X-MEN:ダーク・フェニックス_シリーズ最低作品【3点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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マーベルコミック
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(2019年 アメリカ)
X-MENのメンバーであるジーン・グレイは宇宙での任務の最中に謎の宇宙線に襲われ、その結果覚醒したダークサイドが制御不能となってしまう。

© Twentieth Century Fox Film Corporation.

サイモン・キンバーグの監督デビュー作

1973年ロンドン生まれ。コロンビア大学在学中に書いた『Mr.&Mrs.スミス』(2005年)がブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリー主演で製作され、全世界で4億ドルを越える大ヒット。その後はダグ・リーマン監督の『ジャンパー』(2008年)、ガイ・リッチー監督の『シャーロック・ホームズ』(2009年)、マックG監督の『Black & White/ブラック & ホワイト』等、娯楽作を卒なくまとめられる脚本家として重宝されていました。

X-MENシリーズとの付き合いは『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006年)からであり、こちらでもダーク・フェニックス編を描いていました。以降、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』(2011年)、『X-MEN:フューチャー&パスト』(2014年)、『X-MEN:アポカリプス』(2016年)と新シリーズには皆勤賞であり、さらには『デッドプール』(2016年)、『LOGAN/ローガン』(2017年)、『デッドプール2』(2018年)といったスピンオフ作品群にもプロデューサーとして参加するほどのX-MEN愛を持った人物です。

本作が監督デビューとなるのですが、ノーラン版バットマンのようなリアリティ路線を目指したとのことです。その心意気を反映してか、作曲家は前作・前々作のジョン・オットマンから、ダークナイト三部作のハンス・ジマーに変更されています。

登場人物

  • ジーン・グレイ / ダーク・フェニックス(ソフィー・ターナー):プロフェッサーXを上回る潜在能力を持つテレパス。幼少期に起こした交通事故が原因で両親を喪い、以降はチャールズの学園で育てられた。前作でのアポカリプスとの戦いの中でフェニックスとしての能力を開花させ、現在はX-MENの中心メンバーとして活躍しているが、スペースシャトル救出ミッションで謎の宇宙線と接触したことから、もうひとつの人格ダーク・フェニックスが解放された。
  • チャールズ・エグゼビア / プロフェッサーX(ジェームズ・マカヴォイ):世界最強のテレパスであり、ミュータントの指導者的存在。ミュータントを人間社会に受け入れさせるためのマスコットとしてX-MENを使っており、その姿勢をミスティークことレイヴンから非難されている。スペースシャトル救出ミッションでX-MENに無理をさせたことが、ダーク・フェニックス覚醒の直接的な原因となった。
  • エリック・レーンシャー / マグニートー(マイケル・ファスベンダー):金属を自由に操るミュータント。ミュータントに害を為す人類に対しては容赦しないという方針で活動してきたが、アポカリプスとの戦いの後は人間社会に干渉することをやめ、仲間達と孤島でひっそりと農業をして生活していた。そこにジーンが現れたことから、今回の騒動に巻き込まれる。
  • レイヴン・ダークホルム / ミスティーク(ジェニファー・ローレンス):擬態能力を持つミュータントであり、幼少期よりチャールズの屋敷で育てられた。映画版、コミック版ともに善悪のはっきりしない立ち位置に居ることの多いキャラクターだが、本作では半身不随で現場に出られないチャールズに代わってX-MENを率いている。ただし、X-MENをマスコットとして扱い、メンバー達の危険を顧みないチャールズの方針には同意できなくなっている。
  • ハンク・マッコイ / ビースト(ニコラス・ホルト):怪力を持つ狼男のような見た目のクリーチャーに変身できるミュータント。シリーズを通してチャールズの一番の親友であり、『フューチャー&パスト』(2014年)で酒とドラッグに溺れた際にもたった一人、チャールズの元に残り続けていた超の付くほどのナイスガイだったが、本作ではいよいよチャールズのX-MEN運営方針に賛同できなくなり、マグニートーの元へと走った。
  • スコット・サマーズ / サイクロップス(タイ・シェリダン):目から絶え間なくビームが手続けているミュータント。X-MENの一人として活躍しており、かつ、ジーンとは恋人関係にある。
  • オロロ・マンロー / ストーム(アレクサンドラ・シップ):気象を操れるミュータント。X-MENとして活動中。元はアフリカのストリートチルドレンで盗みを働いていきていたが、本作では随分と常識人に成長している。
  • カート・ワグナー / ナイトクローラー(コディ・スミット=マクフィー):瞬間移動の能力を持つミュータント。X-MENとして活動中。悪魔のような見た目とは裏腹に心優しい性格だが、本作ではついにキレます。
  • ピーター・マキシモフ / クイックシルバー(エヴァン・ピーターズ):高速で動くことのできるミュータント。X-MENとして活動中。前作でマグニートーの息子であることが発覚したが、当のマグニートーにはそのことを知らせていない。
  • 謎の女(ジェシカ・チャステイン):元は裕福な家の主婦だったが、ホームパーティ中にドゥバリ星人に殺され、以降は彼らの世を忍ぶ仮の姿として擬態された。

