(1984年 イギリス)
入念なリサーチと高い演出力で描かれた核のホロコースト作品の決定版。核によるダイレクトな破壊に留まらず、アフターマスの社会がどのようになるのかという考察までがカバーされており、冷静な分析眼を失わないというバランス感覚にも優れていました。核を題材にするとセンチメンタルになってしまう日本人では決して作ることができないであろう秀作。
作品解説
核のホロコーストブームだった80年代前半
1980年代前半には全面核戦争により人類は滅びるのではないかという恐怖が世界中を覆っており、アメリカでは核戦争後を舞台にした映画『テスタメント』(1983年)が公開され、またテレビドラマ『ザ・デイ・アフター』(1983年)の視聴率は46%に達しました。
この時期、日本でもアニメ映画『はだしのゲン』(1983年)やNHKスペシャル『核戦争後の地球』(1984年)が製作されています。
また娯楽に目を向けても、AIが核戦争を起こそうとする『ウォー・ゲーム』(1983年)や、核戦争後の未来を背景にした『ターミネーター』(1984年)などが製作されており、世界中が軽いパニック状態にあったことが分かります。
“The War Game”(1965年)にインスパイアされたドラマ
イギリスのテレビディレクター ミック・ジャクソンもまた、全面核戦争をテーマにしたドラマの制作を企画します。
彼が参考にしたのは過去にBBCが製作した曰く付きのドキュメンタリー風ドラマ”The War Game”(1965年)。核戦争をテーマにした同作は英国内務省からの圧力を受けて放送が禁止され、後にひっそりと劇場公開されてアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した幻の傑作でした。
こうした前例を持つBBCとしては、”The War Game”の二の舞はご免だとして本作の製作にも消極的だったのですが、これに対しジャクソンは、科学的事実の描写に専念し政治色を排するという方針を打ち出します。
ジャクソンはリサーチに1年をかけ、50人もの専門家への取材により本作の内容を固めました。そして『ケス』(1969年)の脚本家バリー・ハインズと共に中産階級の主人公というドラマ要素を加味し、ストーリーを完成させました。
この番組のためにBBCから与えられた予算は40万ポンドで、作品の規模を考えると少ない金額でした。Blu-ray収録のインタビューによると、非常に小さな区画の中でほとんどの場面を撮影したとのこと。
僅か17日間ですべての撮影を完了させるという、突貫工事のような現場でした。
英国だけで690万人が視聴
本作は1984年9月23日に放送され、690万人が視聴。その週で最高視聴率の番組となりました。
1年後の1985年には広島・長崎への原爆投下から40年ということで再放送されたのですが、その後の放送はなく数十年に渡って半ば封印状態にありました。
日本国内においてもVHSが出たっきりでDVD化はされていなかったのですが、2018年にBlu-rayがリリースされました。
私はBlu-rayリリース時から気になっており、キングレコードの廉価版キャンペーン「死ぬまでにこれは観ろ!」のラインナップに入ったことから購入したのですが、買った後にAmazonプライムで無料配信されていることに気付き、ちょっと後悔しました。
とはいえ、この手の非メジャー作品はある日突然リリースが止まり、高値じゃないと買えなくなるということもザラにあるので、持っておいて損はないと思い直したり、いやいや鑑賞の際の負荷が凄いのでそんなに何度も見るような映画じゃないよなと思ったり。
感想
淡々とした日常に恐怖が迫ってくる
ルースとジミーの若いカップルが本作の主人公。イングランド第4位の都市シェフィールドに暮らす二人はごく普通のカップルで、ルースが妊娠したことから結婚という流れになります。
両家の様子や新生活に向けた二人の動きなどが描かれていくのですが、丁度その頃、イランを舞台に米ソが小競り合いを開始したことから、国際情勢は混とんとしてきます。
日常生活の合間には国際情勢の変化を伝えるテロップが流されて不気味なのですが、劇中の登場人物達は無関心。でも現実世界の我々もこんな感じだよなぁとハタと気付かされました。深刻なニュースは日々存在しているのに、テレビ番組では国際情勢なんて数分程度の扱いで、それを見ても何も感じないという。
そうこうしている内に米ソ対立は取り返しのつかない状況にまで至っており、紛争地からほど遠いシェフィールドにおいても核攻撃警報が出され、まもなく空襲警報が鳴り響きます。
危機が表面化するまでの緊張感や、いざ表面化すると一気に事態は進展していくという恐怖。まだ核爆発は起こっていないのに、この時点で十分に怖いのは高い演出力の為せる技でしょう。
