秒速5センチメートル(2007年)_男の恋愛はフォルダ保存【5点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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青春もの
青春もの

(2007年 日本)
小6当時の初恋を忘れられず、社会人になってもウジウジし続ける男の醜態を、やたら綺麗な映像とポエムのような台詞で装飾した、何とも奇妙な映画。ハマる人にはハマるのだろうけど、個人的には心に響かなかった。

女は上書き保存、男はフォルダ保存

『君の名は。』(2016年)も、『天気の子』(2019年)も、『すずめの戸締り』(2022年)も見ていない非国民なので、当然本作も見ていなかった。

このほどNetflixにあがっているのを発見し、上映時間63分とコンパクトな上映時間だったこともあって寝る前の暇つぶしに見てみたが、これまで触れてこなかったことも納得の合わなさ加減だった。

主人公の貴樹は、同じ小学校に通う明里に初恋をするのだが、双方の親が転勤族だったこともあり距離的に離れてしまう。人生が交錯していたのは小学校時代の数年だけなんだけれど、貴樹は高校生になっても社会人になっても初恋を引きずり続けるというのが、ざっくりとしたあらすじ。

新海監督の特徴である映像美と詩的なモノローグは初期作品より健在なんだけど、そうした装飾を取り払ってあらすじだけを書き出してみると、何ともざんない話である。

ひたすら内省的な主人公の心の声を聞かされるのはまぁまぁしんどくて、たった1時間強の上映時間が、悪い意味で長く感じられた。

男女の恋愛観の違いについて、「女は上書き保存、男はフォルダ保存」と聞いたことがある。

女性は今を大事にするリアリストで、男は過去の美しい思い出に浸るロマンチストということらしいが、本作はまさにそれを地で行く内容となっている。

第1話「桜花抄(おうかしょう)」

この時点で貴樹と明里は両想いなんだけど、より想いが強いのは明里の方だったのかもしれない。

一生の思い出に残る夜(エロい意味ではない)を二人で過ごした後、明里は別れ際に「貴樹くんはきっとこの先も大丈夫だと思う」と言って気持ちに区切りをつけた一方、貴樹の中では明里に対する思いが決定的となった。

その後のエピソードを考えると、それはもう執着と言っていいかもしれない。

男とは愚かな生き物で、一度でも自分に好意を抱いてくれた女性のことは一生覚えている。

何年も前に一度告白されただけなのに、今でも自分を慕ってくれてるんじゃないかという錯覚を生涯抱き続けるのである。阿呆だ。

こうして貴樹は致命的なまでに拗らせていくのだけれど、同性である自分自身にもこうした一面がないとも言い切れないので、すご~く嫌な面を深掘りされている感があって居心地悪かった。

ネットを見ると、本作を美しい恋の物語と解釈している人が一定数いる。

別の生き物である女性がそう解釈するのはまあ何となく分かるけど、男でこれを見て「素敵!」とか思う心境はちょっと分からないかな。

第2話「コスモナウト」

このエピソードでは、別の女子(花苗)が貴樹に好意を寄せてくれる。

花苗の好意は見え見えで、貴樹自身も思わせぶりな態度をとっているのだが(意識的なものなのかどうかは不明)、ついぞ二人の関係は成就しない。

思春期の男女のすれ違いという点では結構芯を喰った内容ではあるのだけれど、ではこの時の貴樹の内面はというと、やっぱり気持ち悪いの。

はっきりとは説明されないが、明里とは完全に切れている。

中学時代のような文通はしていないし、メアドは知っていても送信ボタンを押せないでいる。

花苗に対しては思わせぶりな態度を取って「日常接してくれる女子」を確保しつつ、完全に神聖化され現実より乖離した偶像(=アイドル)と化した明里への信心をやめない貴樹。

初恋相手を神聖化する男性心理が克明に切り取られていて、やはり居心地が悪かった。

第3話「秒速5センチメートル」

このエピソードでは、社会人になってもなお明里教から抜け出せていない貴樹の姿が描かれる。

1~2話は「わかるわかる」と思いながら見ていた私も、これはさすがに分からんかった。

いい歳の社会人になった男が、小6の時にいい感じになっただけの女子を忘れられないなんてある?思い出に浸るというレベルならともかく。

この時点でストーカー的な恐ろしさを感じて、完全に引いてしまった。

貴樹、マジやばい奴である。

こいつはそこそこモテるという設定のようで、その時々で一応の彼女はいるので完全な反社会的存在にはなっていないものの、もしもブサメンならヤケになって人ひとりくらい殺しそうなタマである。

イディオット・プロット

あと細かい点でのリアリティが不足していることも気になった。

例えば第1話。貴樹は明里に会いに栃木にまで行くのだけれど、なぜか休日ではなく放課後に出かける。しかも大雪警報が出ている日に。

これは典型的なイディオット・プロットというやつだ。

イディオット・プロットとは映画評論家ロジャー・イーバートによる造語で、登場人物がバカでなければ成り立たない話のことを指す。

本作の場合、「なぜか放課後に出発する」「なぜか大雪の日なのに断行する」「イレギュラーな気象条件下でも電話連絡ひとつしない」「途中停車駅で電車が立ち往生しても電話しない」といった貴樹の不合理な行動によって、作り手の意図したシチュエーションが出来上がっていく。

移動の最中に貴樹が感じる焦燥感以上に。私の心ではイライラが募った。

で、栃木に着いたら着いたで、明里の家に泊めてもらえばいいものを、どこぞの農家の納屋で一晩を送る。

下手すりゃ凍死だし、大雪の日に出ていったっきり帰ってこない子供達を誰も探さなかったのかと、あまりのご都合主義に辟易とさせられた。

第2話において、貴樹は種子島の高校に通っている。エンジニアの息子なのかな?

まぁそれはいいんだけど、第1話で置かれていた「中学受験を経験した」という設定と噛み合っていない。

中受をさせる家の場合、子供が低学年までは転勤族の父親に付き合うんだけど、受験期に差し掛かる高学年以降は単身赴任になってもらい、家族は大都市圏に家を買って定住するのが通例。

夫の転居に付き合うのが嫌で子供に受験させる奥さんだっているくらいだ。

中学どころか高校になっても父親の転勤に付き合うなんてことはないだろう。

そんなわけであまりにも合わない話だったのだけれど、映像とポエムの組み合わせは素晴らく、エンディングの「One more time, One more chance」で何となく良いものを見た気にはさせられた。

この辺りがクリエイター新海誠の凄いところなのだろう。

願わくば、話がもっと面白ければ・・・

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