【初心者向け】新世紀エヴァンゲリオンの魅力を解説

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(1995年 日本)
ついに新劇場版完結編が公開された『新世紀エヴァンゲリオン』ですが、ファン以外の方には「とっつきにくそう」という印象を持たれていることもまた事実。テレビシリーズがあったり映画があったり漫画があったりで、一体どれを見ればよく分からないし。そこで初心者の方でもわかるようにまとめてみました。

ザックリとあらすじ

あまりに複雑であらすじの説明が物凄く難しいアニメなのですが、そこを何とか要約してみると↓のような感じになります。

時は2015年。14歳の少年・碇シンジは父ゲンドウがトップを務める特務機関ネルフに呼び出され、人類は使徒と呼ばれる強敵と交戦中であり、その決戦兵器であるエヴァンゲリオン(以下エヴァ)にお前が乗って街を救えと言われます。

理由はよく分からないが、とりあえず乗ってみただけでエヴァ初号機を動かせ、使徒に勝利できたシンジ。そこからシンジは初号機専属パイロットとなり、次々にやってくる使徒との戦いの中心人物となっていきます。

エヴァとは何なのか、使徒とは何なのか、なぜ自分がエヴァを動かせるのかもよく分からないまま戦い続ける中で、ふと浮かび上がる疑問。「使徒を全部倒した後にエヴァをどうするつもりなのか」。

エヴァの第一の使用目的は使徒殲滅だが、その背後で「人類補完計画」なるものが動いている。しかしそれはトップシークレットであり、内容はうかがい知れない…

シリーズの整理

テレビシリーズ・旧劇場版(1995-1997年)

1995年10月から1996年3月にかけてテレビ東京系で全26話が放送されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。エヴァを見始めるのであれば、兎にも角にもこのテレビシリーズからです。

そしてテレビの放送終了の翌年に2本の劇場版が公開。その内容はテレビシリーズ最終2話のリメイクです。

  • 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997年3月公開・通称「春エヴァ」)
  • 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年7月公開・通称「夏エヴァ」)

なぜそんなものが製作されたのかと言うと、テレビシリーズ製作の終盤には予算やスケジュールの逼迫、および、総監督の庵野秀明が精神を病むという極限状態の発生、さらには結末を巡ってテレビ東京との足並みも揃っていなかったことから、テレビシリーズ最終2話はそれまでに提示された謎の解明や複線回収をすべて放棄したものになっていました。

これを完全なものとすべく、地上波放送よりも表現上の制約条件の少ない映画という媒体で真の最終話が製作されたというわけです。よって、テレビシリーズは劇場版を見ないと終了できないので、こちらも必ず見ておく必要があります。

ただしテレビシリーズの総集編が大部分を占める上に、新作部分が後の『Air/まごころを、君に』に内包されている『シト新生』には見る必要がなく、旧劇場版は『Air/まごころを、君に』だけを見れば十分です。

漫画版(1995-2013年)

また1995年2月より漫画版もスタートしているのですが、これは原作ではなくアニメのコミカライズ版です。ただし製作者が違うためキャラクターの性格付けなどはアニメ版とは若干異なるものとなっているし、終盤の展開には独自性が出ています。

漫画版は必ずしも目を通す必要はないのですが、アニメのような回りくどさがなく各種設定が分かりやすく整理されているので、余裕があればこちらも読んでおくと物語の理解が進みます。

また漫画版のオチの付け方は、広げまくった設定の落としどころが見つからずに迷走したテレビシリーズ&旧劇場版とは対照的に非常に素晴らしいものなので、この点でも一読の価値はあります。

新劇場版(2007-2021年)

そして劇場版による完結から10年後の2007年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の公開が始まりました。

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年)
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)
  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)
  • 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)

その第一作『序』こそテレビシリーズ1~6話に忠実なリメイク作品だったのですが、第二作『破』より独自展開が始まり、第三作『Q』は完全に独自展開となりました。

そして2021年3月8日より公開の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年)が完結編となるのですが、テレビシリーズ&旧劇場版の終わり方がアレだったので、今回はどう終わらせるのかにファンは注目しています。

