(2017年 アメリカ)
アベンジャーズが普通にいる世界なのでスパイダーマンの特別感がなくなり、NY市民とスパイダーマンの繋がりが致命的に弱くなっています。良かったのは、家族と従業員を守るため悪事に手を染めるようになったバルチャーの物語くらいですかね。
アベンジャーズの内紛にあたってトニー・スタークにその能力を見出されたピーター・パーカーは、地元NYで悪者退治をしていた。ある時、ATM強盗団がチタウリのテクノロジーを流用した高性能の武器を持っていたことから、ピーターはその出どころを追い始める。
ソニーのスパイダーマンは、大作経験は乏しくとも光るところのあるインディーズ監督の起用が恒例となっていますが、ジョン・ワッツもこの系譜に連なる人物です。
1981年生まれ。短編映画やテレビ界での演出を経て、ホラー映画『クラウン』(2014年)で長編監督デビュー。翌年のスリラー『COP CAR/コップ・カー』(2015年)がちょいと話題になっての本作起用だったのですが、インディーズ映画界のトップに君臨していたサム・ライミ、『(500)日のサマー』(2009年)が批評家に絶賛されたマーク・ウェブら前任者と比較すると明らかに見劣りする経歴であり、よほどプレゼンが優れていたのかな、などと思ってしまいます。
本作の布陣で独特に感じたのはコンビ脚本家3組を起用していることであり、多分これは意図的ではあると思うのですが、何の意図があってコンビ脚本家のみにこだわったのかは謎です。起用されたのは伸び盛りの気鋭脚本家ばかりで、原案も手掛けたジョナサン・ゴールドスタインとジョン・フランシス・デイリーのコンビはDCの『ザ・フラッシュ』(2021年公開予定)の監督に抜擢されたし、クリス・マッケナとエリック・ソマーズのコンビは数年でヒット作を量産する期待のコンビであり、物凄い布陣を整えています。
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ヒーロー業と私生活の間で苦労し、スパイダーマンであるということを言えない中で、「なぜいつも不在にしているのか」などと周囲の人達から怒られて悩むピーター・パーカーの図というものがスパイダーマンの特色なのですが、本作はこうした定番をことごとく外してきています。
親友のネッドはかなり早い段階でスパイダーマン=ピーターであることを知り、良き理解者としてピーターのメンタル面を支えます。クライマックスでは情報集約とナビゲート役という形でスパイダーマンの戦いにも協力し、本作のピーターは孤独ではありません。
加えて、ピーターが不在にしても周囲がイラつくという展開はなく、大事なクイズ大会の本番でチームの主戦力であるピーターが不在にしても、「別にいいよ、勝ったから」といった感じで、誰も彼を責めません。
一時的にピーターと恋仲になるリズにしても、彼女はホームカミング・パーティでピーターに置き去りにされるのですが、そのことに怒るような反応は示しません。
サム・ライミ版であれば大事になっているところなのですが、そうした展開が見事にスルーされている点が、かなり独特に感じました。ヒーローならではの孤独や葛藤といった要素がスッパリと落とされているのです。
なぜこのような作品になったのかと考えたのですが、単独ヒーローではなくMCU内のヒーローの一人であるというあり方の変化から、こうせざるをえなかったんだろうという結論へと至りました。
2002年の『スパイダーマン』第一作でのベンおじさんの名言「大いなる力には大いなる責任が伴う」が象徴的なのですが、原作や旧映画版のピーターは好きこのんで自警団活動を行っているのではなく、彼には偶然得た特殊能力があり、その能力を使えば救える人が目の前にいる時、その行使をしないことは罪であるという責任感から動いていました。
ただし、この構図はスパイダーマンが唯一の存在であるからこそ成り立つものであり、ヒーローが普通に存在しているMCU内では、ピーターがここまで思い悩む必要がありません。
スパイダーマンよりも強いヒーローがゴロゴロ存在している世界なのだから、ピーターがやらなければ誰もやる人はいないという状況でもなく、葛藤を抱えてまで戦う必要がないのです。
だからこそ、本作はピーターを追い込み過ぎていません。アイアンマンから強い敵とは戦うなとまで言われているような状況であり、彼はアベンジャーズに憧れ、その輪に入れて欲しくて自主的にヒーロー業を行っています。
スパイダーマンの匿名性にこだわっていない点についても、アイアンマンのように顔出し実名出ししている別のヒーローが存在している世界において、知人に嘘をついてまでヒーロー業をひた隠しにする意義を観客に説明できなかったためだと思います。
もしMCUにおいてサム・ライミ版のようなまどろっこしいドラマをやると、観客は大変なフラストレーションを抱えたと思うので、こうした判断は実に合理的だと感じました。
