ボヘミアン・ラプソディ【8点/10点満点中_音楽映画としては最高。ただし事実との相違が気になる】

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実話もの
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[2018年イギリス,アメリカ]

8点/10点満点中

■クィーン初心者でも楽しめます

まず申し上げると、私はクィーンのことをほぼ知りません。意識せずともよく耳に入ってくる”We Will Rock You”、”We Are The Champions”、”Born to Love You”こそ「ああ、あの曲ね」レベルで知っているものの、最大のヒット曲にして本作のタイトルでもある「ボヘミアン・ラプソディ」は「♪ママ~」の部分しか認識できないし、あとは『フラッシュ・ゴードン』とか『ハイランダー 悪魔の戦士』でやたらテンションの高い主題歌を歌ってた人たちという印象のみです。

そして本作ですが、そんな私が見ても楽しめるほどよく出来ていました。売れて、虚栄心の中で失敗し、そして古巣に戻って再起を果たすというシナリオはこの手の映画の定型通りにまとめられているのですが、この主張しすぎないシナリオが奏功して心地よい予定調和となっているし、クィーンの楽曲の良さやパフォーマンスの凄さこそが本作最大の見せ場であるとすると、それらの魅力を最大限に引き出すための従属物としてストーリーが機能していました。そもそも洋楽を聞かない私のような人間ですら、本作を見た後にはクィーンのベスト盤を買ってみようかという気にさせられたのですから。

なお映画というフォーマットの利点として歌唱に対して訳詞がくっ付いているという点があり、洋楽を苦手とする人間にとって最大のハードルとは外国語の歌詞なのですが、映画ならこの点を克服できていました。”We Are The Champions”なんてよく耳にはするものの、ああいう内容を歌っていたということは今回初めて知りました。ものすごく初心者っぽいことを言って申し訳ないです。

■説教臭くならない程度に抑えられたマイノリティ問題

フレディ・マーキュリーはペルシャ系であり、出身は英国領タンザニアのザンジバル島でした。ザンジバルという名称を聞いてジオンの巡洋艦を思い出して内心盛り上がった方は、なかなかの宇宙世紀通ですね。初めてステージに上がった際には非白人であることで観客から反発を受けたというエピソードが本編にも登場し、また家族にも相談せずに白人らしい名前へと改名したことなど、人種的マイノリティ問題は確かに描かれているものの、これを深追いしすぎて作品のバランスを壊すレベルにまでは至っていなかったことには、ちょっと安心しました。

また、彼が性的マイノリティであったことや、そのことで世間から好機の目を向けられたという点も扱われているものの(というか、これを扱わないことにはフレディの物語は成立しないのですが)、こちらも普通の人たちに対して過剰なまでの罪悪感を与えようとはしておらず、説教臭さがなかった点は良かったです。

■クライマックスの圧巻のパフォーマンス

クライマックスでは、1985年に行われた20世紀最大のチャリティコンサート「ライヴエイド」でのクィーンの圧巻のパフォーマンスが炸裂するのですが、実際の音源と見事な映像技術を用いてクィーンの演奏を余すことなく現在の観客にも追体験させることに成功しています。音源はオリジナルなのに映像は役者が演じているということは、冷静に考えると画面に映っているのは昔はるな愛がやってた松浦あややの芸みたいなものなのですが、高いレベルでの再現度や、ステージと熱狂するライブ観客席とを交互に映し出すという工夫によって、スクリーンのこちら側にいる我々にもライブに参加しているような錯覚を与えています。この没入感は本当に凄いと思いました。

また、2時間のドラマはこのステージに向けて収束していき、観客の感情がピークに達したところでパフォーマンスを炸裂させることで見せ場のインパクトを最大限にまで高めているのですが、見せ場に対してドラマが最高の援護射撃をしているという点には見世物としての完成度の高さもありました。

