新聞記者(2022年)_人物描写に面白みがない【2点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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実話もの
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(2022年 日本)
映画版に引き続いて当Netflix版も現実問題とフィクションの混ぜ方が下手で、結果的に無責任な作りになっていたり、善悪を明確に分けすぎていてドラマに面白みがなかったりと、見ていてストレスしか感じない作品でした。また森友学園問題を知っている前提の作品なので、賞味期限の短さも気になります。

感想

※結構な文句を書いているので、ドラマが好きな人は閲覧注意ということでお願いします。

フィクションに逃げ込む製作姿勢

映画版は加計学園問題を扱っていましたが、当ドラマ版では森友学園問題を扱っています。

ただしこれは映画版と同じ欠陥を抱えているのですが、現実問題とのバランスのとり方が致命的に下手なんですよね。下手というのもちょっと違うか。作り手側の姑息さを感じるというか。

ハリウッドにも現実の社会問題を扱った映画は多くありますが、それらはノンフィクションと言い切り、可能な限り実名を出して作っています。

そして、現実のメディア冤罪事件を扱ったクリント・イーストウッド監督の『リチャード・ジュエル』(2019年)では、記者の名指しを受けた新聞社が抗議をしてくるということがあったのですが、ワーナーは「情報源に基づいて作っている」と言って一歩も引きませんでした。

事実を暴かれる側も必死になってくるが、作り手側もちょっとやそっとではひっくり返されないよう調べてから作っており、当事者とのガチンコ勝負をやっているわけです。

しかし『新聞記者』シリーズというのは、実名を出さずフィクションという体裁を作ることで、どこかに甘い部分があっても「創作ですから」と言って逃げられる余地を作っています。

ならば完全にフィクションにしてしまえばいいのに、日本に住む者ならば誰が見ても現実の社会問題であることが分かる作りになっている。

で、この作品が世に出ることで傷つく人もいるかもしれないのに、彼らとガチンコ勝負をする気がない。都合が悪ければいくらでも言い逃れできる余地を作っているのは、潔くないなと。

そもそも、表現の自由への配慮からメディアの創作物に対して言い返してくることのない行政や政治家を、一方的な悪者に仕立て上げた作品ってズルいんですよ。表現という世界では圧倒的に強い立場にあるクリエイターが、反論してこないと分かっている相手を好き勝手に裁くんだから。

せめて事実に対して忠実であることを自らに課し、もし誤謬があれば批判を受ける覚悟はしておかないと、取り留めもないことになります。いざという時の逃げ場を作っておくというへっぴり腰では話になりません。

いやいや、『イングロリアス・バスターズ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のように、歴史改変系のエンタメもあるじゃないかという反論もあるかもしれません。

しかしあれらの作品は1940年代や1960年代といった古い年代を舞台にしており、歴史的評価が確定した題材を扱っているので、作り手のお遊びということが誰の目にも明らかなのです。

しかし本件はいまだに評価が定まっておらず、情報の出し方を考えないと社会的な事実認定に悪影響を及ぼす恐れもあります。

というか、影響を及ぼしたくて作っているような印象も受けるのですが、であればこそ責任重大であり、正しい情報を出さねばならないという使命感は必要だと思いますよ。

賞味期限の短い作品では

で、本作は森友学園問題が念頭にあることが視聴の際の前提なので、それらの記憶が薄れた時に、誰にも響かない作品になるんじゃないのということが引っ掛かりました。

なぜそう思ったのかというと、ユースケ・サンタマリア扮する事業家が誰をモチーフにしているのかがパっと思い浮かばなかったからです。

おそらく彼はスパコン不正と呼ばれた経産省の助成金不正受給で実刑判決を受けたベンチャー企業代表と、彼と総理の間をつないだとされる元TBS局員のイメージの合成だと思われます。

一時期「もり・かけ・スパ」として野党やメディアが争点化しようとしていたものの、メディア関係者が当事者だったこともあってか、結局盛り上がらなかったスパですね。

私の頭からスパコン不正のことが完全に飛んでいたので何だかわからなかったんですが、もうしばらくすれば森友学園問題も人々の記憶から薄れていくはずなので、いよいよ本作の主題がよくわからんってことになるでしょうね。

このドラマの最大の欠点って、森友学園問題の論点を明言できていないことなんです。

公有地の土地取引で不当な値下げがあって、それは総理が指示したものである。

これを明確に指摘していないので、森友学園問題が頭にある人には何となくわかるけど、知らない人にとっては、何か悪いことが起こってるっぽいけど、そもそも何がいけなかったんだっけ?ということが見えづらくなっています。

