(2021年 アメリカ)
ライトな作風とコンパクトな放送時間で相変わらず見やすく、このシリーズの良さはちゃんと引き継がれています。ただしシーズン1では絶妙だったシリアスとユーモアのバランスが崩れてシリアスが強くなりすぎていたり、リアリティを度外視しすぎた展開が目に付いたりと、作品としてのクォリティは落ちたように感じます。
シーズン2の怒涛のクライマックスの続き。あの大乱闘の2週間後、子供たちはこんな状態になっています。
乱闘の中心人物であっても、裕福な親という後ろ盾のあるサムとアイシャは社会的な制裁が比較的軽く済まされたのに対して、貧しいロビーとトリーが警察のご厄介になっているという点に世知辛い現実が反映されています。
ロビーとトリーはこの不遇が原因で余計に荒れていき、シーズン後半を引っ掻き回す存在となっていくのですが、この辺りの構成は実によく考えられています。
アイーシャは本シーズンにまったく姿を現さず、もう二度と戻ってこないものと思われます。演じるニコール・ブラウンは本シーズンにも出演する意向があったものの、なぜか脚本からは外されていたとのことです。ショービズ界もなかなかシビアであり、現実はミヤギ道よりもコブラ会の教えに近いようです。
そのコブラ会は完全にクリースに乗っ取られており、クリースは会をどんどん自分色に変えていきます。
ジョニーが再興した新生コブラ会はいじめられっ子の集まりであり、弱い生徒たちに自衛手段を教えることを通じて自信を取り戻させる組織として機能していたのですが、他方で80年代にクリースが主催していた最初のコブラ会はかつてのジョニーのようないじめっ子をより強化していく組織でした。
新生コブラ会の実権を握ったクリースが着手したのは筋のよさそうな地元のいじめっ子達の勧誘と、ジョニーが集めたいじめられっ子達の排除であり、コブラ会はかつての毒を取り戻そうとしています。
では、なぜクリースはそんなことをするのか。本シーズンでは現在パートと並行して若かりし日のクリースのエピソードが描かれ、彼を力の信奉者にしたものは一体何だったのかが明かされます。
高校時代のクリースはロビーやトリーに近い存在であり、腕っぷしは強いのでサシの喧嘩でなら負けることはないが、貧しい出身であるがゆえに頼れる後ろ盾がなく常に孤立気味であり、群れて生活している体育会系の生徒たちからのからかいを受けていました。
そんなクリースが志願兵としてベトナム戦争に出征し、まさに生きるか死ぬかの状況でおかしな上官と巡り合ってしまったものだから、余計におかしくなってしまった。
作戦中のクリースの部隊はベトナム軍の捕虜になってしまい、『ディア・ハンター』(1978年)の如く夜な夜な米兵同士での殺人ゲームを演じさせられていました。
そんな極限状態であるにもかかわらず、同じく収監されている上官は部下への思いやりなど1ミリも示さず、クリースの失敗を責めるような言動を繰り返します。いよいよ腹に据えかねたクリースはある夜の殺人ゲームに自ら志願し、ゲームにかこつけて上官との決着をつけることにします。
世の中には決して分かり合えない相手はいるし、慈悲や善意が通用しない極限状態も存在する。それらを制するものとは、相手をねじ伏せる圧倒的な力のみである。クリースは極限状態でそのことを悟るのでした。
そして彼が経験してきたことを考えれば、美しく負けるよりも醜くとも勝つべしという思想にもある程度は共感ができるようになります。コブラ会精神の源流を描いたこのエピソードはなかなかよく機能しています。
対するミヤギ道はと言うと、こちらは乱闘後の風評が原因でラルーソ・オートの経営が崖っぷちでダニエルさんはとてもカラテなんてやっていられる状況ではなく、会は機能停止状態にあります。
ライバルのカーディーラーはこの混乱に乗じて日本車メーカー・ドヨナとの独占販売契約を締結し、ラルーソ・オートが日本車の取り扱いをできなくしようとしている。そこでダニエルさんはドヨナに直談判すべく単身日本へと乗り込んでいきます。
なんやかんやありつつもダニエルさんはドヨナとの交渉をまとめ、さらには『ベスト・キッド2』(1986年)でできた日本人彼女クミコや、日本でのライバル・チョウゼンとの再会も果たします。
中年のチョウゼンは改心して良い奴になっており、ミヤギ道カラテの秘奥義をダニエルさんに伝授。