■都合よく脚色しすぎているという問題

と、映画の内容には大満足だったのですが、少々気になった点が一点。映画だけを見ると、病魔に蝕まれていたフレディが最後の力を振り絞ってライヴエイドという大舞台をやりきり、命を懸けたパフォーマンスを披露して散っていったかのような印象を受けたのですが、このライヴエイドが1985年、クィーンが主題歌を手掛けた『ハイランダー 悪魔の戦士』は1986年の映画であり、ライヴエイドの後も普通に仕事をしていたのではないかという点が引っかかりました。

そこで鑑賞後にwikiを調べてみたところ、1985年はクィーンの活動の中期に当たり、1991年までは曲を出し続けていたというではありませんか。フレディがエイズであるという自覚を持ったのが1987年頃と言われているので、時系列はかなりいじられています。作品の内容に感動しただけに、こうした事実に忠実ではない点にはガッカリさせられました。

また、そう思って作品を振り返るといろいろと怪しい部分があって、1980年代前半にクィーンが解散状態になったのは他のメンバーのせいではなくフレディの暴走が原因だったとか、そのフレディをそそのかしたのは彼の個人マネージャーだったとか、存命中のメンバーを善人として、クィーンの元を去った人たちや故人にのみ悪いことが押し付けられているような印象を持ちました。80年代前半にはブライアン・メイやロジャー・テイラーだってソロ活動をしており、何もフレディだけがクィーンという母船から離れたわけでもないようなのですが、彼らは本作のプロデューサーとしても名を連ねているので仮に落ち度があっても映画には反映できなかったのではないかという気がしています。

■実際の監督がブライアン・シンガーではない件

この映画を見てX-MENのブライアン・シンガーがこんな映画も撮れるんだと感心したのですが、こちらのクレジットもまた真実ではないようです。シンガーは全体の2/3を撮影したところで降板しており、彼の制作会社であるバッド・ハット・ハリーはクレジットから外されたものの、監督組合の規程でシンガーのクレジットだけは残り続けたようです。つまり、これはブライアン・シンガーの映画ではないのです。なお、シンガー降板後にフォックスが代打として考えていたのは『LOGAN/ローガン』のジェームズ・マンゴールドだったようなのですが、フォックスはX-MEN系の監督が大好きなのねという点が妙におかしかったです。

降板した監督がクレジットされ続けているという問題
問題提起 最近『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞して作品内容に非常に感動したと同時に、X-MENのブライアン・シンガーがまさかこんな堂々たる音楽映画を撮ったのかという感慨もあったのですが、後々調べてみるとシンガーは全体の2/3を撮影したところ...

最終的に作品を完成させたのはデクスター・フレッチャーという人物。この人の主な活動は俳優業であり、監督としては過去に3本の映画を撮っているようなのですが、そのどれもがさして有名な映画ではありません。なお、3本の映画のうちの一本はウルヴァリンことヒュー・ジャックマン主演であり、本作からは相変わらずX-MEN臭が抜けませんね。フレッチャーの起用については彼の手腕に全幅の信頼が置かれていたというわけではなく、急な降板によってできた穴を埋めるためにたまたま予定が合っただけというのが実情なのだろうと思うのですが、現場の混乱を収めて作品を完成に導いた手腕はなかなかのものだったと思います。本作での手腕が評価され、現在はエルトン・ジョンの半生を描いた『ロケットマン』という映画を製作中のようです。

Bohemian Rhapsody

監督:ブライアン・シンガー

脚本:アンソニー・マクカーテン

原案:アンソニー・マクカーテン、ピーター・モーガン

製作:グレアム・キング、ジム・ビーチ、ロバート・デ・ニーロ (クレジット無し)、ピーター・オーベルト、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー

製作総指揮:アーノン・ミルチャン、デニス・オサリヴァン、ジェーン・ローゼンタール、デクスター・フレッチャー

出演者:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョゼフ・マゼロ、エイダン・ギレン、トム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズ

音楽:ジョン・オットマン

撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル

編集:ジョン・オットマン

製作会社:20世紀フォックス、ニュー・リージェンシー、GKフィルムズ、クイーン・フィルムズ

配給:20世紀フォックス

公開:2018年10月24日(英)2018年11月2日(米)、2018年11月9日(日)

上映時間:134分

製作国:イギリス、アメリカ合衆国

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