(2017年 アメリカ)
小さくなれば一般人でも金持ちになれる!という下世話な話の前半部分は小ネタもよく利いていて面白かったのですが、貧富の差や環境問題が描かれる後半は説教臭くて仕方なかったし、環境保護主義者はカルトというラストの手の平返しに至っては意味不明でした。もっとタイトに、面白ネタだけで構築すれば良かったんですけど、なぜ説教しちゃうんでしょうね。

作品解説
監督・脚本はアカデミー賞受賞者アレクサンダー・ペイン
本作の監督・脚本を務めたのはアカデミー脚色賞に3度ノミネート、2度受賞という記録を持つ名脚本家で、監督としても3度のノミネート経験を持っているアレクサンダー・ペイン。
本作はペイン監督にとって初のSF作品となるのですが、脚本家としては『ジュラシック・パークⅢ』(2001年)に参加した経験を持っています。ローラ・ダーンが出演したのは、その時のご縁でしょうか。
製作に7年かかった映画
もともとこの企画は2009年頃に立ち上がっており、プリプロダクションも進んでいたのですが、どういう理由だか『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(2013年)の製作が優先されることになって、本作は一旦ペンディングされました。
当初はポール・ジアマッティが主演で、妻の役がリース・ウィザースプーン、またサシャ・バロン・コーエンやアレック・ボールドウィンらも出演予定だったのですが、最終的には全員脱落。
その後、2016年頃に製作が再起動したときには、マット・デイモン主演、妻の役がクリステン・ウィグで、大富豪役がクリストファー・ヴァルツに落ち着きました。
マット・デイモン主演で大規模なVFXを使用する作品ということで製作費は6500-7600万ドルに上り、中規模のドラマ作品を得意とするペインにとって初の大作となりました。
興行的に失敗した
本作は2017年12月22日に全米公開されたのですが、初登場7位と低迷。
全米トータルグロスは2444万ドル、全世界でも5500万ドルしか稼げず、製作費の回収もできない赤字映画となりました。
著しく割れた賛否
この低調な興行成績が示す通り、一般的には失敗作として認識されており、Rotten Tomatoesでの観客支持率は23%という低い数字に終わっています(2021/10/4閲覧)。
またアレクサンダー・ペインの作品としては初めてアカデミー賞にノミネートされなかった作品となりました。
ただし本作を熱心に支持する人たちもいて、映画監督のドゥニ・ヴィルヌーヴやハリウッド・リポーター紙の記者トッド・マッカーシーは本作を2017年のベスト作品に挙げています。
またナショナル・ボード・オブ・レビューの年間トップ10にも入りました。
感想
小ネタの効いた前半は面白い
人間を13cmに縮小する技術が確立された世界を舞台としたコメディドラマ。
小さい頃、妹が遊んでいるジェニーマンションロサンゼルスを見て「自分の体が小さくなって、ああいう住まいで暮らせればなぁ」と何となく想像したあれを、アカデミー賞常連の監督が素直かつ理詰めで具体化した作品であり、特に前半部分は小ネタ満載で楽しめました。
体を小さくすれば占有面積が減るのでバカでかい家に住むことができるし、交通機関でも広々とした座席の確保が可能。また食費も光熱水費も驚くほど減少して経済的にも楽になります。
主人公ポール(マット・デイモン)は善良ながらも満ち足りない人生を送っている小市民。理学療法士の資格を持っているものの、現在は一般企業の作業療法士として庶民的な生活を送っています。
いまだに実家住まいで、母親亡き後には奥さん(クリステン・ウィグ)と共に老朽化した家で暮らしているのですが、新築を買おうにも彼らの所得ではなかなかローンも組めません。
しかし体を縮小すれば財産が80倍以上になるため、今の生活では心もとない彼らの懐事情でも、ダウンサイジングすれば大富豪になれる。確かにそれは魅力的ですねということで、ポール夫妻はその道を選択します。
新天地に旅立つ夫妻は双方の友人達に別れを言うのですが、それぞれが「旦那(妻)がそうしたいというので、私は仕方なく折れたんだよ」と説明しているのが笑えます。
なお、この世界では体を縮小した人は全人口の3%程度らしく、元のサイズで慎ましく生活しているマジョリティからすると、ダウンサイジングの道を選んだ人々を「ズルい」と見る風潮もあるようです。
生産活動に参加せず、納税もしない彼らが我々と同じ選挙権を持っているのはおかしくないかという。選挙権を奪えとまでは言わないが、1/4程度にすべきではないのかという主張は、庶民vs生活保護受給層の争いのようで興味深くありました。
そしてダウンサイジングのプロセスも面白くて、勧誘を受ける段階では「良いこと尽くめですよ!」とさんざん煽られたのに、いざ施術の当日になると「元には戻れないというリスクを理解しましたね」とか「ごく稀に死ぬ場合もあります」とか、いろいろと心配になる免責事項を伝えられるのが笑えます。
施術では全身の毛という毛をすべて剃られ、差し歯などの人工的な装具をすべて外されます。これらが残ったまま縮小すると頭が破裂するらしい(笑)。
そんなプロセスを経てポールは小さくなるのですが、一方奥さんは髪を剃られた時点で「これはヤバいやつだ」と思って逃げてしまいました。
意を決して新しい世界に飛び込んでみたが、配偶者がついて来ていなかったという辺りもあるあるですね。俺だけでどうせぇっちゅーねんという。
その後ポールは離婚することになるのですが、財産分与によって資産が半減したために豪邸生活を手放さざるを得なくなり、また収入を得る道が必要になったので仕事もしなきゃいけなくなるという、何のためにダウンサイジングしたのか分からない状況へと追い込まれます。
その仕事というのがコールセンター業務という辺りもよく考えられています。
