(2014年 アメリカ)
素晴らしい演技と素晴らしい構成に支えられ、見終わった後には一つの真理を発見したような気がする、とてつもなく素晴らしい映画。超絶面白いのでオススメ(多分見ている人のほうが多いだろうけど)
感想
怖い、怖すぎる先生
『ファースト・マン』(2018年)、『バビロン』(2022年)と、今やハリウッドで最も注目度の高い監督の一人となったデイミアン・チャゼルの出世作。
次回作『ラ・ラ・ランド』(2016年)でアカデミー監督賞を受賞したけど、完成度は明らかに本作のほうが上。本来はこちらで賞を獲るべきだったと思う(ちなみに本作では監督賞にノミネートすらされていない・・・)。
あらすじは超シンプル。
音楽の名門校に入学し、一流の演奏家になろうと野心を燃やす青年アンドリュー(マイルズ・テラー)と、学院最高の指導者と名高いが、その実ハードなしごきで学生を潰しまくっているフレッチャー(J・K・シモンズ)との強烈な師弟関係が、106分にわたって延々と繰り広げられる。
イヤ~な空気を漂わせながら教室に入ってくるフレッチャーの威圧感がすごい。
それまで雑談に興じていた先輩たちの顔は緊張でこわばり、アンドリューは「えらい所に来てしまった」と戸惑いを隠せない。タレ目&ハの字眉毛のマイルズ・テラーの表情が実に絶妙だった。
そしてフレッチャーはと言うと、学生たちの怖れを感じ取っているかの如く、弱い奴をターゲットに定めていびっていびっていびり倒す。伝説のハートマン軍曹に余裕で並ぶレベルである。
まぁ壮絶なものなんだけど、このフレッチャーがどういう人となりなのかを、アンドリューも観客も掴み兼ねる。
音程が狂ってるだの、テンポがやや遅いだの、名門音大生すら判別できない僅かな差異を指摘してくるあたり、音楽家として優秀な人であることは確か。ならばこのしごきにも何か大きな意図があるんじゃないかと思わせるのだ。
だからアンドリューは鬼のしごきにも必死で喰らいつこうとする。こっちからナンパしてゲットしたはずの彼女を「音楽に専念するにあたって君は邪魔」と言って切り捨て、親戚とも険悪な関係になり、大学生なのに友達一人いない。
朝から晩まで音楽に打ち込み、フレッチャーの要求値を越えようと必死になる。
「努力する姿は美しい」とは言われるが、ものには限度がある。ここまで度を越してくると、アンドリューも立派な狂人と言える。
狂人二人のぶつかり合いは常軌を逸していき、やがて二人とも壊れてしまう。
アンドリューは「何としてでも自分が演奏したい」という思いが高じすぎて演奏会をぶち壊しにしてしまい(あのくだりはアンドリューが被害者っぽく描かれているが、どう考えてもレンタカー屋にスティックを忘れてきたアンドリューに非がある)、フレッチャーはこれまでの度を越した指導が問題視され、二人とも音楽院を追放される憂き目に。
しかし偶然再会したジャズバーで、憑き物が取れたかのように穏やかになったフレッチャーから市民楽団への参加を打診されたアンドリューは、思いがけぬ恩師からの誘いに熱いものを感じ取る。
アンドリューも観客も、ここからは再起を目指す師弟二人三脚の第二章が始まるものと期待する。
あの厳しいしごきの日々にも意味があったんだ!ありがとう先生!という『愛と青春の旅立ち』(1982年)のような結末を連想するところだが、そうは問屋が卸さないのが本作の憎いところ。
狂人二人のセッション
フレッチャーはアンドリューに間違った楽曲を指示しており、演奏会のステージ上で赤っ恥をかかせる。音楽家としての最後の芽まで摘み取り、完膚なきまでに叩きのめそうとしてきたのである。
このドンデン返しには心底驚いたし戦慄した。ここまで腐りきった人間がいるのだろうかと。
しかし思い出してほしい。アンドリューもまた狂人なのだ。
常人ならば泣く泣く退散するであろうところ、アンドリューは怒りをドラムに乗せて独奏を開始する。楽団のメンバーも客もドン引き、フレッチャーがどれだけ制止してもやめない。
やがて場を席巻し始めたアンドリューのパフォーマンスを前に、フレッチャーは「あ、俺が求めてきたのはこれだ」と気づき、そのサポートに回る。
負の感情のぶつかり合いから生まれた二人のセッションはアツイ、激熱だ。ついさっきまで憎しみ合っていた二人が、音楽の前では共闘できる。共に無類の音楽バカなのだ。先ほどまでの泥試合が醜かった分、二人がセッションするさまは美しく崇高に感じられる。
そして一流のパフォーマンスとは正の感情から生み出されるとは限らない、時には腐った魂から生み出されることもあるという、この世の真理を描き出す。
ケイト・ブランシェット主演の『TAR/ター』(2022年)のレビューでも書いたけど、才能面で一流の人間が、人格面で必ずしも優れているとは限らない。
結局フレッチャーとはどういう男だったのかと考えると、優秀な演奏者を生み出したいという崇高な理念と、若い奴をしごいて楽しみたいというゲスな思いを、おそらく同時に抱えていたのだろう。
人間とは善悪で切り分けられるほど単純な生き物ではない。特にハイパフォーマーの世界となれば、美しい善意や努力だけで何とかなるものではなく、剝き出しの闘争心の中でこそ限界を超えた技が現れることもある。
フレッチャーという人物の複雑さには、そうしたこの世の真理が反映されていると思う。
『ペーパーチェイス』(1973年)の先を描いた
そういえば、本作はティモシー・ボトムズ主演の『ペーパーチェイス』(1973年)によく似ている。初見時には「ぶっちゃけパクりじゃないか?」とも思ったほどだ。
『ペーパーチェイス』はハーバードロースクールを舞台に、学生を締め上げることで有名な名物教授と、何としてでも喰らいつこうと猛勉強をする学生が織りなすドラマ作品だった。
意図を読みかねる指導者側の鉄面皮ぶりが話題になり、本作のJ・K・シモンズと同じく、教授役のジョン・ハウスマンはアカデミー助演男優賞を受賞した。
『ペーパーチェイス』のネタバレになってしまうので詳しくは書かないが、この教授は学生側のアツイ思いに応えるような器じゃなかったというのが、そのオチだった。はっきり言うが、ここまで本作は見事なまでに『ペーパーチェイス』をなぞっている。
ただしその更に向こう側を提示したのが本作の凄さだし、「偉大な才能とはこういう形で発掘されるのかも」という一種の真理も感じさせる。だからこそ本作は素晴らしいのだ。
コメント
楽しみに待ってました。レビュー本当にありがとうございます
お待たせしました。お待たせし過ぎました。