レディ・バード_まさかアメリカの女子高生に感情移入できるとは!【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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青春もの
青春もの

(2017年 アメリカ)
アメリカ製の青春映画は基本的に不得意なのですが、本作だけはいけました。描かれているのは文化的背景にとらわれない若者の普遍的な悩みだし、重くなり過ぎることなく笑いを含めながら見せるという語り口も良く、大変感情移入できました。

あらすじ

サクラメントの高校生クリスティ/自称レディ・バード(シアーシャ・ローナン)はニューヨークの大学への進学を希望していたが、母親(ローリー・メトカーフ)からは家の経済的事情から地元の公立大学でなければならないと言われ、毎日のように口論をしていた。

スタッフ・キャスト

脚本・監督はグレタ・ガーウィグ

1983年サクラメント出身。本作は一応フィクションではあるのですが、ほぼガーウィグ自身の物語だと言えます。

本職は女優業であり、本作で監督業に本格的に乗り出したのですが、その作品でアカデミー監督賞・脚本賞にノミネート。次回作の『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)でアカデミー作品賞・脚本賞にノミネートと、短期間でクリエイターとしての評価を確立しました。

なお2020年度アカデミー賞では旦那のノア・バームバックも『マリッジ・ストーリー』(2019年)でアカデミー作品賞にノミネートされており、ひと家族から同時に2作品もオスカーノミネート作品を出すという珍しいケースとなりました。

主演はシアーシャ・ローナン

1994年ニューヨーク出身なのですが、両親ともにアイルランド人で3歳の時にアイルランドに移住しているので、国籍はアイルランドです。

『つぐない』(2007年)では13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされ、『ブルックリン』(2015年)、本作『レディ・バード』(2017年)、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)でアカデミー主演女優賞ノミネートと、賞レースで圧倒的な強さを誇っている若手女優です。

感想

日本人でも親近感のわくアメリカの青春ドラマ

カトリックの女子高に通う女子高生の物語という、私の人生に1ミリも関係もしない少女クリスティン・自称レディ・バード(シアーシャ・ローナン)が本作の主人公。私はアメリカの青春映画は苦手で、特に本作は厳しいかなと思っていたのですが、意外なことに本作には感情移入しまくりでした。

多分、それはカルチャーを前面に出していないからだと思います。アメリカの青春映画って舞台となる時代の流行曲を流し、昔こんなことやってたよなぁと監督や脚本家達が郷愁を覚える事柄をやたらいじくるので、そのことが日本人である私にとっては厳しく感じられることが多いのですが、本作は驚くほどにカルチャーに触れていません。

テーマになっているのは親の経済状況や、進学や、今の環境に対する反発で、どれも万国共通の話なので、日本人でも親近感のわく内容となっています。

実家が貧乏という足枷

レディ・バードの悩みは実家が貧乏であること。そのことは主に2つの問題を起こしています。一つ目は希望する大学へ進学できないこと、二つ目は恥ずかしくて友達に実家の状況を秘密にしなきゃいけないこと。

まず一つ目ですが、レディ・バードは地元サクラメントを何もない街とした上で、ニューヨークの大学への進学を望んでいるのですが、お母さんからは「うちは貧乏なんだから地元の公立大学じゃないと無理よ!」と夢も希望もないことを言われています。ほぼ、毎日言われています。

家の経済状況って18歳の子供にはどうしようもない部分なので、まずここで人生の選択肢を失いかけているのは切ないことです。レディ・バードはお父さんを頼りにし、失業中のお父さんは娘の学費のためにと頑張って就職活動をします。でもうまくいかない。作品全体が暗くなりすぎることはないのですが、貧乏って切ないということを思い知らされる一幕でした。

二つ目、友達に実家を見せられない問題。これもまた切ない話で、両親は地元の公立高校が治安面で問題があることから、レディ・バードの身を案じてカトリック系の私立高校に入れてくれたのですが、お金持ちの多い学校でレディ・バードは窮屈な思いをしています。

どこに住んでいるのかを友達に知られたくないというレディ・バードの気持ちは理解できるし、頑張って生活を支えているのに娘が家を恥じていることにイラっとくるお母さんの気持ちも分かります。貧乏って切ないということを今一度思い知らされました。

ここで面白いのが裕福な友達ジェンナの存在です。レディ・バードは学園内でもイケてるグループの筆頭であるジェンナに接近し、何とか友達ポジションに収まります。ジェンナの家に遊びに行った時のこと、レディ・バードはどんな進路を考えているのかとジェンナに尋ねます。

レディ・バードからすれば、裕福な家のジェンナは望む進路を選択できる羨ましい存在なのですが、意外なことにジェンナはサクラメントを愛しており、地元を離れる気はないと言います。

経済条件で厳しいレディ・バードが都会への進学を望み、恵まれているジェンナが地元で満足しているという捻じれた構図が面白いと感じたのですが、世の中って意外とそういうものですよね。現状でも満足な人生を送れている者に外の世界へ出てみたいというインセンティブは働かず、恵まれない者こそが夢を見る。そして、持たざるのに夢だけ見ている者は大きな苦労を強いられる。なんだか人生の真理を見せられたような気がしました。