なぜそんなことになっているのかと言うと、後述の通り、森友学園問題で当時の政権にかけられた疑惑が、批判者側すらはっきりと言及できないほど怪しいものになっているので、そこは誤魔化すしかなくなってるんですね。

核心部分にすら触れられない題材なんて扱うなよと思うのですが。

また出ました、内閣情報調査室

そして映画版でお笑い草になった内閣情報調査室のネット書き込み描写は、本作でも健在。

総理夫人に忖度して理財局に口利きをした官僚の綾野剛が、「君はいったん役職を離れてくれ」と言われて連れて行かれるのが内閣情報調査室。

彼らが薄暗い部屋でカタカタとネット書き込みをする描写は映画版でも「んなわけねぇだろ」とツッコミを受けたのですが、またやるんだと驚きました。

一応、今回は自ら書き込むのではなくネトサポを動かす司令塔みたいな扱いには進化していましたけど、依然として政権は内閣情報調査室を使ってWEB上の世論形勢をしているという点では大差ありません。

そういえばつい最近(2022年1月5日)、立憲民主党がCLP(Choose Life Project)に資金提供して野党に都合の良い動画を作らせていたが、政党とのつながりは明かさず、あたかも公正中立な態度を装わせていたという問題が発覚しました。

CLPの件からも明らかな通り、ネット世論対策に取り組むことは現代の政党としては当然の活動であり、恐らく自民党も同じようなことをしているはずです。

ただし官僚を使ってやるはずがないんですよ。指揮命令系統がはっきりしているので証拠が残ってしまうし、もしも政権交代すればライバルに事情を知られてしまう恐れがあるし。

だからこういうことには、立憲民主党のように民間企業を使うんです。いざ疑われても「具体的なことは把握していない」として逃げることができるし、プライベートカンパニーが当事者ならば公的な説明責任はなく、マスコミや他党からの追求に対してダンマリを決め込むことも可能だし。

そうした合理的な反論があるにも関わらず、相変わらず内閣情報調査室がネット書き込みの陣頭指揮という描写は杜撰すぎます。政権を悪者にしたいのであれば、もっとうまい描写にしないと。

そして「与党支持者=与党に雇われている」ということを、あたかも事実であるかのように言っちゃうのはどうなのと思ったり。

仮に「SNSで政府批判的な言動をしているタレントは野党から便宜を受けている」と根拠もなく言われたとして、政権に対するカウンターの立場にいる人達は文句言わずに受け入れられるんでしょうか?

新聞の広報番組

で、映画版にはなかったドラマ版固有のキャラクターが横浜流星扮する大学生なのですが、このパートも酷いものでしたね。

彼は新聞奨学生として新聞配達をしているのですが、「必要な情報はネットで手に入る」と言って新聞を読まない、きわめてステレオタイプ的な現代っ子として描かれます。

で、彼が周囲のおじさんおばさんから促されたり、一緒に就活している大学の同期から「ネットはフェイクニュースだらけだよ」と言われたり、同じく新聞奨学生の女子から「新聞くらい読もうよ」と言われたりと、新聞のコマーシャルですかと言いたくなるような描写が続きます。

で、最終的に横浜流星は東都新聞に就職って、なんだこの話。

あまりに露骨でビックリでした。

しかも下手くそ。こんな描写を見て「俺も新聞をとらなきゃ!」と思う若者なんて一人もいないでしょうね。宣伝するならするで、もっとうまくやらないと。

あと、これは映画版にもあったことなんですが、週刊誌メディアは物凄く悪質、SNS書き込みは悪意を持つ人間の吹き溜まりであり、新聞こそが正しい情報発信をしているという自惚れた描写もどうかと思いました。

誤報をしても責任を取らない新聞メディアもいろいろと問題になってますよ。

人物描写に面白みがない

あと、スキャンダルを暴こうとする記者、記者に情報をリークする人は家族思いの良い人、政権の走狗となって隠ぺいを指示する人は人格的にも悪い人という描写がつまらないんですよね。

本作はフィクションだと居直っているんだから自由に作ればいいのに、つまらないあるべき論に自らハマっていってるんですよ。

告発者側は全員が「罪悪感に耐えかねた」「良心が痛んだ」という動機なのですが、これでは面白くありません。そういう人がいてもいいけど、中には損得勘定から新聞記者に接触してくる者がいてもよかったかなと。

一方、海外の政治ドラマには善意からの通報者なんてあんまりいなくて、新聞なりテレビ局なりと利害が一致しているので情報をもらえるという描写が多いんですけどね。

報道側にしたって、どういう誘因を与えれば情報を引き出せるのかという作戦を考えて、そこがドラマの醍醐味だったりするのですが、人情に働きかけてどうのこうのって話になると、途端に面白くなくなります。

