(2022年 日本)
怪人が存在する近現代史を壮絶なボリュームと密度で描く日本版『ウォッチメン』。だけど監督の個人的な主張が出過ぎた最終話で一気にコケた。9話までの温度感なら日本特撮史に残る大傑作になりえたのに、残念。
作品評に入る前に、まずは仮面ライダーBLACKとの個人的な接点から。
今でこそ仮面ライダーは日曜朝の定番だが、1981年から2000年までの20年近くに渡って長い長い休止期間があったので、その谷間の期間に生まれた世代にとって、仮面ライダーは身近なヒーローではなかった。
その例外的存在が『仮面ライダーBLACK』(1987~1988年)と、その続編の『仮面ライダーBLACK RX』(1988~1989年)で、1981年に終了した『仮面ライダースーパー1』以来6年ぶりのテレビシリーズだった。その後『クウガ』までの11年間は再度の断絶期に入るのだから、ポツンと一軒屋状態である。
我々世代が幼少期にリアタイ視聴した唯一の仮面ライダーだったので、とにかく印象に残っている。
また作風自体もなかなかハードでエッジが立ちまくっており、子供向け特撮番組の範疇を越えている部分もあったので、今なお高い評価を受けている。
そんなこんなで、仮面ライダーBLACKは数多くいる仮面ライダーの中でも特別な部類に入る。特に我々世代にとっては。
Amazon配信の本リメイクドラマは、幼少期に仮面ライダーBLACKを見ていた世代をターゲットにしている。
レイティングは堂々のR-18。元子供が観る番組ですという立ち位置を鮮明にしており、その割り切り方が気持ち良いほどだった。
実際、第一話からストーリーもバイオレンス描写も容赦がない。
怪人が日本社会の構成員となった世界を舞台に、怪人の権利擁護派と排斥派が公道で激しくぶつかっている。現実に存在するあの団体とあの団体ねってことは、日本人なら誰でもピンとくるだろう。
仮面ライダーBLACKこと南光太郎(西島秀俊)はそんな運動などどこ吹く風で、空き地に乗り捨てられたバスを根城に、借金取りなどの裏稼業を行っている。社会との関わり合いを極力避けてきた光太郎だが、いろいろあって時の政権をも巻き込む戦いの中心人物になっていく。
ドラマは2022年の現在パートと、光太郎が学生運動に参加していた1972年の過去パートが交互に映し出される形式となっており、現在の戦いと並行して、いかにしてこのような社会が形成されたのか、なぜ光太郎は世捨て人のようになったのかという起源の部分が明かされていく。
怪人が存在する近現代史というテーマからは、『ウォッチメン』を彷彿とさせられた。特にHBO制作のテレビドラマ版である。
テレビドラマ版『ウォッチメン』はヒーローの介在によって改変された世界を現実社会の写し鏡として、監視社会や人種的偏見といった現代アメリカの社会問題を描いていたが、本作もそれとまったく同じ体裁を取っている。このようなドラマはこれまでの日本になかったので、なかなか新鮮だった。
1972年の光太郎たちのドラマは日本赤軍による山岳ベース事件を、ルー大柴扮する堂波総理は安倍晋三元首相をモチーフにしたものだろう。
山岳ベース事件の若者たちが肯定的に描かれる一方、堂波総理は悪辣な人物とされており、製作者側の思想的傾向ははっきりと出てしまってはいるが、フィクションという体裁をうまく使うことで、激しい反発は生み出さない仕掛けになっている。
私自身、製作者とは正反対の思想信条を持つ人間だと自覚しているが、それでも本作の内容はすんなりと受け入れられた。
この辺りは、現実とフィクションを悪い意味でない交ぜにしていた『新聞記者』(2022年)などとはまったく違うところで、それだけうまく作られているということなのだろう。
予算や人材の問題なのか、ブラックサンとシャドームーンを除く怪人が思いのほかチープで、下級怪人に至ってはただ覆面を被らされている状態だったりと、21世紀の作品とは思えないチャチさもあったが、ハードなドラマはしっかりと構築されてる。
日本の近現代史が光太郎と信彦(中村倫也)のドラマへと集約されていき、それが仮面ライダーの戦いという形で表現される。なかなか周到な娯楽作品である。
これは日本の特撮史に残る傑作になるのではとも思った。
なんだが、最終話でやりすぎてしまい、私は完全に引いてしまった。
堂波総理の悪行には際限がなく、部下や料亭の店員に対しても失礼な態度をとる、道端で立ち小便をするなど、人格的にも問題を抱えた人物だという描写までが加わってくる。あまりにも安倍元首相への憎悪がキツすぎやしないだろうか。
思想信条面への賛否こそあれど、プライベートでの人柄は良いことで知られた人物である。そんな安倍元首相をモチーフに、このような描き方はさすがにどうかと思った。
