(1978年 アメリカ)
名作の誉れ高い映画なのですが、個人的にはピンとこなかった作品。異常なまでの間を取ったマイケル・チミノの演出は眠たくなるし、戦場場面の杜撰さも気になりました。
あらすじ
ペンシルベニア州の田舎街。ロシア系移民とその子孫たちから成るこの街で、若者達は貧しくも楽しく生きていた。そんな彼らにもベトナム戦争の影は迫っており、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーヴン(ジョン・サヴェージ)の3人はベトナムへと出征した。
戦場で偶然にも再開した3人は直後にベトナム人民軍に捕らえられ、閉じ込められた小屋でロシアン・ルーレットを強要される。このままでは仲間の誰かが死ぬという状況下で、マイケルは脱出のための一計を講じる。
作品概要
アカデミー作品賞受賞作
本作が製作されたのはベトナム戦争映画が忌避されていた時期であり(この風潮のためにオリバー・ストーンは『プラトーン』を製作できなかった)、イギリス資本によってようやく製作が実現しました。
ただし最初の試写ではその陰鬱な作風から壊滅的な評価を受け、スタジオはその売り出し方に頭を抱えました。
そこで呼ばれたのが本作と同年に『グリース』(1978年)を大ヒットさせていたベテランプロデューサーのアラン・カーであり、カーはアカデミー賞の権威を最大限に利用するという、現在では普通に行われているが当時としてはかなり奇抜だった策に打って出ました。
まずたった2館で限定公開してアカデミー賞の選考資格を充足。作品自体は悪くないと踏んでいたカーの見立て通り、その年の最多9部門でノミネートされました(作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞、撮影賞、音響賞、編集賞)。
そうした芸術的な評価をバックにスタジオは大規模なプロモーションとリリースに打って出て、制作費1500万ドルに対して4900万ドルを稼ぐ大ヒットとなりました。
そしてアカデミー賞受賞式では作品賞を含む5部門を受賞し(作品賞、監督賞、助演男優賞、音響賞、編集賞)、名実ともにその年を代表する映画となったのでした。
さらに後年、AFIが選出した『アメリカ映画ベスト100』(1998年)では79位にランクインし、一過性のものではない歴史的評価も確立しています。
物議を醸した戦場場面
ただし公開当時より本作にはネガティブな論争も付きまとっています。
問題は戦場場面における誤謬の多さであり、北ベトナム兵が個性のない殺戮者として描かれていることや、作品の要ともなっているロシアン・ルーレットが戦場で行われていた証拠はないことなどが指摘されました。
アカデミー賞授賞式が近づくと本作に対する退役軍人のデモ活動で逮捕者が出るほどの異常事態となっており、脚本賞にノミネートされていたデリック・ウォッシュバーンは乗っていたリムジンに石をぶつけられたと主張しています。
事態を憂慮したロバート・デ・ニーロは、主演男優賞にノミネートされていたにも関わらずアカデミー賞授賞式への出席を取りやめました。
またベルリン国際映画祭に出展した際には、ベトナム人に対する差別的な描写に抗議してソ連代表団が退室し、それに続いて、キューバ人、東独人、ブルガリア人、ポーランド人、チェコスロヴァキア人も次々と出て行きました。
後年のクリストファー・ウォーケンのコメントによると、製作陣が事実確認を最優先事項としていなかったことが根本原因のようです。
そもそも、本作は原案としてクレジットされているルイス・ガーフィンクルとクイン・K・レデカーが1960年代に執筆した”The Man Who Came to Play”という脚本の流用であり、それはロシアン・ルーレットをするためにラスベガスへ行く人々の物語でした。
これを書き直してベトナム戦争を舞台に再設定したものだから事実と相違する部分が多く存在しているのは当然だし、脚本の執筆期間が短かったために退役軍人などにリサーチをしている余裕がなく、テレビから得られる情報のみで書かれた脚本だったようです。
製作陣は本作を戦争に駆り出された3人の男がどう変えられていくのかを描いたドラマとして考えており、ロシアン・ルーレットのくだりは寓話として機能するだろうという目論見だったために、誤謬が放置されたのでした。
登場人物
