ミスト_完全無欠の密室劇【10点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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(2007年 アメリカ)
私のオールタイムベスト作品です。極限状態での人間ドラマ、緊張感のある密室劇、そこから垣間見える普遍的な人生の命題と、実に多様なメッセージを受け取れる作品であり、かつフランク・ダラボンによる完璧な構成も決まっており、今後の人生でこれを越える映画に出会うことはできるのだろうかと不安になるほどの作品です。

©Dimension Films

あらすじ

嵐の翌朝、デヴィッド・ドレイトン(トーマス・ジェーン)は壊れた家の修理道具を購入するため、地元のホームセンターに8歳の息子と共に向かった。ホームセンターは町の人々で賑わっていたが、デヴィッド達が買い物をしている最中に店の外を濃い霧が覆い、霧の中からは負傷した人物が「霧の中に何かいる!」と叫びながら店内に駆け込んできた。

不安に感じた人々はいったん店内に残ることにするが、霧は一向に晴れる気配はない。そんな中でデヴィッド達は、裏の倉庫のシャッターで謎の触手に襲われる。

スタッフ

脚色・監督はフランク・ダラボン

1959年フランス出身なのですが、両親はハンガリー動乱から逃れた政治難民なのでフランス人ではなくハンガリー人です。そして幼少期にシカゴに移住したアメリカ育ちです。

いわゆるジャンル映画からキャリアをスタートさせ、『エルム街の悪夢3 惨劇の館』(1987年)、『ブロブ/宇宙からの不明物体』(1988年)、『コマンドー2』(後の『ダイ・ハード』)、『ザ・フライ2 二世誕生』(1988年)、『ロケッティア』(1991年)、『フランケンシュタイン』(1994年)などの脚本を執筆。

本作と同じスティーヴン・キング原作の『ショーシャンクの空に』(1994年)で監督デビュー後には、ジャンル映画には留まらない広範囲の活動をするようになりました。

スピルバーグからの要請で『プライベート・ライアン』(1998年)の脚本にオマハビーチの場面を付け加えたり、ルーカスからの要請で『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002年)や『インディ・ジョーンズ4』(2008年)の脚本のアドバイスを行ったりと、巨匠たちからも絶大な信頼を置かれています。

また人気ドラマ『ウォーキング・デッド』の企画者であり、第一話では監督もしています。

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カーモディ夫人役のマーシャ・ゲイ・ハーデンとは

本作でもっとも強烈なインパクトを残したのがキリスト教の狂信者カーモディ夫人だったので、これを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンについて触れておきます。

1959年カリフォルニア州出身。テキサス大とニューヨーク大で演技を学び、コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』(1990年)で本格的な映画デビューをしました。

エド・ハリスが監督と主演を務めた『ポロック 2人だけのアトリエ』(2000年)でアカデミー助演女優賞受賞、クリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』(2003年)でアカデミー助演女優賞ノミネートと、その演技力には定評があります。

彼女の確かな実力があってこそ、カーモディ夫人にとんでもない迫力が出たと言えます。

真ん中がカーモディさん。物凄い迫力。

作品概要

原作『霧』(1980年)とは

1980年にスティーヴン・キングが発表した中編作品であり、当初はホラー小説集『闇の展覧会』の一編だったのですが、キングの筆が滑りまくった結果、同小説集の1/3のボリュームを占めるまでになりました。

スティーヴン・キングの大ファンであるフランク・ダラボンは本作と『刑務所のリタ・ヘイワース』(1982年)の映画化権を取得しており、監督デビューに当たってはいずれかを映画化しようとしていたのですが、その際に選ばれたのは『刑務所のリタ・ヘイワース』の方でした。

それは映画化に当たって『ショーシャンクの空に』(1994年)と改題され、興行時には振るわなかったものの後に高評価を獲得し、『パルプ・フィクション』(1994年)や『ファイト・クラブ』(1999年)と並ぶ90年代のニュークラシックとなったのでした。

ラストは映画版オリジナル

原作は主人公達の車が霧の外にまで逃げ切ったのかどうか、霧が晴れたのかどうかも明示されないというアルフレッド・ヒッチコックの『鳥』(1963年)のような終わり方をしました。

