(2026年 アメリカ)
期待せず見に行ったらものすごく面白かった。冤罪を晴らす主人公という王道の物語と、バディ刑事ものというこれまた王道のフレームに、AIという捻りと高度なビジュアルを加えたらとんでもなく正しいB級アクションに仕上がった逸品。

2000年代SFアクションをコンパクトに要約
劇場公開時から認識はしていたけど「なんとなくつまらなそう」と思ってスルーしていた。
仕事が早めに終わりレイトショーに駆け込めそうになった火曜の夜にネットで近辺の上映スケジュールを探っていたら、最寄りのシネコンで、小さすぎるスクリーンに格下げされたわけでもなく、予約いっぱいで隅っこの座席に追いやられるわけでもないという三条件が揃っていた本作を見ることにした。
座席数200名強のスクリーンに客は5名程度。私を含む全員が一人で来た中年男性で、なんとも侘しい上映だった。
上映館のスクリーンはシネスコだったにも関わらず、シネスコサイズの本作がスクリーンいっぱいに映写されず、上下左右にマスクがかかった状態で上映されたのは謎だったが。
なぜ大きめのスクリーンを小さく使ったんだろう。

という上映方式に係る不満は置いとくとして、物語は短時間で一気に突っ走るサスペンス・アクションの鑑のような仕上がりで、とても満足できた。
治安悪化でどうしようもなくなったので、AIを使って効率よく犯罪を処理するようになったら劇的に改善しましたという、『マイノリティ・リポート』(2002年)みたいな前置きが冒頭でちゃちゃっと処理される手際の良さはどうだ。
AI裁判は「マーシー」と呼ばれている。
これは田代まさしの愛称ではなく、”慈悲”という意味である。
裁判とは人の運命を決めるものであり、それは宗教的な性格を帯びているというキリスト教的価値観もまた『マイノリティ・リポート』譲りだった。
ただし145分もあった『マイノリティ・リポート』に対し、本作はわずか100分にまで切り詰められている。
主人公はLA市警の刑事クリス・レイヴン(クリス・プラット)。
妻殺害容疑をかけられたクリスは、マーシーの証言台兼死刑執行台につながれているのだが、かねてよりアル中のクリスは前夜から深酒をしており、妻が殺された前後に自分が何をしていたのかもよく説明できない。
そこにマーシーが「クリスは真っ黒」という説明を矢継ぎ早にぶち込んでくる。
家庭内で起こった事件なので殺害場面そのものを捉えた映像こそないものの、周辺の防犯カメラ映像や、SNS等からうかがい知れる人間関係から、犯行時間帯に妻といたのはクリスだけだったし、犯行動機もあったということを理路整然と説明してくる。
クリス自身は「自分は決して殺していない、殺すわけがない」という強い確信があるものの、自分の頭の中にしかないものをAIに対して伝えることはできない。
何せ「俺が妻を殺すように見えるか?」と聞いても「そんなの知らんし」としか答えない相手である。
証拠やロジックをもとにしか判断しないAIを納得させるという高いハードルが課せられたクリス。
しかも制限時間は90分で、マーシーは一秒たりとも譲ってはくれない(ここにタイムリミットサスペンスの要素が付加されたわけだ)。
身体は裁判所に拘束されている代わりに、あらゆるデータベースにアクセスする権限を与えられたクリスは、映像や通信記録を辿って制限時間内に真犯人にたどり着かなければならない。
『アンレフテッド』(2014年)や『search/サーチ』(2018年)など、画面を見ている主人公をひたすらに映し続ける作品をプロデュースしてきたティムール・ベクマンベトフ監督は、10年以上にわたり蓄積してきたノウハウをここで一気にぶち込んでくる。
様々な映像にアクセスしながら点と点を線でつないでいく捜査は、独特の映像感覚と流れるような語り口により、ドライブ感に溢れている。
ボディカメラの臨場感などには格別のものがあり、かねてより映像派で鳴らしてきたベクマンベトフ監督は絶好調である。
80年代風バディ刑事ものの面白さ
そして当初は巨大な壁だったマーシーが、クリスの相棒として機能し始めるという関係性の変容も、ドラマに大きな動きを付加している。
真実を明らかにすることのみがマーシーの目的であり、そこに正義感も処罰感情もない。AIはノーサイドであり、真相を明かそうとするクリスには徹底して寄り添ってくれるのだ。
直観を暴走させすぎたクリスをマーシーが理論でサポートする、あるいは証拠が途切れた場面ではクリスが直観という武器をマーシーに伝授する、こうした関係性は面白かった。
かつ、クリスにはリアルの世界にもバディがいる。
LA市警の相棒ジャック(カーリー・レイス)だ。
ホバーバイクを操ってLA中を飛び回り、ハードな大捕り物を引き受けてくれるジャックもまた心強い相棒である。
主人公がデジタルとフィジカルの両面の相棒を得たことで、作品には80年代バディムービーの色も添えられた。これはアクション映画として正しすぎる図式である。
90年代風爆破アクションという大きなオマケ※ネタバレあり
後半にてクリスの冤罪は晴れるのだが、映画はここで終わらない。
妻殺害の真犯人はマーシーシステムに恨みを持つ職場の同僚であり、職場で扱っている化学物質をくすねて爆弾を作り、裁判所に対する爆破テロを仕掛けようとしていた。
で、窃盗の件を会社に報告しようとした妻を殺害したというわけである。
こいつの犯行動機は、無実の弟がマーシーにて有罪判決を受け、即日処刑されたからというものであり、その弟を逮捕したのがクリスだったという、これまた因果な話になってくる。
半径数キロ以内でそんないろんなことが起こるもんかねと、さすがにご都合主義は感じるものの、そもそもこれはB級アクションなので怒る気にもならなかった。
この辺りの観客心理のハンドリングは実にうまい。
ちなみに本作、批評家からは酷評を受けてトマトメーターは24%と低迷しているのだが、一般客からのポップコーンメーターは82%とかなり健闘している(いずれの数値も2026年2月4日閲覧)。
プロと素人の評価がここまで乖離した例は珍しい。
その筋で有名な『ヴェノム』(2018年)ですら批評家支持率31% vs 一般支持率80%なので、この乖離はかなり例外的なものと言える。
爆弾を満載して裁判所を目指す大型トレーラーと、それを阻止する警官隊の攻防は『スピード』(1994年)を彷彿とさせ、ここに90年代爆破アクションのテイストも追加された。
80年代バディアクション、90年代爆破アクション、2000年代SFアクションの要素を全部乗せしたうえで、100分にまで凝縮した本作の充実ぶりには目を見張るほどで、これを悪く言う批評家達には一切の信頼を置けなくなった。

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