- マイケル(ロバート・デ・ニーロ):仲間たちと共に製鉄所に勤務しており、趣味は鹿狩り。リーダー的な存在だが子供っぽい一面もあり、スティーヴンの結婚式の日には全裸で街を走り回った。ニック、スティーヴンと共にベトナム戦争に出征した(配属された隊は二人とは別)。
- ニック(クリストファー・ウォーケン):マイケルの親友であり、仲間内では冷静な引き留め役。小さな一軒家をマイケルと二人でシェアしている。ベトナム戦争に出征した。
- リンダ(メリル・ストリープ):ニックの恋人。元は実家暮らしだったが、父の家庭内暴力に耐えかねてマイケルとニックが住む一軒家に転がり込んだ。
- スティーヴン(ジョン・サヴェージ):マイケルの友人の一人で、共にベトナム戦争に出征した。出征前にアンジェラと結婚したが、アンジェラが身籠っているのは彼の子ではないことは仲間内の全員が知っている。
- アンジェラ(ルターニャ・アルダ):スティーヴンの花嫁だが、スティーヴン以外の相手との子供を妊娠している(後の監督コメントによると父親はニックとのこと)
- スタンリー(ジョン・カザール):マイケルの友人の一人で、服装や髪型に誰よりも気を使っている。自信過剰で一言多いちょっと嫌な奴。
- アクセル(チャック・アスペグレン):マイケルの友人の一人で大柄な男。ベトナムに出征する気はあったが、膝に抱える持病のために兵役拒否された。演じるチャック・アスペグレンは俳優ではなく製鉄所の現場監督だったが、デ・ニーロとチミノに認められて出演することになった。
感想
とにかく長い前半パート
本作の主人公はアメリカの田舎街の若者達。
その街では若者も老人もみんな知り合いで、親が就いていた職業に成人後の子供達も就く。夜勤明けに朝っぱらから酒を飲み、馬鹿騒ぎをし、中には嫌な野郎もいるが腐れ縁で離れることはできない。
そんな彼らにとっての日常が前半パートで描かれるのですが、ベトナム戦争とその後遺症というメインテーマに至るまでの前振りが実に1時間。永遠に終わらないかと思う程の長さで疲れました。
しかも田舎街の平凡な若者を演じるのがロバート・デ・ニーロにクリストファー・ウォーケンにメリル・ストリープにジョン・カザールですからね。確かに彼らの演技は素晴らしいものの、どう見ても平凡な若者ではないのです。
しかもデ・ニーロとウォーケンは35歳、ストリープは29歳、カザールに至っては42歳で、世界を知らない若者を演じるにはみな歳を喰いすぎています。20代を中心にしたキャスティングの方が企画意図には合っていたんじゃないでしょうか。
かなり雑な戦闘場面
素晴らしい場面転換を経て作品はベトナム戦争パートに入っていくのですが、ここでのベトナム人民軍は同胞であるベトナム人を虐殺する容赦のない殺戮者として描かれており、リアリティの不足が気になりました。
マイケル、ニック、スティーヴンの3人は仲良く捕虜にされ、ベトナム兵たちの娯楽としてロシアン・ルーレットをさせられます。
演じる3人の演技力の高さやマイケル・チミノの演出力もあって緊張感みなぎる素晴らしい場面となっているのですが、気になるのはやはりリアリティで、ベトナムの戦場で捕虜に対してロシアン・ルーレットの強要なんてあったのだろうかという疑問のために、場面にのめり込むことができませんでした。
加えて、その場のベトナム兵のリーダーらしき男がやたら短気で、ちょっとのことでもデ・ニーロやウォーケンをばしばしビンタしまくることも気になりました。あんなにも捕虜をビンタする奴なんているんだろうかと。
そんなこんながありつつも3人は監視兵を殺害し脱出に成功するのですが、味方のヘリに拾われたのはニックだけで、マイケルとスティーヴンは米軍の拠点のあるサイゴンを徒歩で目指すこととなります。
前半の日常生活に1時間も使うくらいならマイケルとスティーヴンの逃避行を描けば面白くなったと思うのですが、ここは異常な端折り方で「いろいろありましたがマイケルは何とかサイゴンに辿り着きました」みたいな処理だったのでガッカリしました。
戦場のパートは総じてピンボケしており、終始これじゃない感が漂っていました。
不可解なサイゴンパート
ただ一人ヘリに救助されたニックはと言うと、友人二人を置いてきてしまった、もしかしたら二人は今頃野たれ死んでいるかもしれないという後悔と自責の念から心を病んでいました。