しかしラストにパンチが欲しいと感じたフランク・ダラボンはその先の展開を考えて、付け足すことにしました。

ラストの変更にあたってダラボンは原作者のキングにも相談して筋を通したのですが、キングから反対されるどころか「素晴らしい。原作を書いた時もこれと同じエンディングにすればよかった」と絶賛されたほどで、原作者公認のラストとなっています。

感想

生々しい人間ドラマ

本作の面白い点は、登場人物が必ずしも好感の持てる人物のみではないということです。

非常時にたまたま地元のホームセンターに居合わせた人々という設定なので当然っちゃ当然なのですが、イヤな人間と過ごさなければならないストレスの描写は画期的に感じました。意外とこんな群像劇ってなかったなぁと。

例えば序盤に登場する短髪の女性。家に子供を残して来ているから誰か帰宅を手伝ってくれと言い出し、誰も手伝ってくれそうにないと「あんた達なんか呪われればいい」と悪態をついて出ていきます。

子供を家に残して来たことには同情するが、あなた以外の人たちにも大切な家族はいるのに、他人が自分のために動いてくれないからと言って悪態ついて出ていくことはないでしょと誰もが思う場面です。

他にも、いくらなだめたり持ち上げたりしても「俺を担いでんだろ。ふざけるな、訴えるぞ!」と言って相談にすら応じない隣人の弁護士など、決して分かり合えない人間、驚くほど話の通じない人間というものが描かれています。

恐怖のカーモディ夫人

そして極め付きがマーシャ・ゲイ・ハーデン扮するカーモディ夫人です。ここにオスカー女優を配置していることからも、フランク・ダラボンがカーモディを最重要人物として捉えていたことは明らかなのですが、そのド迫力、容赦のない暴れっぷりには恐れ入りました。

私的には『ミザリー』(1990年)のキャシー・ベイツと並ぶ怖いおばちゃんでした。って、『ミザリー』もスティーヴン・キング原作でしたね。怖いおばちゃんを描かせるとキングは随一の作家ということになります。

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カーモディ夫人はキリスト教原理主義者という設定。キリスト教原理主義にはハルマゲドン思想があり、世界が滅んだ後にイエスが復活し、敬虔なキリスト教徒だけが助かるという超好都合なことを本気で信じているようです。

つまり世界の終わりを予感させる今回のトラブルは、敬虔なキリスト教信者にとっては「待ってました!」というイベントでもあるわけです。この日のために信仰という保険をかけてきたのよと。

本格的にヤバイ状況になればなるほどボルテージの上がってくるカーモディさん。「今夜悪いことが起こり、死人が出る」という私でも思い付きそうな漠然とした予想を的中させたことから余計に図に乗り、籠城2日目の朝からは予言者気取りになってきます。

密室でのパワーゲーム

ただし、カーモディさん一人が騒いでいる分には特に問題ないわけです。

実際、初日には「あのおばさんうるさいわね」という目で見られており、不安を撒き散らすかのような彼女の言動を遮った教師のアマンダ(ローリー・ホールデン)やアイリーン(フランシス・スターンハーゲン)らの行動は拍手喝采を受けました。

しかし2日目の朝になると力関係は完全に入れ替わります。カーモディ自身がどうだったかというよりも、カーモディを信じることに決めたその他の客達が場のパワーバランスを一転させたのです。

どうやら今の状況はキリスト教原理主義者達の言っていたハルマゲドンのようだと思い始めたオーディエンス達は、カーモディの箱舟に乗ろうとします。

このホームセンターの様子を見ると、歴史上世界に現れた独裁者は彼ら自身が悪いのではなく、その極端な言い草を信用し、その言いなりになることに決めた大衆にこそ問題があったと言えます。

加えて、狭い田舎社会で蓄積されてきた人間関係のストレスもこの流れを後押しします。信仰に流れやすいのはいわゆるブルーカラーの人たちであり、極限状態でも理性的な判断をしようとしているのはいわゆるホワイトカラーの人たちです。

