ブレードランナー_映像美のみで突き抜けた映画【5点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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(1982年 アメリカ)
21世紀初頭、遺伝子工学の発展によりレプリカントと呼ばれる人造人間が開発され、過酷な労働を担っていた。しかし、人間と同等の知性と感情を持つレプリカントには逃亡を図る者もおり、その追跡のためにブレードランナーと呼ばれる特捜部隊が警察内に置かれていた。2019年、逃亡しロサンゼルスに紛れ込んだ4体のレプリカントを追うために、一度はブレードランナーを引退したデッカードに、かつての上司から追跡の依頼がなされた。

©Warner Bros.

感想

ディレクターズ版よりも劇場公開版の方が面白い

とりわけ大好きな映画というわけでもないのですが、なんだかんだで現存する5バージョンはすべて見ました。なお、5バージョンは監督の意向を汲んだもの(ワークプリント版、ディレクターズカット最終版、ファイナルカット版)と、ワーナーによる改変を受けたもの(US劇場版、インターナショナル劇場版)に大分されます。

ある作品に複数のバージョン違いが存在する場合、私はディレクターズカット版の出来を一番良く感じることが多いのですが、本作については劇場公開版の出来が良いと感じました。全編に渡って挿入されるデッカードのモノローグがハードボイルドな雰囲気を高めているし、背景や状況を説明してくれるため作品の理解にも貢献しています。他方、リドリー・スコットが意図したバージョンは劇場版を鑑賞済でおおよその内容を把握できている人向けであり、初見がディレクターズカット版で話を理解できる人が果たしてどれだけいるのだろうかと疑問に思います。

ただし、劇場公開版のとってつけたようなハッピーエンド、あれは完全に蛇足でした。映画の締めについては、エレベーターが閉じたところで渋く終わるディレクターズ版に軍配が上がると思います。あの後、二人はガフに追われることとなり、デッカードはそう遠くない時期にレイチェルの臨終にも立ち会わねばならない。そんな不安をもって作品は幕を閉じるべきでした。

デッカードは人間かレプリカントか

また、劇場公開版とディレクターズカット版を大きく分ける点としては「デッカード=レプリカント」説がありますが、私は、デッカードは人間でなければならないと思います。作品中、バッティとデッカードは常に対比の関係にあり、短い人生を燃え盛る炎の如く生きるバッティに対して、嫌気がさして一度は辞めたブレードランナー業に大した目的意識もなく戻っていく冷たい男デッカードという構図は、両者がレプリカント対人間だからこそ成り立つものだと言えます。

また、バッティが臨終の際に言う感動的なセリフは人間に聞かせるためのものであり、相手が身内ではその意義が失われてしまいます。この点でも、「デッカード=レプリカント」説を採用していない劇場公開版の方が優れていると言えます。

本来引き立つべきレイチェルが埋没し、バッティの存在感のみが突出した歪なドラマ

作品全体としては、ドラマ作品としても娯楽作品としても不完全燃焼に終わっているように感じました。主要登場人物中、バッティの存在感だけが突出しているのですが、あらすじを辿れば、レイチェルこそが作品の中心にいるべき人物ではないかと思います。自分は当然に人間だと思ってきたが、実は信じてきたものすべてがニセモノだったことを知った悲劇の美女。彼女こそが作品のテーマを如実に体現するキャラクターにして、レプリカントの苦境を観客に疑似体験させるための橋渡し的な役割を果たすべきキャラクターだったのに存在感が薄いのです。

レイチェル役を演じたショーン・ヤングはデビュー後間もない新人であり、確かに演技は小慣れていないのですが、そのぎこちなさがレイチェルのキャラクターと整合しており、決して悪くはありません。本作は、各キャラクターに与える時間配分を間違えており、そのことがドラマ全体を不完全なものにしているように感じました。

主人公らしからぬデッカードの無能ぶり

娯楽作品としては、デッカードの異常な弱さが作品のテンションを落としています。彼が倒したのは女のレプリカントだけであり、しかも一人は丸腰の相手を背後から銃撃し、もう一人はかなりの苦戦の末に射殺。腕利きのブレードランナーであるはずのデッカードにまるでかっこいいところがありません。

また、アクション映画としてのひと山を作り切れておらず、バッティとの最終決戦に至っても手に汗握るものがありません。同時に、冒頭にて未来都市の素晴らしいVFXで観客を魅了しながらも、クライマックスはSFっぽくないボロアパートでこじんまりと終わってしまい、作り込まれた世界観が作品の本質にそれほど影響を与えていないという点も残念でした。

作品概要

映像美というワンポイントで突き抜けた作品

メイキングドキュメンタリー”Dangerous Days”でのジェイク・スコット(リドリーの息子)の証言によると、本作製作時にリドリーは兄を亡くして精神のバランスを崩しており、その喪失感を埋めるべく本作の仕事に没頭したことから、従前より完璧主義の厳しい監督だったリドリーの偏執ぶりにはさらに拍車がかかっていたのだとか。

そもそも映像派として知られていたリドリーが普段にも輪をかけてビジュアルにこだわったことから、本作の映像は驚異のレベルに達しています。主にミニチュアによる大都市全体像と、セットにより再現した街の雑踏は、どちらも情報の密度が凄いことに。

また、撮影に入ってもリドリーの完璧主義は止まらず、やたら多いテイク数がスタッフとキャストを疲弊させ、さらには初日から巨大セットにイチャモンつけて作り直しをさせて、スケジュールの遅れと予算超過はプロデューサー達を青ざめさせました。本作のビジュアルは、それほどのこだわりと労力をもって作られたものなのです。

オリジナル脚本は密室劇だった

本作の脚本家としてクレジットされているハンプトン・ファンチャーの本業は俳優であり、この人はスタンリー・キューブリックの『ロリータ』でロリータ役を演じたスー・リオンと、彼女が17歳の時に結婚したことで一部では有名な人物。そんなファンチャーが初めて書いた脚本が”Dangerous Days”という本作の初稿に当たる作品なのですが、実はそれは密室劇でした。

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ただしファンチャーは遅筆であった上にオリジナル脚本の出来をリドリー・スコットが気に入らず、プロダクションに入るとファンチャーは解雇され、デヴィッド・ウェッブ・ピープルズによってリライトされたという経緯があります。

このように出自が密室劇であったにも関わらず完成した『ブレードランナー』の見せ場は未来の大都市であったことが、前述した通りせっかく作り上げた未来都市が本編とうまく関連付けられていないという事態を引き起こしているようにも感じました。

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