病院での治療が終わると、戦場に取り残してきたマイケルとスティーヴンが戻ってきてはいないかとサイゴンの街を探し始めるニック。
すると怪しげなフランス人に「兄ちゃん、良い目つきしてるねぇ」って感じで声をかけられ、ロシアン・ルーレットのプレイヤーとしてスカウトされます。
ニックはまったく気乗りしないものの、フランス人によって強引に賭場へ連れて行かれてロシアン・ルーレットの現場を見せられると、何かのスイッチが入って自身もルーレットに参加します。
するとその賭場に偶然居合わせたマイケルがニックに気付くのですが、ニックはマイケルに気付くことなくフランス人と共に去っていきます。
フランス人に連れてこられたニックはともかく、マイケルは賭場で何をしていたんでしょうか。シチュエーション的には客として博打に参加していたとしか思えないのですが、そうだとすれば、ちょっと前にロシアン・ルーレットで死にかけた人間としては不謹慎過ぎるし、かなり謎です。
デ・ニーロとストリープの演技合戦が凄い
その後、マイケルは一人で帰郷。賭場でニアミスしたニックを探さずに帰るとはなかなか冷たいなと思いつつも、仲間達の歓迎ムードに馴染めずモーテルに泊まる場面などには胸を打たれました。
この第三幕は本編中もっともよくできたパートであり、五体満足な姿で戻って来たマイクも心には傷を受けている。しかし戦場を知らない友人達には理解されないという孤独がよく描かれています。
冗長だった前半パートがちゃんとこのパートのフリとして効いており、戦場の地獄を経験してしまうと昔と同じ生活には戻れないという帰還兵の苦悩が前半との対比で浮き彫りにされます。
それはPTSDとも違うんですよね。マイケルは病んでいるわけではないから。戦争という修羅場で人生観がすっかり変わってしまい、日常生活で起こる多くのことに心が動かなくなってしまった状態にあるのです。
加えて、前半ではその他大勢の一人にすぎなかったメリル・ストリープ扮するリンダにスポットが当たり始めると、映画はさらに面白くなっていきます。
マイケルが戦場から帰郷した日、迎えるリンダは恋人のニックが戻らないことを内心では残念に思っているものの、マイケル本人の前ではその帰郷を喜ぶフリをするが、徐々に感情がこみあげてくるという複雑な演技は実に真に迫っていました。
ニックを失ったリンダもまた戦争の影響で日常に戻れなくなった者であり、共通する喪失感からマイケルと親密になります。ここからのデ・ニーロとストリープの演技合戦は濃密であり、実に見応えがありました。
バイト先のスーパーで突然涙が出てくる場面なんて、ツラそうで見ていられなかったし。
再びサイゴンへ行って物語がおかしくなる ※ネタバレあり
マイケルは傷病兵の病院に入院するスティーヴンの元を訪れるのですが、するとスティーヴンから謎の差出人から定期的に受け取っているという現金の仕送りを見せられます。
それを見たマイケルは差出人がニックであることを見抜くのですが、ロシアン・ルーレットでこれだけの長期に渡って勝ち続けているニックの運たるや、凄まじいものがあります。
ニックは一体どうやってスティーヴンの居所を知ったのかがよく分からないし、そもそもニックが心を病んだのは友人を置き去りにしたことだったのだから、障害を負ったとはいえスティーヴンの生存を知っているのであれば、彼がサイゴンに残り続ける必要もないと思うのですが、まぁそういうことらしいです。
ニックの生存を確信したマイケルは陥落寸前のサイゴンへ向かいますが、再開したニックは痩せ細り表情も失っており、まるで別人となっていました。
「アメリカに帰るぞ!」というマイケルと、マイケルを無視するニックのやりとり。ロシアン・ルーレットをしながらの命を挟んだ駆け引きには確かに息詰まるものがあったのですが、ここでのニックの感情がイマイチよく分からなかったので感じるものもありませんでした。
やっぱりこの映画、ロシアン・ルーレットが絡んだ部分はおかしくなります。 マイケルとのロシアン・ルーレット対決に敗れたニックは死亡し、最後は故郷でのニックの葬儀場面となるのですが、ここが前半に負けず劣らずの冗長さで再度ダレました。
ニックが死んだところで終わっても良かったと思うのですが。
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