ここまではっきりと安倍元首相と結びつける描写が続いてきた以上、「架空の人物です」という言い訳も成立しないし。
しかもあのような亡くなり方をされたのが今年7月。まだ3か月程度しか経っていない時点で、故人の名誉を著しく汚すような描写をされると正直引く。
最終的に堂波はかなり惨い殺され方をするのだが、現実世界で起こったことを考えると、ネタとして受け入れるには流石に抵抗がある。
視聴者が『イングロリアス・バスターズ』のクライマックスのように盛り上がると思っていたのであれば、完全な計算ミスである。
本作制作時点では予期できなかったにせよ、配信開始まで3ヶ月あったのだから再撮影でもすべきだった。
そもそも、歴史的評価の固まっている世界的な独裁者と、時期が近すぎて客観的評価を待たねばならない歴代最長政権の元首相を同列に扱うこと自体がおかしいのだけど。
ひょっとしたら批評家や一部の視聴者の間からは、社会からの反発を恐れず故人への批判を緩めなかった監督、その作家性を守りきった東映やAmazonを称賛する声が上がるかもしれない。
しかし私からすると、安倍元首相の人格への配慮がまったくなく、同じ人間とは見ていないくらいの冷たい視線を感じたので、作り手側の倫理観を疑った。政策面への批評はあってもいいが、故人への人格攻撃はやりすぎである。
白石和彌監督の作品は好きだし、今後も見続けていくことにはなると思うが、自分の思想信条とは相いれないと感じた人間をここまで酷く扱うんだという点にはショックを受けた。
白石監督は日本赤軍とも親密だった故若松孝二監督の弟子筋にあたるのだが、個人的な思いが悪い意味で炸裂しているように感じる。
基本設定からして、主人公の南光太郎は学生運動家崩れのおじさんである。現実なんて変えられないと言って運動から足を洗い、社会問題への関心も失ってきた光太郎が半世紀を経て再び立ち上がる様は、定年退職後に某野党に入党して駅前でビラ配りに精出すおじいさんおばあさんの姿と重なる。
1972年の学生運動は分裂し、仲間内での殺し合いまでが発生したが、それでも白石監督は「全員にそうせざるを得ない理由があった」と理解ある分析をする。
現与党に対して極めて辛辣な視線を向けたこととはあまりにも温度感が違いすぎて、特定の団体への依怙贔屓が露骨に感じられた。
やはりそれは師匠筋の人間関係で個人的によく知っている人たちだったということが影響しているのだろうが、身近な者に気を許し、縁遠い者に漠然とした脅威を感じるというのは、作中で描かれる差別主義者達と変わらないような気もする。
上記で『ウォッチメン』との類似性を指摘したが、ハリウッド製の社会派エンタメにはもっと冷静な視点が存在する。
共和党政権に対して特に辛辣な目を向けることで本国では賛否両論あるオリバー・ストーンすら、”敵”を描写する際には共感可能な部分がないかどうかをちゃんと探っており、個人的な思い込みだけで映画を作っていない。
また第9話までは怪人差別という言葉で定義されてきた問題が、最終話では移民反対に置き換えられたことにも違和感がある。
すでに社会に住んでいるメンバーへの差別と、これから移民という新しいメンバーを受け入れるかどうかの選択は性質の異なる問題である。欧州の様子を見ればわかる通り、移民問題はどちらが善でどちらが悪という単純な問題ではなく、受け入れを渋る側にもそれなりの理由がある。
そうした社会的な議論を飛ばして慎重派を差別主義者扱いというのは作り手側の偏見を感じるし、カウンターとしてのテロ行為を是とするかのような終わり方にも違和感があった。
戦いを生き残った者達は子供を集めて軍事訓練を受けさせたり、爆弾を作らせたりするんだけど、そこまで露骨な暴力革命の描写で〆られるドラマって本当にどうかしてる。仮面ライダーをアジビラのようにしちゃダメでしょ。
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ただのネトウヨの恨み言。
読む価値なし。
読む価値がない記事を読んでいただき、ありがとうございます。
左翼の方って桜井誠とかの、極右除いた右翼と比べると、レッテル張りと暴言、他の思想、職業差別主義者で他人へのリスペクトが全くなく暴力的な所が特徴ですね
否定的な感想書いただけで即こんなコメがつくという現象がこの作品をよく表している
それ以上もそれ以下もないのが残念な所
負の感情をもっとうまく表現できないのか?と呆れつつ、この程度で大絶賛全肯定してくれる思想強めの仲間がいるので変わらないでしょうね
まさにレビューの通り、言いたいことは全部言ってくれた