で、初心者の方が気になるのはこの新劇場版だけを見ても分かるのってことでしょう。

残念ながら、新劇場版だけで物語を理解するのはほぼ不可能です。新劇場版は明らかに基本情報を知っている人向けに作られており、エヴァ、使徒、セカンドインパクト、人類補完計画といったキーワードが何の説明もなく流されていきます。

例えば「碇ユイ」という本編には一度も姿を現さない故人ではあるが、物語においては非常に重要な立ち位置にあるキャラクターがいるのですが(『AKIRA』のアキラみたいなものですね)、この人物とは何者かという説明もロクにないまま、台詞では普通にこの名前が出てきます。

第3作『Q』でようやくまともな説明が入るような状態なので、事情が分かっていない人が見ると途中まで何の話をしているんだか訳が分からないと思います。

その魅力について

単純ではないエヴァの魅力

エヴァの何が難しいって、見ていない人に魅力を伝えることが非常に困難であるということです。エヴァ好きの人に聞いても、十中八九「とりあえず見てみろ」としか言われないはずです。

なぜそんなことになるのかと言うと、端的にあらすじを説明することがほぼ不可能である上に、普通のロボットアニメではない点が魅力なので、本作を語るに適切な文脈が見当たらないのです。

「単純明快さ」は面白さの一つの基準ではあるのですが、それは絶対条件ではなく、「難解さこそ醍醐味」という娯楽作品もあります。それがこのエヴァなのです。

ただしこんな勧められ方をした人の大半は「絶対見てみたい!」ではなく「なんか敷居が高そうだな。体調の良い時にしとくか…」になりがちで、本作最大の特徴は新規ファンにとっての最大の参入障壁になっているということが、何とも悩ましいところです。

そこで、このパートではなるべく端的に作品の魅力を解説することにします。

バラエティ豊かなアニメ

基本的に本作はエヴァvs使徒を描いたSFアクションであり、特に6~13話にかけては毎回のように新たな使徒が現れ、ほぼ一話完結でエヴァが次々に使徒を倒すという快活な娯楽路線を走ります。

しかし総集編的な14話、エヴァが登場しない15話を挟んでの16話以降は人間の心に関心を持ち始めた使徒がパイロットたちに心理攻撃を行うようになり、己の心の闇と向き合わざるを得なくなった彼らの苦悩が観念的な描写と詩的な言葉で描かれます。

ここからは娯楽性がどんどん削ぎ落されていき、人生とは何ぞや、幸福とは何ぞやといった哲学的な思索がはじまります。

そして最強の使徒ゼルエルを倒した19話以降、物語の焦点は使徒殲滅戦からは完全に離れ、人類補完計画を軸に人類の進化論をテーマにしたハードSF路線へと突入していきます。

この多彩さこそがエヴァの魅力であり、シリーズが進行するにつれ様々な表情を見せてくれます。

加えて人間ドラマも充実しているのですが、特に私が驚いたのは15話「嘘と沈黙」でした。

これはエヴァも使徒も登場しない箸休め的なエピソードで、主人公達のある休日が描かかれるのですが、その中心をなす葛城ミサトと加持リョウジの大人のラブストーリーがとにかく良くできていて見入ってしまいました。

自分が男に父親の姿を求めてたって、それに気付いたとき恐かった。どうしようもなく恐かった。

加持君と一緒にいる事も、自分が女だと言う事も、何もかもが恐かったわ。

こうして都合のいいときだけ男にすがろうとする、ずるい女なのよ!

