(2025年 アメリカ)
スティーヴン・キング原作小説の二度目の映画化。ユルユルの出来だった1987年版から打って変わり、スリリングなサスペンスアクションとして仕上がっている。前半の出来が素晴らしいがために後半間延びして感じる、結末が弱いといった問題もあるが、総合的にはよくできた作品だと思う。

シュワ主演『バトルランナー』のリメイク
モダンホラーの帝王スティーヴン・キングがリチャード・バックマンという変名で執筆した小説『バトルランナー』(1982年)が原作。なお『バトルランナー』は邦題で、原題は”The Running Man”である。
この小説は1987年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『バトルランナー』(1987年)として製作されたが、内容の大幅な変更、製作プロセスにおけるスタッフの大幅入れ換え(元はクリストファー・リーヴ主演だった)、撮影が始まってからの監督交代(アンドリュー・デイヴィス→ポール・マイケル・グレイザー)などなど、まぁ大変な映画だった。
そしてこれだけの苦労をしたにも拘らず、批評的にも興行的にも芳しい成果をあげられず、わが国では日曜洋画劇場でたまに放送される映画の一つとして認識されるに留まった。
この1987年版は、主演のシュワルツェネッガーからも「すべての深いテーマが失われた」と評されたが、同じ思いをもってこれを見ている映画人がいた。
本作の監督エドガー・ライトである。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』(2003年)、『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』(2007年)、『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』(2013年)など低予算の小規模作品を得意とするエドガー・ライトと、シュワルツェネッガー主演のSFアクションとは意外な組み合わせだが、ライトはもっともリメイクしたい作品として本作の名前をあげていた。
ライトは『バトルランナー』で失われていたものを復活させようとしたのだろう、再映画化に当たっては原作に忠実な翻案をした。
1987年版における主人公は冤罪をかけられた元警察官で、脱獄中のところを捕まったことからゲームへの参加を余儀なくされるというストーリーだったが、本作の主人公はしがない労働者であり、大金目当てで自らの意志によりゲームに志願するという原作通りの内容に置き換えられた。
またゲーム内容も、ストーカーと呼ばれる敵を倒すという1987年版に対し、アメリカ全土を舞台に30日間逃げ切れば賞金獲得という原作に忠実なものとなっている。
主人公ベン・リチャーズ(グレン・パウエル)は、ブラック企業の不正を告発したことから”要注意人物”となってしまい、乳幼児を抱えながらも無職の身。キャバ嬢(原作では売春婦)の妻が稼いでくる金に頼りきった生活を送っていた。
さらに悪いことに、彼らが生活する都市部のスラムは環境汚染がひどく、幼い娘は投薬治療を必要としていた。
どうしても金の必要なリチャーズは、視聴者参加型のテレビ番組に出演して賞金を持ち帰ることを考えつく。
当初は内容も賞金も穏やかめなクイズ番組に出演するつもりだったが、並みはずれた運動神経と激昂しやすい性格が”テレビ向き”と判断され、もっとも人気の高い番組「ランニング・マン」への出演を打診される。
ランニング・マンとは視聴者参加型のゲーム番組で、出演者は”ハンター”と呼ばれる鬼から30日間逃げ切ることができれば賞金獲得というシンプルなもの。
ただしハンターは実弾を発砲してくるので見つかれば死が待っていることと、視聴者による通報制度があり全国民からの監視下に置かれることが特色となっており、今の今まで30日間を生き延びた挑戦者はいない。
「いやいや、命まで取られる番組には出られませんよ・・・」と抵抗するリチャーズを、プロデューサーのジョシュ・ブローリンは言葉巧みに説得する。
「君はこの番組向き」「君には他の出演者にはないものがあるので、きっと成功する」といった口説き文句は、リアルの採用面接でもぜひ使いたくなった。
なお、ウィリアム・H・メイシーの部屋で流れている映画は、ジョシュ・ブローリンの父ジェームズ・ブローリンが出演した『ハイジャック』(1972年)である。