もうひとつ大きな変化として、NY市民がスパイダーマンをさして大きく扱っていません。アイアンマンやキャップのようなキャラ立ちしたヒーローのいる世界なので、スパイダーマンのような小物にはスポットライトが当たっていないのは当然であり、こちらもまた世界観にあわせた改変だと思います。
ただし、ここまで定石を外してきて、果たしてスパイダーマンとして成立しているのかという新たな問題が発生しています。
トラブルメーカーではない寅さんで『男はつらいよ』は成立するのか、怠け者ではないのび太で『ドラえもん』は成立するのかということですね。
私は、そこにあるべきドラマがすっ飛ばされていくので見応えを感じなかったし、かと言って見せ場の迫力など別の誘因が訴求されているわけでもなく、何だか中途半端なものを見せられたという感覚を持ちました。
加えて、スパイダーマンがNY市民の応援を受けるヒーローではなくなっており、旧映画版ではスパイダーマンの登場に歓喜するNY市民の存在が観客側のエモーションも高めていたのに対して、本作ではオーディエンス不在で人知れずスパイダーマンが戦っているという構図となっているので、かなり物足りなく感じました。
やはりオリジンは定石通りにスタートさせ、スパイダーマンがヒーローとしてある程度成熟したところでアベンジャーズに合流させるという流れがもっとも良かったのだろうと思います。
すなわち、アンドリュー・ガーフィールド主演の『アメイジング・スパイダーマン』シリーズを継続させ、その流れの中でMCUへの参画がベストだったんでしょうね。いろんなしがらみでそうもいかないのでしょうが。
そんなわけでピーターの物語には不満が残ったのですが、対するバルチャーが良すぎたので、バルチャーが出ている場面のみ気に入りました。
彼は大企業スターク・インダストリーに仕事を奪われた中小企業の経営者で、家族や従業員を食わせるにはここで手を引くわけにもいかないからと、闇の稼業に手を染めた親父という設定が泣かせます。
野望の実現とか人を傷つけるといった大それた目的はなく、大事な人達の生活を守るためにできることが武器の密造だったという湿っぽい設定には、従来のスパイダーマンのような香りがしました。
加えて、その影響も考えずに強力な武器を売っている経営者という点では『アイアンマン』第一作(2008年)のトニー・スタークとも共通しており、スパイダーマンのメンター役であるアイアンマンと、敵として立ちはだかるバルチャーがネガとポジの関係にあるという点も興味深く感じました。
有り余る資産を持つトニーだからこそ兵器産業からの撤退がスムーズにできたのですが、果たして街の経営者にそんなことができるのだろうか。悪いことだと知りつつも、もうやるしかない状況というものが存在してしまうという世知辛い現実が明確に描かれていることにも意義を感じました。
スパイダーマンらしさがここまで失われた作風で良いのだろうかという点が終始気になった作品でした。旧シリーズの最高傑作がドクターオクトパスというおっさん一人を相手にした『スパイダーマン2』(2004年)であることが示す通り、このヒーローにはド派手なスペクタクルよりも湿っぽいドラマが似合っているのですが、なんだか方向性を間違えているような気がします。
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ここからは完全に余談なのですが、ソニー・ピクチャーズがスパイダーマンに対してかける情熱の根源について備忘的に記載しておきます。
マーベル・スタジオが金の卵を産むガチョウとなった現在からは考えられないのですが、マーベル・コミックスの実写化企画は長年に渡ってB級の域を脱していませんでした。スパイダーマンの映画化権についても、1970年代にはB級映画の帝王ことロジャー・コーマンが実写化権を取得し、1980年代にはメナハム・ゴーランがそれを引き継ぐような状況でした。そこに変化の兆しが現れたのが1990年代で、ブロックバスターを連発して当時の映画界の台風の目だったカロルコがジェームズ・キャメロン脚本・監督で『スパイダーマン』製作に乗り出したのです。『トゥルー・ライズ』(1994年)の撮影が終了する頃にはキャメロンの脚本は仕上がっており、それは原作者のスタン・リーが絶賛するほどの出来栄えだったようなのですが、1995年にカロルコは倒産して企画は白紙になりました。
この時点でキャメロンの脚本はカロルコの権利を包括的に引き継いだMGMに移り、MGMは当然にスパイダーマン映画化権も継承されたと認識したのですが、他方でマーベル・コミックスは企画中止という契約不履行によってスパイダーマンの映画化権が自社に戻ったと認識したことから、MGMとマーベル・コミックスのどちらが権利を保有しているのかよくわからない状態となりました。ロジャー・コーマン、メナハム・ゴーラン、マリオ・カサールといった山師のようなスタジオ経営者の手元を転々としたことの反動で、過去の契約がどこまで有効なのかという点が争点となりました。
