(2019年 日本)
人気漫画を実写化した大ヒットシリーズ第一弾。大規模なロケーションや豪華俳優陣など見所は少なからずあれど、悪い意味で漫画的な展開の連続と、大袈裟すぎる山﨑賢人の演技で台無しに。
感想
原作漫画もNHKのアニメも未見。
そんなわけで接点のなさすぎる作品なので実写映画シリーズも今の今まで見てこなかったが、第4弾『大将軍の帰還』(2024年)の公開が近いということで、何となく見てみた。
500年の争乱が続く春秋戦国時代を舞台に、中華統一を目指す秦王・嬴政(吉沢亮)と、天下の大将軍を目指す信(山﨑賢人)の活躍を描いた歴史巨編。
中国ロケを敢行したことによる画面の説得力、オールスター共演のゴージャスさなど、見るべき点は確かにある。さすがは天下の東宝が社運を賭けた一大超大作だ。
ただしそうしたものを帳消しにするほど、日本映画の悪いところがドバーっと出ているが・・・
まず、本作のリアリティラインは一体どこにあるのかよく分からない。
主人公/信(山﨑賢人)は奴隷出身なのだが、いつかは剣でのし上がってやるという野望を抱いている。
そのために欠かさずやってることが、幼馴染の漂(吉沢亮/二役)との剣術ごっこなんだけど、こんなお遊びが実戦で通用してしまうという点がカックンだった。
加えて信はどれだけボコボコにされても「うぉ~!」という気合でパワーアップし、最後は強敵を討ち取るという少年マンガイズムの体現者なのだけれど、やはりこれも実写でやられるとかなりおかしなことになってしまう。
歴史映画としてそれなりに見てくれが仕上がっている分、主人公の漫画チックな活躍が浮いてしまうのだ。
クライマックスなんてすごいことになっていた。
山の民3千人で、8万人の兵士が集結している王都奪還へと向かう。
この時点でも相当な無理があるが、3千人のうち城門をくぐれたのがたったの50人なので、50vs80000という絶望的な戦いとなる。
どう考えても勝負として成立していないのだが、それでも50人で勝利してしまうのだから出鱈目にもほどがある。
「一騎当千」という言葉をアテにしていたのであれば、やはりそういう映画だというルックスは必要だっただろう。
同じく始皇帝を題材としたチャン・イーモウ監督の『HERO』(2002年)や、ザック・スナイダー監督の『300』(2006年)のように、独特の美意識で装飾してリアリティとは一線を画した映画であるというアピールはあるべきだった。
その他、戦場なのに露出度高めの衣装の長澤まさみとか、矢で射抜かれてもなぜか死なない山の民とか、矢で狙える位置にターゲットである嬴政がいるのになぜか剣で対抗し続ける宇梶剛士とか・・・
てかさぁ、討ち取られたら終わりなのだから、嬴政が前線に出てきちゃいけないよね。あなたは山奥に隠れていなさいよ。
作戦は信が成蟜(本郷奏多)の首を獲るかどうかにかかっており、外にいる50名は勝利を信じてひたすら耐えているのだが、肝心の信がさっさと決着をつけず、ダラダラダラダラ喋っているあたりもストレスだった。
漫画においては時間経過はさほど意識されないのだろうが、実写映画というメディアにおいては重要になってくる要素なのだから、映画向けの刈り込みは必要だった。
本作は漫画というメディアを実写映画にコンバートする作業に、ことごとく失敗している。
原作を知っている人ならばいろいろと脳内保管できるので納得できたかもしれないけど、原作未読者にとっては違和感だらけで、どう見ればいいのか最後まで分からない映画だった。
あと山﨑賢人のオーバーアクトは何とかならんかったのか。
セリフ一つ言うにも大袈裟な顔芸を披露し、見てれば分かることでもいちいち言葉に出して報告する。悲しみ、怒り、驚きという感情を、すべて「大声で叫ぶ」という一つの表現方法のみで押し切ってしまう。
日本映画界でのみ「熱演」とされる演技をバカ正直に実践していて、まぁ鬱陶しいの(笑)
終始落ち着き払った吉沢亮や、憎々しい本郷奏多の演技は良かっただけに、余計に山﨑賢人の演技だけが悪目立ちしている。
嬴政でも苦慮していた山の民との交渉を信がまとめてしまうくだりは、彼のカリスマ性を象徴する場面になるべきだったんだけど、山﨑賢人の演技がへたくそすぎて「なんで今ので相手が納得してくれたの?」という疑問符しか浮かばなかった。
最新作も含めるとあと3作も残っているが、これ以上見る気にはならないかな。
コメント
絶叫させたり大げさなリアクションを取らせたりするのを熱演と呼ばせる日本の風潮ってどこが源流なんでしょうね
アイドル、もしくはアイドル出身の俳優が邦画の興行成績を担っているので、演技経験の少ない彼らでもモノにしやすいメソッドとして絶叫演技が定着したのではないかと個人的には推測しています