それは秘孔を突くことで一時的に相手の動きを止めるというものであり、これさえ知っていればどんな相手にも勝利できるだろというベラボーな技でした。ここにきて、ミヤギ道カラテは北斗神拳の域に到達するのでした。
この北斗神拳化が象徴的なのですが、本シーズンはリアリティからの逸脱がかなり目に付きました。そもそもリアリティに配慮したシリーズではなかったのですが、それにしても今回はやりすぎではなかったかなと。
一番酷かったのはジョニーとミゲルのエピソード。
ミゲルは意識不明状態から目覚めるものの下半身はマヒ状態。手術を受けても動くようにはならず車いす生活を余儀なくされ、理学療法士によるリハビリを毎日受けることとなります。
そんな中、ミゲル本人たっての希望でジョニーのトレーニングも並行して受けることとなるのですが、通常の医学がまったく通用しなかったのに対して、勢いと精神論のみのジョニーのトレーニングは効果を発揮。ミゲルは短期間で歩行を取り戻すどころか、終盤のエピソードでは普通に蹴りを繰り出せるまでに超絶回復します。
私はダニエルが沖縄で覚えてきた怪しい東洋秘術でミゲルを治すのかと思っていたのですが、実際にはその遥か上を行く超絶展開であり、さすがにこれはやりすぎで引きました。
こんなことならばミゲルが半身不随になるというプロットなど置かず、普通の怪我の回復でよかったのではないかと思います。
その他にも、ミヤギ道とコブラ会の衝突も過激になりすぎています。コブラ会はミヤギ道を挑発すべく一般の商業施設で騒ぎを起こし、公衆の面前でディミトリの腕をへし折るのですが、ここまでやるとさすがに警察沙汰になっていないとおかしいレベルです。しかし彼らに法的なお咎めはない。
序盤においてロビーとトリーに下された沙汰と比較してもこの場面は不自然であり、本作はリアリティの線引きを誤っているようでした。
そんなリアリティ度外視もユーモアさえ立っていれば気にならなかったはず。実際、シーズン1はユーモアで全体を覆うことで、真面目にやれば「ありえない」と思われる展開をうまくカバーしていました。
その点、本シーズンでは著しくユーモアが減っており、作劇上の問題点が視聴者から丸見え状態となっています。ユーモアを減らすのであれば、もう少しリアリティへの目配せをしておくべきでした。
リアリティ問題を置いておくにしても、ユーモアこそが本シリーズの大きな魅力だったのに、それが減ってしまったことは視聴者の楽しみを減らしてしまうということに繋がっています。シリアスな展開を入れた後には笑いでまろやかにするという従前シーズンのような作りであった欲しかったと思います。
そんなこんなで文句ばかり書いてしまいましたが、終盤におけるアリ再登場はやはり盛り上がりました。
アリとはダニエルさんとジョニー両方の元カノであり、『ベスト・キッド』第一作(1984年)は彼女を巡る戦いでもありました。
そんなアリが35年の時を経て再び二人の前に姿を現すのですが、演じるエリザベス・シューが出演者中最大のビッグネームであることとも相まって、その再登場場面には興奮が宿っていました。ついにアリが来たかと。
そしてアリ目線で語られる『ベスト・キッド』第一作のエピソードは興味深いものだったし、ジョニーとダニエルさんの和解の鍵になるというシリーズ全体を通して見ても重要なポイントに彼女を配置したという構成の妙も感じました。
エリザベス・シューという必殺カードを最高最良のタイミングで切ってきたのです。これは素直に素晴らしいと思いました。
あとどうでもいいことですが、かねてからジョニーはダニエル・クレイグに似ているなぁと思って見ていたのですが、アリとパーティに出席する場面で007みたいなジャケットを着ている姿を見て、やっぱり似ていると思いました。
【凡作】ベスト・キッド(1984年)_悪いのはダニエルさん
【駄作】ベスト・キッド3/最後の挑戦_ダニエルが阿呆すぎて心配
コブラ会(シーズン1)_まさかここまで面白いとは!【8点/10点満点中】
コブラ会(シーズン3)_質は落ちたが面白い【7点/10点満点中】
コブラ会(シーズン4)_相変わらず面白い【7点/10点満点中】
コブラ会(シーズン5)_シリーズ最低のつまらなさ【5点/10点満点中】