ミック・ジャクソン監督と言えばハリウッドに渡って作った『ボディガード』(1992年)と『ボルケーノ』(1997年)が一般的な知名度の高い作品であり、両作ともに名作とは言い難い出来なのですが、テレビディレクター時代にこんなキレッキレの演出をしていたことには驚かされました。
核戦争後の地獄
核爆弾が炸裂して以降は、ひたすら地獄。
まず熱線と爆風による破壊があって、それを生き延びた者も過酷な条件下でのサバイバルを余儀なくされます。
予算の少なさが影響しているのか、核を扱った作品が通常目を向けがちな建物等の破壊にはさほどフォーカスしておらず、代わりに人体への影響が克明に描写されています。
ミック・ジャクソンは広島・長崎での被害者の状況をリサーチしており、まぁ容赦のない描写が続きます。ジミーの母は顔の半分が焼けてしまっているし、街では焼死した赤ん坊を抱いた女性がいたりと、ダイレクトに怖い描写が続きます。
またモノクロの静止画にして報道写真のようなルックスを作って本物らしさを高めるなど、ミック・ジャクソンの演出力がここでも光っています。繰り返しますが、『ボルケーノ』(1997年)を撮ったのと同一人物とは思えません。
そして前半では非力だったルースは生き延びようと必死になるのですが、それでも乗り越えることが困難なほどの飢えと恐怖に襲われます。それは、熱線で即死したジミーの方がよほど幸せだったんじゃないかと思う程です。
中世に逆戻りした社会
さらに本作がユニークなのは、アフターマスの社会情勢も描いているということ。
インフラの破壊、テクノロジーの断絶、労働力不足、放射能汚染、核の冬の多重パンチで社会全体の生産力は極端に落ち、人口は中世社会と同水準にまで減少。その人口規模を支える程度しか衣食住を生み出せなくなったためです。
家畜はいなくなったので生命力の強いネズミが人々のたんぱく源となっており、市場ではネズミが取引されています。
大人たちは日々の糧を生産することに必死で子供の教育が追い付かず、子供達は擦り切れるほど再生された数十年前の教育ビデオをうつろな表情で眺めるのみ。
こんな状況なのでアフターマス世代は長文を話すことができず、主語・述語・目的語だけの幼児のような単純な言語でコミュニケーションをとります。そして性教育も受けていないので、訳も分からず妊娠します。
核戦争は、文化的退行までを引き起こすのです。
スレッズ(糸)の意味するところ
さて、スレッズ(糸)というタイトルの意味するところは何なのでしょう。
冒頭では、文明社会は蜘蛛の巣を織りなす糸のように複数のテクノロジーの組み合わせで成り立っており、それが強みであると同時に脆弱性でもあるとのナレーションが入ります。
これは核戦争によるシステムの崩壊を指しているのかなと思ったのですが、見終わると崩壊後における文明の再現不可能性を指しているのだろうと考えを改めました。
全面核戦争後にも人口の何割かは生き延びられたとします。その中にはエンジニアなども含まれているはずで、では彼らの手により文明社会の再興は可能なのかと考えると、それはおそらく無理でしょう。
自動車を走らせるという技術を例にとると、エンジンの技術を持っているエンジニアが生き残っただけでは不十分で、車体の技術や電子機器関係の技術は別個に必要となります。さらには素材となる製鉄技術も必要だし、製油技術も、石油や鉄鉱石の採掘技術も必要となります。
ちょっと考えただけでも、車を走らせるにはこれだけの技術の集積が必要であり、そのうちのいくつかの技術がまばらに残っただけでは、最終成果物にまで辿り着かないわけです。
すなわち、世界人口の大半を失うということは死者と共にテクノロジーが失われるのみならず、運よく生き残ったテクノロジーも利用不可能な状態になるということであり、生存者たちはほぼゼロから文明をやり直さなければならなくなります。
これも核のホロコーストの恐ろしさですね。物理的破壊や生命への影響のみならず、人類が蓄えてきた知識という財産までを奪ってしまうわけです。
ここまで来ると本当に地獄。ヒャッハーが暴れてはいるが、まだ車を動かすという技術の継承はあった『マッドマックス2』(1981年)がパラダイスに感じられるほどの状況なのですが、これがリアルなんでしょうね。
陳腐な結論になりますが、核戦争は絶対にダメです。やったら終わりです。
そんな思いを強くする作品であり、センチメンタルに振り切れすぎている『火垂るの墓』(1988年)などよりも、よほどこちらの方を金曜ロードショーで放送すべきと思います。
ところで、本作のどこが「SF」なんでしょうね。独特なセンスの邦題には味がある反面、70年代のB級SF映画のような響きがあって、作品内容を誤解して軽い気持ちで鑑賞した人がトラウマを受けやしないかと心配になります。
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