これが夕方6時のアニメ枠で飛び交っていたセリフですからね。どんだけすごい作品なんだ、これはと。

また最終話にて碇シンジの脳内世界で繰り広げられた明るい学園コメディ風のドラマは、本編ではほんの数分足らずの扱いであったにもかかわらずある層には滅茶苦茶に受けて、後に「学園エヴァ」として二次創作物が多数製作されることとなりました。

これだけ膨らませられるほど本作のキャラクター造形は秀逸だったということであり、綾波レイや惣流・アスカ・ラングレイは現在に至るまでエヴァという作品を離れて単独での人気を誇っています。

リアリティの追及

基本は荒唐無稽なロボットアニメではあるのですが、「もし本当に巨大ロボットが存在するとしたら」を徹底的に追及した作風となっています。

使徒という巨大な敵が現れた時、まず対処するのは自衛隊。エヴァを動かす際には日本国政府や自衛隊への事前通告がなされます。何かあれば役所が動くという当然のことが描かれているのです。

またエヴァという巨大兵器の製造や運用には莫大なコストがかかっており、金にかかわる問題で組織の責任者である碇ゲンドウは常に小言を言われ続けます。

そしてエヴァは戦闘のたびに汚れ、破損するのですが、翌週には勝手にピカピカになっているということはなく、ドックでメンテナンスを受ける様が度々登場。あまりに損傷が酷い機体は次の戦闘には不参加ということもよくあって、これがプロダクトであるという点が強調されます。

また戦場となる街の住人たちは事が起こるたびに避難を要求されて疲弊。戦時下の国民生活までが描かれているのです。

その他、特撮モノやロボットアニメでは流されがちだが実はおかしな点(重要な兵器にはベテラン軍人を乗せればいいのになぜ子供がパイロットなのか、なぜ東京ばかりが襲われるのかetc…)すべてに答えが示されており、まったく死角がありません。

奥深い設定と小出し感の中毒性

これは上記リアリティへのこだわりの延長なのですが、とにかくあらゆる設定が考えつくされており、その情報量には圧倒されます。

以下「用語説明」の項を読んでいただければわかる通り、世界観やアイテムに置かれた設定は興味深いものばかり。

ただしこれらの情報の出し方が独特であり、どの設定にも丁寧な説明がつくことはありません。初回より耳慣れない言葉が当たり前のように飛び交い、それが何を意味するのかを視聴者は推測するしかありません。

ちょっと聞くと不親切な作りに思えるかもしれませんが、小出しにされる情報を拾って少しずつ世界観を理解していくという作業には中毒性があり、これこそが作品の世界にどっぷりとハマることとなる仕組みとなっています。

素晴らしい仕事の集合体

主題歌「残酷の天使のテーゼ」(1995年)はCDが50万枚のセールスを記録したのみならず、放送終了後20年以上経ってもカラオケの人気曲ランキングでトップ5に入り続け、通信カラオケ大手JOYSOUNDが発表した平成に歌われた曲ランキングでは堂々の1位を獲得。アニソン史上最強曲と言える評価を獲得しています。

また鷺巣詩郎が担当したBGMもいまだにバラエティ番組などでよく耳にするものであり、エヴァを知らない人でも音楽を聴くと「ああ、あれか」と言えるものばかり。

このように、アニメの枠を超えて評価されるワークの組み合わせで本作は構成されており、この点でもエヴァが奇跡的な作品だったと言えます。

用語の説明

ここからは用語解説ですが、未見の方が読んでも何言ってんだかサッパリ分からないはずです。見始めてはみたものの謎が多すぎてついて行けんという方に向けた情報にしています。

なお、情報はすべてテレビシリーズおよび旧劇場版のものであり、漫画版や新劇場版では異なっている部分もあります。

使徒

舞台となる第3新東京市にやってくる巨大生命体で、その目的はサードインパクトを起こして人類を絶滅させること。

使徒には別格の存在がいます。それは生命の起源とも呼ばれる第一使徒アダムと第二使徒リリス。

原始地球にまず漂着した生命の起源が第一使徒アダムであり、その子孫である使徒たちこそが地球の支配者になる予定でした。

しかしその後何らかのトラブルで予定にはなかった第二使徒リリスも漂着し(ファースト・インパクト)、その衝撃でアダムと使徒たちは永い眠りにつきます。そんなこんなでリリスの子孫である人類が先にこの星を征することとなり、セカンド・インパクト後に目覚めた使徒たちが人類排除に動き出したというわけです。

本作で描かれるのは人類と使徒との種の存亡をかけた戦いなのです。

そして本編中には「生命の実を得たのが使徒」「知恵の実を得たのが人類」というセリフがあるのですが、これにより使徒たちは強靭な肉体を持つ反面、せっかく十数体もいるのに集団で襲い掛かるという合理的な戦法をとれないことの説明になっています。