日本でも随分前からコールセンターは沖縄や東北地方に設置されるようになっており、英語圏では米企業のコールセンターがインドに設置されている場合もあります。
コールセンターはリモートがもっとも進んだ業界であり、ダウンサイジングされた人々にとっての主たる働き場所となっているわけです。
その他、ダウンサイジングされた世界の医師はヤブ医者ばかりである。なぜなら、本当に腕の良い医師は元のサイズでも十分リッチであり、この世界にいるのは何らかの問題があった奴らばかりだという小ネタにも笑いました。
確かにそうだよなと。
後半の説教臭さは酷いものでしたな
ただし後半になると雰囲気が一転します。
この世界にも貧困層がいたことや、粗悪な施術を提供する闇ダウンサイジング業者がいることなどが判明し、金持ちばかりのユートピアだと思っていたダウンサイジングの世界も案外世知辛かったということに。
ここから前半にあった軽妙な笑いはなくなり、現実世界の合わせ鏡としてダウンサイジングの世界を扱い始めるのですが、大きな人との比較がなくなるのでほとんど設定が意味を為していません。
さらには、母国政府から逃れるためにダウンサイズ密航をしてきたベトナム人のおばちゃんがポールを振り回し始めるのですが、このおばちゃんが「はた迷惑だが憎めない人」ではなく「ただただウザイ人」なので、見ていてなかなかしんどかったです。
ブロークンイングリッシュで「お前、手伝え」と言って天下のマット・デイモンを顎で使うのが笑いのポイントだったのかもしれませんが、ま~ったく笑えないし。
そして貧富の差をテーマにし始めるとどうしても説教臭さが出てしまうので、気楽に見てもいられなくなることもマイナスでした。家でくつろぎながら映画を見ている自分が、何だか悪いことをしているような気分になってくるし。
北欧の環境保護主義はカルト
終盤になると、説教臭さはさらに加速します。
いろいろあってポール一行はダウンサイジング技術発祥の地ノルウェーに渡り、そこで技術の生みの親である博士と面会します。
自分の技術が悪用されていることに胸を痛めているというアルフレッド・ノーベルみたいな話から始まり、本当は環境負荷を下げるためにこの技術を使って欲しかったんだけどその通りになっていないとか、南極の氷が解けて破滅が迫っているとか、話はどんどん深刻な方向へ。
そして、報道されていないだけで地球は本当にヤバイ、この前、ノーベル賞学者たちとの会合にも出てきたけどみんなそう言ってたとか、もう止まらなくなっていきます。
ここまで来ると「生きててごめんなさい」という感じです。
博士達は地下深くに村を建造しており、間もなく壊滅するであろう地表を離れ、ダウンサイジングされた人々と地下で8000年ほど過ごすと、途方もないことを言い出します。
で、ポールはその話に感化されて一緒に地下に下りて行こうとするのですが、何気なく聞いた「洪水に備えて地下深くにまでトンネルが掘られている」という話から、聖書を真に受けている宗教カルトの一種だと気付いて、元のアメリカでの生活に戻ることにします。
しかしこのオチもよく分からんかったですね。
ついさっきまで結構深刻な感じでエコについて語っていたのに、最後の最後で「北欧の環境保護主義者はカルト」という手の平返しが入るので、結局何が言いたかったのって感じでした。
そのオチにしたいのであれば、事前に環境保護主義者を茶化しといた方が良かったかなと。
【余談】ダウンサイズする人生はFIREと同じ
見終わった後に思ったのですが、ダウンサイジングを選択する人生って、最近話題のFIREに近いと感じました。
FIREとは「Financial Independence, Retire Early」の略語で、「経済的自立と早期リタイア」という意味があります。
早期リタイア的な考え方はそれまでも存在していましたが、それらが若いうちに一発当てて一生金に困らない大金持ちになる的な話だったのに対して、FIREは一般人でも実現可能なところを目指しています。
すなわち巨大な資産を形成するのではなく、利益を生み出し続ける資産を現役時代に作っておいて、早期リタイア後にはその運用で生活費を賄う。大きな運用益は期待できないので生活費は極力切り詰めるということを、その根本原則としています。
で、現役時代の積み立てでその後の生活費を賄い、以降は生産活動を行わないという本作のダウンサイジングの発想は、FIREの発想と酷似しています。
ただ、このFIREの発想ってかなり後ろ向きなので、個人的にはどうかと思うんですよね。
知人でもFIREを目指してる奴がいるんですが、金融資産を増やすためにあらゆる消費活動を制限しており、遊びや食事などで人間関係を広げたり、彼女を作ったりすることもしないと宣言しています。
いい社会人なのに学生時代と同じマンションに住み続け、将来的に家庭を持つ気もないのだとか。
遠からぬ将来に辞めることになるので会社内での出世の意思もなく、仕事は資産形成の手段と割り切っています。
それで「経済的自立」と言われても、生涯倹約に努め続けなきゃいけない、そのために幸福追求も諦めるとか、むしろ経済に支配されまくりの人生のような気が。
私も仕事に遊びに忙しい外交的なタイプではありませんが、それでも我慢して仕事をして、たまに好きなことに金を使う人生の方が、よほど精神衛生的に良いと思います。
映画の話に戻りますが、ダウンサイジングして生産性を失うということは、資産の使い切りを意味しています。すなわち消費が増えていくことを想定しておらず、家族構成も自分の生活も、計算の範囲内で死ぬまでやりくりしていくということになります。次世代の育成に至ってはまず不可能。
増やしていく、広がっていくことを忌避する人生って、凄く後ろ向きで気が滅入りませんか?
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