ついに出演契約へサインしてしまったリチャーズが妻に電話する場面は、どうしても金を持って帰らなければならないお父さんの覚悟や焦りや情けなさが凝縮された、男泣き必至の名場面である。
事前には「ランニングマンにだけは絶対に出ないで」と口うるさく言っていた妻も、旦那の悲壮な決意を感じ取って「生きて帰って」とだけ伝えてくる。
短いくだりではあるが、このやりとりには胸が締め付けられそうになった。
かくして始まったランニング・マンの緊張感には凄まじいものがあり、エドガー・ライトの円熟した演出力を味わうことができる。
当初、リチャーズは完全に身分を変えてホテルで缶詰めになっておけば、誰にも見られず30日間をやり過ごせるんじゃないかと考えていたのだが、誰かに密告されれば完全に詰むので、多少は目撃されるリスクを犯してでも動き続けるという方法を選択する。
我々観客の誰しもが思いつく対処法を先回りして潰した、見事な脚色である。
誰かに気付かれているのではないかというサスペンスと、ハンターと鉢合わせた瞬間に始まる壮絶な逃走劇。
本作は非常に優れたサスペンス・アクションであり、見せ場ではこちらの力も入りまくりだった。
当初は完全なやられ役だったリチャーズが、何度も窮地を生き延びる中で視聴者の心をつかみ、英雄視され始める。
後半は『グラディエーター』(2000年)のような展開を迎え、番組側としては視聴率を稼げるリチャーズを生かしておきたいと考えるようになる。
原作に忠実なのも良し悪し
ここからプロデューサーvsリチャーズの心理戦に突入するのであるが、残念なことにこのパートはあまりうまくいっていない。
40年以上も前に書かれた原作を翻案した企画の弱点がここで一気に露呈するのだ。
80年代はメディア全盛期であり、真の支配階層はメディアだった。
その時代に「巨大メディアvs名もなき個人」という図式は切実な形で成立し得たのだが、2020年代の現在において、メディアの威光は完全に薄れた。
現代はSNSを通じて誰しもが情報発信ができる時代。メディアが唱えることは常に懐疑的に受け取られ、「マスゴミ」「オールド・メディア」などという言葉も普及した。
この「時代の掛け違え」こそが、当実写化企画が根本で抱えていた欠点である。
後半のとっ散らかり方を見て思い出したのが、ザック・スナイダー監督の『ウォッチメン』(2009年)だった。
こちらもまた80年代に書かれた原作を20世紀になって映画化した作品であり、ビジュアルの鬼ザック・スナイダー監督は、漫画のコマ一つ一つを実写再現するほどの勢いで、原作の完コピを行った。
しかし原作が書かれた年代と映画製作時期とのズレは如何ともしがたく、原作に忠実にやればやるほど主題が薄れるという矛盾が生じ、結果、微妙な作品に終わってしまった。
後にHBOで製作されたテレビシリーズ版が、適度なアップデートを加えることでむしろ原作の主題に寄り添えたことからも、古い原作を実写化する際に一定程度の脚色は必要であることが証明されたのだが、本作はザック・スナイダーと同じミスを犯してしまったのである。
本作の世界にスマホは存在しておらず、主人公は番組の用意したドローンに追い掛け回されることとなる。
しかし本当に怖いのはドローンではなく、老若男女誰しもが撮影可能な時代に、どこからスマホを向けられているかわからないという恐怖ではないだろうか。
この現代社会の切実な恐怖をなかったことにしたために、本作は「衆人監視状態」という原作のキモとなる部分を無効化してしまった。これは手痛い失敗である。
他方で、スマホはないのに告発系動画サイトは存在しているというテクノロジーの不整合も気になった。
また物語のギミックとしてディープフェイクを多用しすぎたために、観客は目の前で繰り広げられる光景すべてを疑わざるを得なくなり、結果、サスペンスアクションとしての勢いが大きく削がれてしまったという失敗もある。
後半の重大な場面の虚実が判然とせず、結果、どんでん返しが機能していないのである。
本作の世界観やテクノロジーの扱いは、1987年版より劣っているかもしれない。
こうした明らかな失敗があるので絶賛することは難しいが、特に前半部分の緊張感には目を見張るものがあり、見るべき価値のあるサスペンスアクションとして仕上がっている。


コメント