そして、田舎の貧乏な実家出身で、東京の私立大学なんか絶対無理と言われて、いわゆる地帝に進学した私が物凄く身近に感じられる話でした。そうそう、選択肢の多い友達が羨ましくて仕方なかったよなぁなんて。

人種の違う兄を通して社会の歪みを指摘

もう一つこの映画で興味深いのは兄の存在です。

父も母もレディ・バードも完全な白人なのに、この兄だけはヒスパニック系で見た目が明らかに違うし、名前もミゲルで完全にそっち系です。最初、彼が一体何者なのかがよく分かりませんでした。最後の最後で不妊に苦しんでいた両親が迎えた養子であり、その後諦めかけた時に授かった子供がレディ・バードだったということが明らかになるのですが、この特異なミゲルの存在にもちゃんとした意味がありました。

ミゲルは地元の名門公立大学を卒業しており、成績不振のレディ・バードは母親から何かと兄と比較されて「お兄ちゃんはバークレー卒業よ」なんて言われるのですが、ストレスがピークに達した時についに言ってしまいます。

有色人種の優遇枠があったからでしょ。

はい、口に出してはならない事実ですね。不利な立場の子供を社会が応援するのは良いことなのですが、困っているのは人種的マイノリティだけではありません。レディ・バードだって兄と同じ家庭に生まれついて進学問題を抱えているのに、社会から注目されて手厚い保護を受けているのは人種的マイノリティだけ。白人のレディ・バードは社会的なセーフティネットに引っかかっていないのです。これはアンフェアですよね。

ミゲルはミゲルで問題を抱えています。名門バークレーを卒業しながらも就職先がなく、現在はスーパーでレジ打ちをしているのです。これもまた、人種的マイノリティを表面上だけ優遇することから生まれた歪です。いざ就活の段階では「名門大出身って言っても、どうせ優遇枠だろ」と企業の採用担当から内心思われて、優秀な人材だと見なされ辛いという問題が起こっているのです。

学校への反発

青春のモヤモヤを抱えたレディ・バードはカトリック系の指導をする学校に対する反発しており、先生の車にイタズラしたり、ちょっとヤンチャなグループと関わったり、性教育の授業で言ってはならない一言を言ったりと、若気の至りでイタイ行動を繰り返します。

確固たる自分があるわけでもない中で、組織の指定する色に染まらないことが個性みたいな浅い自己表現ってありますよね。レディ・バードも完全にそれをやっちゃってるわけです。そもそも本名のクリスティンではなくレディ・バードという名前で自分を呼ばせようとしている時点でイタさ全開なんですが、やってる本人にとってはそれが自己表現なのです。

そして、このイタさも多くの人にとっては他人事ではないんですよね。高校生の頃って、ちょっと悪いことをする快感ってありました。本心からそうしたいのではなく、反発すること自体が目的化しているという。当時はかっこいいと思ってやっていたんですが、大人になって一歩引いて考えるとただただ無駄なことしていたなぁという感じです。

きちんとケリをつけるラストの秀逸性

本作は基本的にはストーリーが弱めで、プロットの積み重ねにより進んでいく映画なのですが、ラスト15分でちゃんと筋の通った物語として収束していくという、奇跡的な仕上がりとなっています。この辺りが、若き日の一コマを切り取っただけの他の青春映画と一線を画している部分でもあります。

レディ・バードは母親に黙ってNYの大学への進学を決め、以来母親とは口を聞かない仲になった状態で旅立ちの日を迎えます。この日に至っても母娘の関係は険悪なものであり、母はレディ・バードからの問いかけに無視を貫き、家族を乗せた車がついに空港に着いても母だけは娘の見送りには降りず、「空港は駐車料金が高いのよね」なんて言って、空港入り口で娘と父を下ろしたまま車で走り去ってしまいます。

しかし、一人になって見栄を張る必要のなくなった車中でボロ泣きする母親。頑固な母親は落としどころを見失っていただけで、内心では娘のことを常に思い続けていたということが分かり、全編に渡って続いていた母と娘の確執がここで節目を迎えます。

NYに到着したレディ・バードは、新しい知り合いに自己紹介する時には本名のクリスティを名乗り、レディ・バードとは言わなくなっています。また、日曜になると近所に教会がないかを探して歩いています。身の回りの人に「教会はどこ?」と聞いても「俺行かないから知らないんだ」などと言われながらも教会を探す様は、数か月前まであれほどカトリックの学校に反発していたのと同一人物だとは思えません。

サクラメントに居る時には周囲のすべてに反発していたが、客観視できる所にまで離れるとちゃんとカトリックの考え方や習慣は彼女の中で根付いており、反発する必要もなくなったことで自然とそれを表明できるようになったという、人生の節目における子供の成長がちゃんと描けていました。

決して感動を煽るようなラストではないのですが、私はこの〆にとても感動できました。

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