こういう気の利いた設定もまた、エヴァの魅力なのです。

エヴァンゲリオン

略してエヴァ。ミサトさんはエヴァーと発音する。

生命の起源(第一使徒アダム、もしくは第二使徒リリス)をコピーして作った人造人間であり、その目的は来るべき使徒迎撃。巨人に装甲を着せて↓こういう状態になっています。

事情を知らない人が見るとどう見てもロボットなのですが、コアなファンの前で迂闊にそう言ってしまうと厳しいレクチャーが始まるので注意が必要。

本作には肉体と魂が揃ってようやく一つの個体として機能するという基本原則があり、人造人間であるエヴァンゲリオンには本来魂がなく、そこには開発者の魂が宿っています。

初号機には碇シンジの母親である碇ユイ、弐号機には惣流・アスカ・ラングレーの母親である惣流・キョウコ・ツェッペリンで、アダム発で本来は使徒寄りであるはずのエヴァが、子を思う母の愛情により人類の言うことを聞いてくれているということのようです。

よって操縦者は開発者の実子に限定されています。

シンジが絶体絶命のピンチに陥り万策尽きた時に初号機が勝手に動き出し、ネルフが想定してきたスペックを遥かに上回る力を発揮するという展開がしばしば発生しますが、これは我が子を救いたいという碇ユイの親心あってこそだったわけです。

ただし、碇ゲンドウは思春期真っただ中でいつ反抗し始めるか分からないシンジやアスカに頼り切った運用が思わしくないと考えており、また赤城リツ子はエヴァに宿った女性達の魂を信用していなかったようで、パイロットを入れ替えての互換実験や、エヴァにパイロットが乗っていると錯覚させるダミープラグなど、属人性を排除した操作方法を何度も試します。

どれもうまくいきませんでしたが。

綾波レイ&渚カヲル

二人とも人間の形をしたキャラクターなのですが、実は人間ではない特殊な存在。

綾波レイはエヴァ初号機に取り込まれて消滅した碇ユイのクローンであり、そこに第二使徒リリスの魂を込めたものでした。よって肉体が消滅してもクローン再生して再度魂を注入すれば復活させることができ、テレビ版では3人の綾波レイが登場します。

ユイの墓参りに行った際、ゲンドウはシンジに対して母の写真はすべて破棄したと言います。その時点ではゲンドウなりの故人の悼み方なのかなと思っていたのですが、レイの設定を知ると、ユイの写真があるとレイの正体がバレてしまうため隠滅したとも解釈できます。

彼女を碇ユイのクローンだと思って第一話から見ると、息子のシンジが母親のクローンと恋仲に近くなったり、レイを通してユイに恋し続けるゲンドウと、その正体が母とは知らずレイと親しくなるシンジの親子間の三角関係という気持ち悪い話にも見えてきます。

続いて渚カヲルですが、彼は第十七使徒タブリスとも呼ばれるものの、その正体はゼーレがサルベージした第一使徒アダムの魂を人間の体に定着させたものでした。

アダム当人であるためアダムの肉体をベースに作られたエヴァを自由に操ることができ、また旧劇場版で登場するエヴァ量産機はカヲルのパーソナルをコピーしたダミープラグによって動いています。

セカンドインパクト

2000年に南極大陸で起こった大爆発であり、これにより人類の半数は死亡し、地球の生態系は一変。直接の描写こそないものの、劇中の設定や物語の核心部分に大きく関わる一大イベントとなっています。

それは当初、第一使徒アダムと人類が接触したことにより起こったものと説明されていたのですが、実は嘘で、実態は碇ゲンドウらがアダムを卵にまで還元しようした際に発生した膨大なエネルギーによるものでした。

では、なぜ碇ゲンドウはアダムを卵にまで還元しようとしたのか。

我々人類は本来地球を支配すべき種族ではなく、アダムの子である使徒たちこそが予定されていた支配者でした。もしアダムと使徒たちが覚醒すれば偽りの支配者である人類は存亡の危機に陥るので、彼らを予防的に還元したということです。