加えて、当時のマーベル・コミックスは破産状態にあって経営再建中だったことから、スパイダーマンのような有望コンテンツを自由には動かせないという社内事情も抱えていました。スパイダーマンを製作したければ、7億ドルの負債を抱えたマーベル・コミックスを会社ごと買い取るしかないと言われていたほどです。1998年には一応マーベル・コミックスに権利が帰属するという判決が下されたものの、権利問題は完全には解決しませんでした(ここまで『プレミア日本版 1998年11月号』を参照)。
この流れにソニー・ピクチャーズが本格的に加わるのは1999年で(ソニーによるコロンビア映画買収直後の1989年頃から関心は持っていた)、1998年の判決に基づいてマーベル・コミックスはソニー・ピクチャーズ傘下のコロンビア映画へ『スパイダーマン』の製作を許可しました。しかし、これに異議を唱えてきたのがMGMでした。そして、ソニーとMGMは『007』の映画化権を巡って長年に渡り争ってきた不倶戴天の仇という関係にありました。
ソニーは、創業者の盛田昭夫がジェームズ・ボンドにソニー製品を持たせたいという願望を持って以来、『007』を自社製作することに躍起になっていました。1996年には『007/ゴールデンアイ』(1995年)を大ヒットさせたジョン・キャリーを傘下のコロンビア映画の社長ポストに引き抜き、リーアム・ニーソン主演で『ネバーセイ・ネバーアゲイン』を製作しようとしたのですが、本家シリーズの権利を持つMGMに裁判を起こされて007に係るすべての権利を白紙にされたという苦い経験がありました。
そんなこんながありつつも、007とスパイダーマンを巡る両者の権利争いは、1999年3月に劇的な和解を迎えました。ソニーは長年の夢だった007の権利を放棄し、またMGMはそれまで死守してきたスパイダーマンの権利を放棄し、両社は一連の権利闘争を終結させたのでした。
007に対するソニーの思いがいかほどだったかをさらに説明すると、その後、2005年にMGMが経営難に陥った際に6,000億円で同社を買い取り、会社ごと007の権利を飲み込んでまで『007/カジノロワイヤル』(2006年)を製作したほどでした。そして、そんな007への夢を一時的に諦めてまでスパイダーマンの権利を獲得したのだから、こちらにもまた大変な思いがこもっているということが分かります。
この時点よりソニーの『スパイダーマン』(2002年)は本格始動。そして公開直後にはその後4年間破られないほどの驚異的なオープニング興収を叩き出し、最終的には『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』『スター・ウォーズ エピソード2』『ハリー・ポッターと秘密の部屋』といったライバルを大きく引き離し、年間興行成績でぶっちぎりのNo.1を獲得するという大ヒットによって長年の労が報われた形となりました。
権利獲得までの苦労や、その苦労が期待を上回るほどの成果として表れたという成功体験が、現在に至るまでのスパイダーマンに対するソニーの情熱の根源となっています。
≪スパイダーマン シリーズ≫
スパイダーマン_前半最高、後半残念【7点/10点満点中】
スパイダーマン2_良質な青春ドラマ【8点/10点満点中】
スパイダーマン3_豪快に破綻した最終章【4点/10点満点中】
アメイジング・スパイダーマン_改悪部分多し【5点/10点満点中】
アメイジング・スパイダーマン2_悪くはないが面白くもない【6点/10点満点中】
スパイダーマン:ホームカミング_バルチャーだけが良かった【5点/10点満点中】
スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム_前作からドラマ断絶しすぎ【5点/10点満点中】
スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム_面白いけど微妙な部分も【7点/10点満点中】
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ソニーとスパイダーマンの関係性、そんなにも深かったのですか!目からうろこでした、、、考察としても楽しめる内容ですね!
私もMCUスパイダーマンのコレジャナイ感には辟易してます。。。美魔女のメイおばさん、て、、、
名言「大いなる力には大いなる責任が伴う」、スパイダーマンの映画化にこそ、これを当てはめてもらいたいものです。。。
メイおばさんが美魔女で、ベンおじさんが登場すらしないスパイダーマンって、やっぱり変ですよね。