(2011年 アメリカ)
「時間=金」をカリカチュアした基本設定部分は素晴らしいのだけれど、そこからどう話を発展させるのかに行き詰まり、最終的にはチマチマと銀行強盗をして時間=金を奪うという中途半端な着地をする。滅茶苦茶に酷いわけではないが、かといって良作でもない。まさに凡作中の凡作。
感想
時は金なり
劇場公開時にはかなりの宣伝が投下され、日本国内での興行成績は良かったようなのだが、本国アメリカでのレビューが悪かったことから、私は見送っていた映画。
ソフト化された際にTSUTAYAのレンタルで見て、「この出来なら映画館に行かなくてよかった」と思った。そんな映画。
その後は見返すこともなかったんだけど、最近ネットフリックスで見た『パラダイス-人生の階段-』(2023年 ドイツ)というSF映画における「余命=金」という設定で本作の存在を思い出したので、約10年ぶりに再見した。
舞台となるのは不老不死が実現した未来世界。
全人類は25歳から歳を取らなくなったのだが、そうなってくると問題になるのが人口過剰である。何せ理論上は永遠に死なない上に、出産可能な肉体で固定されているのだから、ほっとくと人口は際限なく増えていき、資源は喰いつくされてしまう。
そこで25歳以上の余命は貨幣となり、残り時間が0になった瞬間に死亡して間引き完了という、何とも冷徹な社会制度が構築されるに至った。
「時間=金」という設定は経済社会をカリカチュアしたものである。現実世界でも、人は金を稼ぐために人生の多くの時間を費やし、金がなくなることは生存の危機にも直結する。
…って話は『パラダイス-人生の階段-』でもしたので、設定に関する考察はそちらの記事でお読みいただきたい。
ともかく設定自体は面白いし深みがあるので、本作の出足はすこぶる良い。
主人公ウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は28歳の青年で、スラム街にて母レイチェル(オリヴィア・ワイルド)と二人暮らしを送っている。
身体年齢が25歳で固定された社会なので、親子と言えどウィルとレイチェルは同年代にしか見えない。そんな2人が親子の会話を交わすあたりが妙におかしい。
なお、ジャスティン・ティンバーレイクはオリヴィア・ワイルドよりも3歳年上である。
最貧層の二人の残り時間は一日を切っており、その日を生き延びるために仕事へと出て行く。これぞ究極の「その日暮らし」だ。
そんなギリギリ状態でも、困っている他人を見かければ5分10分を分け与えることを躊躇しない心優しいウィル&レイチェルだが、そのことが後に悲劇を招くこととなる。
仕事終わりのウィルが馴染みのバーに立ち寄ると、そこではハミルトンという金持ちが「余命1世紀」を見せびらかし、貧困女子たちをはべらせている。
「そんなことしてると悪い奴らに襲われますよ」というウィルの警告通り、ヤンチャなお兄さんたち(実は老人も含まれているが)に絡まれるハミルトン。
見かねたウィルはハミルトンを逃がすのだが、すでに1世紀近く生きてきたハミルトンは、この上さらに1世紀分もの余命が残っていることにウンザリしており、スラムには死にに来たのだということが分かる。
ハミルトンはウィルに残り時間をすべて移して死亡し、その日暮らしだったウィルは大時間持ちに。
ちょうどその頃、母レイチェルの残り時間は90分を切っていた。一刻も早く帰宅したいレイチェルだが、運賃値上げのせいでいつものバスに乗れない。
レイチェルが金欠状態なのは直前にローン返済をしたためだが、なぜギリギリまで払ってしまったのか。レイチェルの無計画ぶりが光る。「借入は計画的に」と言われるが、返済にも計画性が必要だ。
ともかく、一方には大時間持ちになった息子ウィルがいて、もう一方には時間の尽きかけた母レイチェルがいて、本当にタッチの差で絶命してしまう。
「あの時、母から30分を受け取っていなければ…」など無念の尽きないウィルだが、そのうち「こんな世の中間違ってる!」と怒りに点火し、1世紀の余命を抱えて富裕層の住む街ニューグリニッジへと殴りこんでいく。
ここまでの20分は間違いなく面白かったのだが、問題は、作品のコンセプトが第一幕で尽きてしまうということだ。以降はグダグダになっていく。
社会体制への挑戦はどうなった?
その頃、警察はハミルトンの死を捜査しており、その過程でウィルに時間泥棒の嫌疑がかけられる。
金に置き換えて考えてみれば当然のことだが、初老の資産家が不可解な死を遂げ、最後に接触した人物の羽振りがやたらよくなっていれば、誰だって「こいつが殺して奪った」と思うはずだ。
ニューグリニッジへと進出したのも束の間、レオン刑事(キリアン・マーフィ)に逮捕されるウィルだが、「奪ったんじゃない、もらったんだ」と、第三者に理解されるはずのない言い分を押し通そうとする。
事実がそうであれ、もっと言い方があるだろう。バカじゃないかと思った。
ともかく冤罪をかけられたウィルは、銀行家令嬢であるシルビア(アマンダ・セイフライド)を人質にとってスラム街へと逃げ込む。
確かにその直前には「アドベンチャーを望む」的な発言をしていたシルビアだが、まさかこんな形で引きずり込まれるとは思ってもみなかっただろう。まったくもって迷惑な話だ。
ウィルはシルビアの身代金を要求するが拒否され、その内に二人の残り時間が尽きそうになったので、街の質屋を襲ってその場をしのぐ。事ここに至っては普通の犯罪者だ。
そうこうしているうちにシルビアもノリノリになってきて、二人は義賊気取りで銀行強盗を開始。
犯罪が頻発するスラム街において、時間という貴重な資源を握っている銀行が、ド素人に襲われるほどガバガバのセキュリティってのはどうなんだろうか。それほど脆弱なら、ヤンチャなお兄さんたちにとっくに襲われていると思うが。
そしてウィルよ、母を殺した社会体制への復讐はどうなったんだ?
ウィルの行動があまりにも場当たり的すぎて信念など感じられず、実はもっとも利己的な行動をとっているのはこいつじゃないかとも思えてくる。
先述した通り、人口過剰を抑制しなければ立ち行かなくなるという事情があって敷かれている社会体制なのだが、その根本理由に触れないまま「富裕層への復讐だ!」とか言うからおかしなことになる。
最終的にウィルは銀行から奪った100万年をスラムでばらまくのだが、その後にこの社会に幸福がもたらされるとは思えないのだから、ハッピーエンドっぽいラストにも釈然としなかった。
日本語吹き替えが凄いのなんのって
あとねぇ、日本語吹替はどげんかならんかったのか。シルビア役に起用されたのが元AKB48の篠田麻里子だが、彼女の下手さ加減には壮絶なものがあった。
浪川大輔や魏涼子など他のキャストがうまい人で固められている分、マリコ様の下手さ加減が際立つことこの上ない。もはや気の毒になってくるレベル。
タレント吹替には悪い評判しか聞こえてこないのだが、それでも日本の配給会社はこれをやめようとしない。
確かに、タレントを使えば情報番組の芸能コーナーで取り上げられる。
同等の効果を上げるための広告宣伝費を考えると、タレントへのギャラの方が圧倒的に安いので、プロモーション戦略として有利って事情は分からんでもないけど、かと言ってユーザーの視聴体験を損ねるレベルの吹き替えを作るのはどうかと思う。
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