっといいのがあるぞ」と言って、未登録のショットガンを差し出してくる。
さらには「これはおまけだ」と言って照明弾も付けてくれる。
質屋の親父が変に勢いを削ぐようなことはせず、むしろジャパネットたかた状態でノリノリなのは嬉しい誤算だった。
また、この手のカチコミで主人公は死にに行くというのが相場だが、クリーンの場合は防弾ベストを着込んで生きて帰る気満々なのもいい。
ゴミ回収車でギャングの親父の家に豪快に突っ込むと、手際よく部下たちを片づけていくクリーン。
ヘッドショットをバシバシと決めていく様が実に気持ちよく、カチコミ場面はなかなか燃えた。
ただしギャングの親父との刺しの勝負になると、むしろ押され気味となるという試合展開は今一つに感じた。
親父が強いというよりも、クリーンの戦闘力が急に下がったようにしか見えないのだ。
ラスボス戦の流れがもっと良ければ「後半のために前半を我慢する価値のある映画」と言っておすすめできなくもなかったんだけど、締めが決まらなかったのでトータルでの満足感は微妙なものとなった。
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