そしてカーモディを含め常日頃からホワイトカラーにバカにされているという意識を持つ人々は、信仰と個人的な恨みつらみがないまぜになった状態で、事ここに至っても信仰になびかないホワイトカラーの人々を攻撃し始めます。

「あんたらみたいな人間が神を冒涜し、こんな事態を引き起こしたのよ!」

よくよく考えてみれば霧の向こう側をモンスターが跋扈していることと、一部の人間に信仰心がないことには全然関係がないのですが、熱狂した人々にそんな正論は通用しません。これが災害時におけるデマの怖さですね。

情報が不足している時に人々はおかしなことを信じてしまうものです。

※ここからネタバレします

判断ミスを犯す主人公                 

そんな地獄の状況において、トーマス・ジェーン扮する主人公デヴィッドは冷静な思考力と行動力を併せ持つ理想的な人間として描かれています。

そしてデヴィッドは、おおよそまともな状態ではなくなったホームセンターに居続けることは、モンスター達の潜む霧の中以上に危険だと考えるようになり、この場所からの脱出を考え始めます。最後の脅威は超自然的な存在ではなく、人間同士の諍いであるという点はロメロ的でもありますね。

この判断は観客にとってももっともなものに感じられるのですが、これが大間違いだったという点が、本作の底意地の悪いところです。

デヴィッド達は仲間の数を半減させながらもなんとか駐車場の車にまで辿り着き、ホームセンターからの脱出には成功するのですが、外に延々と続くのは死の光景であり、彼自身もこの世の終わりを信じざるを得ないところにまで追い込まれます。

そして車のガソリンが尽きたところで進退を決めます。惨い死に方をする前に、みんなで心中するしかないと。デヴィッドは可愛い息子を含め同乗者全員を持っていた拳銃で撃ち殺します。

自分にまで弾が回ってこなかったデヴィッドは車外に出てモンスターの襲撃を待つのですが、轟音と共に現れたのはモンスターではなくアメリカ軍の戦車でした。軍による奪還作戦が始まっており、もう少し待っていれば救援を得られていたのです。

これが映画を見た者すべてを絶望に追い込み、史上最凶の鬱エンディングとまで言われた本作のラストです。

このラストですが、モンスターに自分を食べさせるなという息子の懇願や、ホームセンターを脱出する際に拳銃を拾う場面など、後から振り返ると伏線となる場面がいくつも仕込まれており、決して観客にショックを与えるための一発芸的なオチではありません。

特にオチを知ってから拳銃を拾う場面を見ると「拾うな!そのまま行け!」と画面に向かって叫びそうになってしまいます。

もっと言うと、序盤で短髪の女性が「私を家に送り帰して」と言い出した時に、彼女を助けていればこんなことにはならなかったのです。それどころか、主人公は奥さんの命も救えたかもしれません。

しかし主人公達が決断を迫られたあの瞬間は、あまりに判断材料が無さ過ぎてリスクなんてとれませんでした。そして観客も主人公の決断を支持しました。今は動くべき時じゃないと。

人生は決断の連続

そして現実の世界も不確かな中での決断の連続です。行くべきか留まるべきかの決断をすべての人は迫られ続けます。

結果が出た後になって振り返れば、「あの時こうしておいてよかった」or「ああしておけばよかった」ということは分かるのですが、まさに岐路に立たされている時に、どうすることが最善なのかなんて分かるはずがありません。

それどころか、今が岐路であるということすら分からないことが人生なのです。実際、本作の主人公も最悪の結末に繋がる事象を、意図せずに受け取っているわけですから。

Netflix版もそれなりにイケますよ

この映画版以外にも、『ザ・ミスト』(2017年)のタイトルでNetflixにより連続ドラマ化されたこともあります。

当該連続ドラマは複数の舞台を置いたり、霧の中をある程度は出歩けるという設定にしたりと、密室劇としてはかなりユルくなっています。加えてモンスターのインパクトは本作よりも控えめになっており、全体的にヌルい作りになっていることは否めません。

ただし狂った人間に煽動された人々のその後。熱狂が冷めた後に「自分達はなぜこんなおかしな教えを妄信してしまったのか」と呆然とする瞬間が描かれているので、これはこれで見応えがありました。

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