本作の新聞記者の取材は凄いですよ。自殺した遺族を改ざんしたと思われる官僚の個人宅に連れて行って、「良心が痛まないんですか」ってやるんですからね。もしこれが実際の取材方法だというのであれば、日本の新聞記者はやり方を見直した方がいいと思いますよ。

そして主人公の米倉涼子に至っては、人として一点の曇りもなさ過ぎて面白みゼロでしたね。米倉涼子という華のあるスターが演じていなければ、本当に目も当てられないことになったと思いますよ。

この点、善悪とはもっと混濁としたものであり、改ざんの旗振り役が個人的に話してみると滅茶苦茶に良い人だったり、本当に私怨で暴れているだけの記者が、結果的に公益性の高いネタをゲットするということでもいいじゃないですか。

そういえばアベノマスク関連の取材で厚労官僚を恫喝した東京新聞記者がいたとニュースになってましたが、ああいうタイプの記者が本作の主人公ってことでも面白かったと思います。米倉涼子の個性にも合ってますよね。

また官僚組織の内部抗争の結果、リーク情報がもたらされるという話だって良かったのに、なぜすべてを善意か悪意かで色分けしてしまうのか。

そして、製作に協力してくれたり、いろいろ教えてくれたりした人は良く描かなきゃ、彼らが敵視している相手は悪く描かなきゃという忖度が感じられて、結局このドラマを作った人たちもいろんなものに絡め取られてるじゃんと思ったりで。

ちなみに、現在のハリウッドの流行は社会的善悪と個人の人格を整合させないというアプローチですよ。

『ザ・ハント』では政治的に正しいことを言うリベラルエリートが貧困層への差別意識全開で人を殺したり、『続・ボラット』では人種差別主義者の白人貧困層と親しくなってみると滅茶苦茶親切な人だったり。

そっちの方が面白いんですよ。

掲げるだけの正義論

そんなグダグダのドラマの中でも、ハッと思わされるセリフが一つだけありました。横浜流星の友人で、同じく新聞配達をしている女子学生が、

「自分のいる場所によって善にも悪にも見えるんだなって最近すごく思う」

と言うのですが、これは素晴らしい問題提起だと思いました。

暴くことは一つの正義かもしれないが、そのことで被害を受ける者、壊れるものがあるのかもしれない。また、隠ぺいする側にも隠すことで守りたい公益があるのかもしれない。

こうした思想の元、新聞記者たちが「自分達のやろうとしていることは、本当に社会のためになるのだろうか」と逡巡する様が描かれていれば、映画版よりも前進した作品になったと思うのですが、結局のところ善悪を明確に分けているので、このセリフだけが浮いてしまっています。

【余談】森友学園問題を振り返る

最後に、現実問題としての森友学園問題を備忘的に記載しておくので、興味のない方や、ここまで読んできて私の思想とは決定的に相容れないと感じた方は、飛ばしていただいて結構です。

追及するために問題を探した

森本学園問題を総括すると、問題の追及のし方にもいろいろと難があって、その圧力が自殺者を生む一つの要因になった事件ではないかと思います。

そもそもこのスクープをした朝日新聞記者と、それに乗った野党の掲げた論点って↓の2点でした。

  1. 公有地が不当な廉価で売却されており、国民財産を毀損した。
  2. 買い手は総理夫人と懇意にしていたことから、総理が不当な値引きを指示したのではないか。

ただし1.に関しては、敷地内に埋まっている大量のゴミの処分費用との差し引きで考えると、買い手にとって有利な金額ではなかったことが判明。

そして2.に関しても、総理が近畿財務局の判断に影響を与えたという証拠はどこを探しても出てきませんでした。仮に影響を与えたところで、適正価格で売ってるんだから問題ないし。

本来、政治スキャンダルはここで終わっていたはずなのですが、追及する側は拳を振り下ろす先を失い、どこかに瑕疵があったのではないかと粗探しを開始。

「問題があるので追及する」から、「追及するために問題を探す」に変わったのです。

この点、現実のビジネスに関与したことのある方なら分かることですが、完全に瑕疵のない綺麗な取引なんてものはそうそうありません。

当事者同士の阿吽の呼吸があったとか、有力者の名前を使うことで話が進んでいったとか、現場は不信感を持っていたが上が決めてしまったとか、そういった醜い実情とは往々にして存在するものです。

そういった瑕疵があっても「全体として見ていただければ、問題がなかったことはご理解いただけるはず」という形で案件の総括は行うわけですが、そうした「全体として評価する」という視点が決定的に欠けていたのが本件でした。