仮面ライダーに個人の政治心情を、よりにもよってラストで見せるのはまじで勘弁してほしい
ラストで台無し
既存コンテンツで思想の発表会はやめて欲しいですね
ブラック世代です。凶悪も孤狼の血も面白かったので、すごい楽しみにしていたのですが、個人的にはアマゾンズの方が遥かに面白かったです。というか、ヒーロー感もないし、こんな薄い話を盛り込んで駄作感が凄いというか、監督の汚点な気がします。
話を進めているのがブラックではなくシャドームーンなんですよね。
また平和の達成こそがヒーローものの普遍的な落とし所だと思うんですけど、最終的に葵はシャドームーンの武装闘争路線を引き継ぐので、ヒーローの存在感が物凄く薄くなっています。
似た感想でした。
私はクラウドファンディングにも参加して、期待した結果がこれかという気持ちも加わります。
1972年もブラックとの関係がなさすぎる時代だし、ブラックのキャラや設定の名前だけ使った別物で、なんで変身ポーズと最終話のオープニングだけパロディーするの?って、複雑な気持ちになりました。
まったくの別物を作りたいのであれば仮面ライダーの看板を使うべきではありませんよね。
ほんとにそう思います。自分もブラック見てた世代なので、なんだこりゃ感が半端なかったです。安部さんは悲惨な亡くなったばかりなので、パロディーにするのはさすがに失礼かなと思いました。
安倍さんに対してはあまりに配慮がなさすぎますね。このタイミングで暗殺を是とするかのようなオチは、さすがに作り手側の倫理観を疑います。
監督はいいと思ったにせよ、東映やAmazonはさすがにこれはマズいと言って止めなかったんでしょうか。
ヒロインを中心に見ると考え方の変化におもしろさを感じます。元々の根底が薄い平和主義者なのが面白い。
大筋は同じ事を様々な角度から切り込んで行く感じだと思いました。立場や状況から見え方が変わる風刺。
タテは意図的にやってないのかなと思いました。個の力と数の暴力の対比。圧倒的な個の力は凋落したり。
同じテーマを煮詰めて煮詰めて苦くなったように感じました。
確かに葵の物語として見ると、筋は通っていますね。
当初は国連であるべき論を唱えるだけだった葵が、怪人に改造されて実力行使をする力を持ち、暴力でなければ解決できない問題があることを理解するという話としては、一貫したものがあったと感じます。
このブログを読んで 納得しました。
冷静に分析してくださり、読み応えがありましたよ。
怪人達が善で、日本人が悪、そんな悪を懲らしめる為ならば暴力も仕方ないっしょ!そんな単純な問題かな、在○問題って。いつも被害者は在○です!って監督言いたいみたい。そんな作品を少しでも批判すると 湧いてくるのがいつもの人達。
暴力的な言動で言論封殺をしてきます。
監督はそんな現実には目を伏せてますね。
この作品によって、日本人は差別的な思想を持っている!というネガティブキャンペーンが世界中に広まる事が恐ろしいです。
読んでいただき、ありがとうございます。
現実世界の社会問題をテーマにされてしまうと、作品の不出来を批判する行為自体が、「じゃあ君は差別を肯定するのか」って議論のすり替えに遭ってしまうんですよね。それが社会派作品のズルいところかなと。
私にはルー大柴にしか見えませんでした笑。面白かったですけどね。第5話以降は特に。最終話の戦いもめちゃめちゃ燃えましたね。ライダーキックライダーパンチ最高でした。西島秀俊と中村倫也もはまり役に感じましたね。過去の出来事を明らかにしつつ光太郎と信彦が最終決戦に向かう流れも盛り上がりました。葵ちゃんが子供たちに爆弾の作り方を教える終わり方はどうかと思いましたが、まぇエピローグなんでそんなに作品全体の評価には影響しないかなというところです。その分減点で8点てところです。
第5話での変身フォームの登場や、必殺技を繰り出すタイミングは完璧でしたよね。白石監督の演出のレベルは高かったのは仰る通りだと思います。
それだけに、政治問題への論評はもう少しクレバーであってほしかったかなと。
最終的な結論は今のままであっても、考え方の違う視聴者が観ても納得できるロジックを構築できていればよかったんですが、監督と同じ考え方の人にしか伝わらないメッセージになってるんですよね。
左翼の内ゲバの話を延々と見た感じでした。結局ダロムが正しかったんやなって。
あとはブログで書いてもらってる通りですね。
僕の中で5話の変身シーンがこの作品のピークでした。
前半までの温度感であれば政治とヒーローものの折衷としてよく出来ていたと思うんですけど、その後が問題でしたね。
思想強くない?
あまりにもモチーフとする社会問題と近すぎる内容でしたね
『ダークナイト』のような適度な抽象化を覚えて欲しいところです。