その副反応として起こったセカンドインパクトで世界人口の半分を死に至らしめるという大変な被害を出したものの、ゲンドウ達の時間稼ぎのおかげで人類は使徒に対抗しうるエヴァを建造することができたので、結果から見るとゲンドウは人類を救ったということになります。

劇中、碇ゲンドウは人格的に問題のある人物として描写されているのですが、このままほっとけば人類は滅亡という中で、世界規模の大災害を引き起こして数十億単位の人間を犠牲にして残りを生かすというサノスレベルの大決断を背負ったのだから、ゲンドウがおかしくなるのも当然だと思います。

人類補完計画&サードインパクト

本編中最大のキーワードにして最大の謎。公式が言葉を濁しているのではっきりとしたことは誰にも分からないのですが、何となく私が知っていることを書いておきます。

使徒の項でも書いた通り、サードインパクトとは人類を滅ぼす大惨劇。

そしてゼーレとゲンドウは使徒が引き起こそうとするサードインパクトを防ぎつつも、人類補完計画遂行のため人為的にサードインパクトを引き起こそうともしています。

では人類補完計画とは何か。それは「出来損ないの群体として既に行き詰まった人類を、完全な単体としての生物へ人工進化させる計画」(©葛城ミサト)

これだけではよく分からないのでもう少し噛み砕くと、人類は個体であることを捨て、生命の実と知恵の実の両方を得た完全単一生命体へと進化する。それにより永遠の命と魂の安らぎを得ることになるということらしいです。

ただしゼーレとゲンドウでは計画にズレがあるようで、↓こんな感じになっています。

サードインパクトの起こし方顛末
ゼーレの計画アダムの魂を持つ渚カヲルと、ネルフ地下に安置されているリリスの肉体との接触による発動カヲルが計画を拒否し、エヴァ初号機に乗るシンジに自分を殺させたので失敗
ゲンドウの計画手の平にアダムの肉体を埋め込んだゲンドウと、リリスの魂を持つレイの接触による発動レイが計画を拒否し、ゲンドウは腕ごとアダムをレイに奪われて失敗

この違いが結果にどう影響するのかはよく分からないのですが、ともかく方法の相違に端を発したゼーレとゲンドウのパワーゲームが本編の魅力の一つとなっており、その緊張感がピークに達した末に起こった戦略自衛隊によるネルフ本部襲撃や、エヴァ弐号機vsエヴァ量産機は旧劇場版での見せ場となっています。

結果的にゼーレとゲンドウの計画はどちらも失敗したのですが、ではその後どうなったのかと言うと、アダムとリリスの融合体となったレイに主導権が移り、レイはシンジを中心として初号機・量産機を依り代としたサードインパクトを発動。

全人類は肉体を失い補完が完了したかに見えたのですが、直後にシンジは傷つけあってでも自己と他者が存在する世界の方が良いと考えを改め(この逡巡が描かれるのが「自己啓発セミナー」と揶揄されたテレビシリーズ最終話)、補完は中止。

LCLの海と化した世界にシンジとアスカの個体が再生されます。

その他の人類がどうなったのかは明確に描かれないのですが、他者を認めようというシンジの出した結論を勘案すると、その後に全人類が再生されたものと思います。

そして2007年から公開がスタートした新劇場版はリメイクではなく、サードインパクト後に再生した世界を舞台にした、実はテレビシリーズ&旧劇場版と世界観が繋がった物語ではないかという推測があります。

最後に

エヴァは厄介です。これは間違いありません。しかし面白さと分かりやすさは必ずしもイコールではなく、難解さにこそ面白さが宿っている場合もあります。エヴァがまさにそうなのです。

テレビシリーズを全部見たという人の中で、つまらなかったと言う人を見たことがありません。見れば絶対に面白いと言えるシリーズであり、しかも入口となるテレビシリーズはたったの26話しかないので、ガンダムやドラゴンボールなどと比較すると遥かにハードルは低いと言えます。

ぜひともこの世界に参加してみてください。

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