その結果何が起こったのかというと、財務省幹部は野党を刺激しないことを最優先して国会答弁を行い、近畿財務局に残された文書との齟齬が発生。もしも文書を見られれば大変なことになるということで、近畿財務局に対して文書の改ざんを指示しました。

もちろん、国会での虚偽答弁や改ざん指示には問題があります。

ただし何でもかんでも政権の関与という文脈に結び付けようとする批判者側が問題を不当に大きくし、その苛烈なプレッシャーから役所は隠すしかなくなってしまったという側面もあるので、正義とは一体どこにあるのかと言われると、なかなか難しいところがあります。

少なくとも自殺された財務局員の遺書のどこにも総理官邸の関与は書かれておらず、財務省のコンプライアンスという筋で扱うべきだった問題を、政治スキャンダルという間違った筋で扱い続けたため、拗れに拗れたというのが私見です。

私が言いたいのは「問題がなかった」ということではなく、「問題はあったが政治スキャンダルとは異質のものだった」ということです。

いやいや、そうはいっても総理大臣は行政府の長であり、改ざん問題に関しても責任があるのだから、依然としてこれは政治スキャンダルであるという意見もあるかもしれません。

では、所属記者が不祥事を起こした際に、新聞社の社長は組織ぐるみの関与がないことや、トップからの指示ではないことを都度疎明し、もしも疑惑を払しょくできなければ進退を考えるなんてことをするでしょうか?そんなことしませんよね。

ある組織において末端に至るまでの全員が規律正しく行動するなんてことは現実的にはあり得なくて、どの組織にだって問題はあります。美しくはないが、これが現実です。

そして、末端がやってしまった問題に対してまでいちいちトップの関与を疑い、その疑いが晴れたとしても今度は管理責任を問うなんてことは、現実的な問題追及ではないわけです。

追及者側も「不当な値引き」と「総理官邸の関与」という当初の2つの争点が崩れた時点で、今一度案件をたな卸しすべきでした。

周辺論点を攻めるという手法の危うさ

ぶち上げた主論点が崩れた場合に周辺論点を攻め始めるという手法は日本のメディアの十八番なのですが、これって結構問題のある方法です。

その最たるものが従軍慰安婦問題。

1991年8月、朝日新聞は元日本兵を名乗る男性の「日本軍が若い女性を騙して人さらいをして従軍慰安婦にした」という証言を掲載。

日韓両国で大問題になったのですが、慌てた日本政府が役人に対して「日本軍が何かしらやった証拠はないか」とおかしな指示を出したものの何も出て来ず、学者が調べても「そんなことはなかった」という反証しかされませんでした。

2014年になってようやく朝日新聞は裏取りをせず虚偽を掲載してしまったことを認めたのですが、90年代時点ではまだまだ元気で、周辺論点を漁り始めました。

昔の性産業なので、調べてみれば「本人の意に反して」とか「悪徳業者に騙されて」みたいな話は出てくるわけで、それをもって「広義の強制性」という謎の概念を提示し始めたものだから、事態は余計に拗れました。

もちろんそうした被害者の人権問題も重要なのですが、「日本軍が人さらいをした」という犯罪行為の有無とは区別して扱うべき話です。

しかし日本のメディアの悪癖で、主論点が直接的に証明できないと分かると複数の論点を意図的にない交ぜ状態にし、周辺論点で発見された事項を掲げて「ほら、問題はあったでしょ!」とやるんです。それで余計におかしなことになるという。

それは森友学園問題も同じくです。

「総理の口利きで不当な値引きがあった」という主論点が崩れた以上、いったんそこで線引きして、現場レベルでの問題があったという話は個別論点として扱うべきでした。

しかしそれをやらなかったために、国論を二分するような大問題になったわけです。

メディアのこの手法には百害あって一利ないので早急に改めるべきだと思うのですが、「我こそが正義!」と信じている方々なので、秘密を守ろうとする官僚の数百倍頑固で難しいんでしょうね。

本作では官僚たちに「過ちを正す勇気を持とう」というメッセージを送っていましたが、それは追及者側だって同じくであり、誤った見立てで始めてしまった騒動をやめる勇気を持つことも大事ですよ。

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公認会計士の理屈っぽい映画レビュー

コメント

  1. 匿名 より:

    日本の作品、良いのもあるけどヤッパリ出来の悪い作品が多い印象が拭えない

    • エンタメを意識すると作りが雑になったり、丁寧にやろうとすると楽しめる要素が消えうせたりで、面白くてよく出来た作品というものが出てきませんよね。