シリーズ中最低作

X-MEN全7作のみならず、スピンオフを含めても最低の作品だと感じました。重要キャラクターの死や、味方の分裂、反目し合っていた者との共闘など、ドラマはかなり激しく動くのですが、そこに脚本や演出が追い付いておらず、まったく情感の乗らない作品となっているのです。

そういえば『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006年)にも似たような傾向があって、その時のシリーズ最終作ということで店じまいセール的にいろんな展開が詰め込まれていたものの、あまりにも矢継ぎ早で「そんなにアッサリ流してもいいのか」と思うほどの雑な処理の数々に戸惑った記憶がありますが、あれとまったく同じですね。やはりダーク・フェニックス編は鬼門なんでしょうか。

ただし、『ファイナル ディシジョン』にはバカ映画として割り切っているようなフシがあって、見せ場をパンパンに詰め込むことで娯楽映画としての体裁はちゃんと整っていたのに対して、本作はなまじちゃんとした映画として評価されようとしているので、テンポが悪いったらありゃしませんでした。

ドラマにちゃんとオチをつけて欲しかった

そんなこんなで構成要素の多い作品だったのですが、そんな中でも最重要テーマはチャールズの孤立だったと思います。本作において、チャールズは二つのミスを犯しました。一つ目は、X-MENによる人助けを人類とミュータントの融和の象徴として考えすぎる余り、完璧な任務遂行をX-MENに対して要求してしまい、そのことがジーンと宇宙線との接触という事態をもたらしてしまったこと。二つ目は、幼少期のジーンの人格を安定させるために、実の父親から捨てられたという記憶を封印したこと。

この二つのミスがダーク・フェニックスという魔物を生み出す原因となった上に、レイヴンやハンクといった旧来の仲間達からチャールズが見捨てられるという事態にも繋がっていったのだから、これが本作のドラマの骨子部分だったと思うのですが、中盤以降はチャールズの犯した罪が有耶無耶にされていきます。これでは面白くありません。

ドゥバリ星人の存在が余計だった

そんなチャールズの物語に割って入るような形で挿入されるのがドゥバリ星人の陰謀なのですが、これがかなり余計でした。

彼らは宇宙線によって母星を滅ぼされており、その生き残りが地球人に擬態して人類社会に潜伏しているという設定となっています。そこに規格外の潜在能力を持つジーンが宇宙線を取り込み自身のパワーとして使えるようになったことから、彼らはこれに目を付け、母星の再興にジーンを利用しようとしたというわけです。具体的には、ジーンの力を使って地球上の人類を抹殺し、その後にドゥバリ帝国を再現するという方法を考えているようなのですが、この筋が物凄くわかりづらいので、映画全体がなんだかぼんやりしてしまいました。

ヒーローものにおいては、敵に勝たせるとどれほど悪いことが起こるのかという点が観客にとっての煽りとなるのですが、その点がぼんやりしているのでは戦いにも緊張感が宿りません。そもそも、ドゥバリ人は地球全体を必要とするほどの人口が生き残っているようにも見えず、まずはどこか小さなエリアから帝国の再興をすれば誰からも文句がつかずに済むのにと、その行動の不合理さも気になりました。

ドゥバリ星人など登場させず、良かれと思ってチャールズが幼少期のジーンに対して施してしまった人格の分離作業が致命的な不信感をもたらし、制御不能になったダーク・フェニックスが暴れ狂うという話にしておけばよかったように思います。

面白みのない見せ場

序盤のスペースシャトル救出ミッションでの、起こっていることは凄いはずなのに、演出のマズさから全然面白みを感じないという不安。もしブライアン・シンガーが撮っていればスリリングこの上ない場面になったはずなのに、なぜこんなに感情が乗っからないんだろうかと不安になったのですが、本編中の見せ場はすべてがこんな感じでした。

ジーンを連れ戻しにその実家に現れたX-MENがジーンの抵抗に遭う中盤や、それぞれ別の目的からジーンを探しているX-MENとマグニートー一味が鉢合わせる場面などは『ファイナル ディシジョン』の焼き直しだったのですが、13年前の『ファイナル ディシジョン』の見せ場の方が面白く感じたほどでした。

クライマックスでのミュータント連合vsドゥバリ星人に至っては、ドゥバリ星人の基本スペックの説明がないので、ミュータント達がどれほど手ごわい敵を相手にしているのかすら分からず、しかもラストではフェニックスが敵を一掃する展開になるだろうことが見え見えだったので、ドキドキもハラハラもさせられませんでした。

まとめ

ドラマ面でもアクション面での見せ場もなく、シリーズの集大成であるべき作品がこれほど締まらないということは非常に残念でした。

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