(2024年 アメリカ)
Netflix製のSF映画は総じて出来がよろしくないが、本作は特に酷かった。2時間に渡ってひたすら泣くわ、喚くわ、怒るわのジェニロペを見ていることが本当に苦痛。1億ドルもかけただけあって、見せ場の質が悪くなかったことがせめてもの救いか。
感想
2024年5月に配信された映画なんだけど、長年の経験から「NetflixのSFはヤベェ」ということを学んでいたので、しばらく食指が向かなかった。
2024年8月に見たザック・スナイダー監督の『レベルムーン/ディレクターズカット』の出来があまりにすんばらしすぎて、その余韻の中でついに本作を見てしまったのだが、こちらは相変わらずのネトフリクォリティで全然ダメだった。
よほど暇を持て余していない限り、本作を見ることはお勧めしない。
2043年、AIによる反乱が起こり300万人が死亡。人類は一致団結して勝利を収めるが、AI側の首謀者であるハーラン(シム・リウ)は外宇宙に逃亡した。
28年後、ハーラン開発者の娘でありアナリストのアトラス(ジェニファー・ロペス)は、軍隊のハーラン捕獲部隊に同行するのだが、これはハーランの罠だった。
攻撃を受けた捕獲部隊は早晩全滅。AI嫌いのアトラスだが、背に腹は代えられずスミスと呼ばれるこちら側のAIと協力して難局を乗り切るというのが、ザックリとしたあらすじ。
人類に戦争を仕掛けるAIは『ターミネーター』(1984年)、逃亡するロボットの捜索は『ブレードランナー』(1982年)、口先だけで強くない宇宙海兵隊は『エイリアン2』(1986年)、AIと人間による兄弟殺しは『A.I.』(2001年)、ロボット嫌いの主人公は『アイ、ロボット』(2004年)、パワーローダーの活躍は『アバター』(2009年)と、もはやSF映画の落穂ひろい状態である。
AIものと宇宙探索ものを組み合わせたことがこの企画の数少ない独自性だと思うんだけど、残念ながら、外宇宙の惑星を舞台にした意味はほとんどない。ハーランの潜伏地を地球の僻地ということにしても、おおよそ同じ話になってしまうのだ。
あとAIハーランの真意もお決まりというかベタというか、後半までダラダラ引っ張るような内容でもなかったかな。
AIには人命の保全が最優先のコマンドとして仕込まれているんだけど、人間のダークな一面に触れたハーランは、このままでは人類が滅亡すると確信。
持続可能な人口にまで人類を間引いたうえで、生き残った人間を自分が支配してあげなきゃと考えたというのが事の真相である。
この手のお節介AIは、ジャンルの始祖ともいえる『地球爆破作戦』(1970年)のコロッサス以来の伝統芸能なので、今更こんな話を聞かされたところで意外性も何もないのだが・・・
またアトラスとハーランが疑似的な兄弟関係にあり、実母がAIハーランの開発にばかり心血を注ぐことに嫉妬した少女アトラスが暴走、ハーランが覚醒するきっかけを作ったというサプライズも仕込まれているんだけど、ネタの明かし方がうまくないためか、これも全然サプライズになっていなかった。
この通り、SF映画として本作は全然イケていないのだけれど、実のところ、これらの欠点はさほど致命的ではない。
この手のオリジナリティのないSF映画なんてNetflixには溢れかえっているので、この程度であれば「可もなく不可もなく」で終わっていたことだろう。
本作が致命的だったのは、主人公アトラスがウザすぎたという一点にある。
アトラスのロボット嫌いは度を越している。
乗ってきた宇宙船が破壊され、このままでは宇宙空間に放り出されるという背に腹は代えられない状況であっても、「いや!やめて!」と叫んでAI搭載のパワーローダーに乗ることを断固拒否する。死にたいんか?
無理やり乗せられた後にはAIスミスとの対話が始まるんだけど、スミスが合理的な提案をしても否定から入る、論理的に反論するのではなく泣いたり怒鳴ったりするという反応なので、見ていてしんどい。
冷静なAIとの対比として、アトラスは感情を押し出しているという演出意図は分かるんだけど、それにしても度を越している。ジェニロペはず~~っと騒いでいるだけなのだ。
この感覚に覚えがあるなぁと思いだしたのが、同じくNetflixの『オキシジェン』(2020年)だった。
あれも緊急事態の真っ只中であるということを弁えないレベルで主人公がピーピーギャーギャー騒いで面倒くさい映画だった。
ただし本作のジェニロペと比べると『オキシジェン』のメラニー・ロランはまだ理性的だったと言えるほど、本作のジェニロペのウザさには突き抜けたものがある。
思うにジェニロペ自身がプロデュースに加わっていることが問題を大きくしたのだろう。
ジェニロペは本作で評価される気満々だったのか、いかにも演技らしい演技を頑張りすぎていて緩急というものがまったくない。
全体を見ている監督のコントロールを受けるべきところだが、プロデューサー兼務の彼女と衝突すると面倒くさそうだし、監督は演技プランへの干渉をしなかったのだろう。
『カリフォルニア・ダウン』(2015年)や『ランペイジ 巨獣大乱闘』(2018年)などで知られるブラッド・ペイトンは薄味のラーメン屋みたいな監督なので、そういうところに拘らなさそうだし。
唯一の救いは、VFXの扱いに長けた監督の手腕によって、見せ場が面白く仕上がっていたことだ。
パワーローダーが大活躍する映画を見たければ、それなりに満足感は味わえるだろう。
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