【初心者向け】機動戦士ガンダムの魅力を解説

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宇宙
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(1979年 日本)
『閃光のハサウェイ』の大ヒットや、Netflixによる実写化企画など、ここんところガンダムが熱くなってきていますが、見たことのない人にとっては「とっつきにくそう」「数が多くて訳が分からん」という状態になっており、ファンと一般人との間の温度差が特に激しいシリーズであるとも言えます。そこでガンダムシリーズの魅力をあらためてまとめてみました。

量産機のカッコよさを味わえる

こんな記事を書いているものの、私は少年期からガンダムにどっぷりというわけではありません。

1981年生まれの私は1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』の直撃世代ではなく、その続編である『機動戦士Zガンダム』は幼稚園の頃に始まりましたが、さすがにその年齢の子供に理解できる話ではないのでたまに見かけていた程度です。

小学生の頃にはSDガンダムを楽しんだものの、その時点でガンダム本編を見た経験はなく、何だかよく分からないけどとりあえずBB戦士を組み立てていました。

そんなガンダムとは縁のない少年期を送って来た私ですが、10代後半に見たこの絵にぐっとくるものがあり、そこからレンタルビデオでファーストガンダムのテレビシリーズを見るようになりました。

OPの「巨大な~敵を~」のところなのですが、それは一機一機が特別な存在である通常のロボットアニメとは根本的に異なる、戦闘機や戦車の如くロボットが通常兵器として戦場で運用されているという図でした。

これにハートを撃ち抜かれた私は、すっかり量産機の虜になりました。

量産機の何がいいって、武骨なデザインで群れを成して行動する様がいかにも軍隊っぽく、その先にあるハードでリアルな作風には男子を興奮させるサムシングがあるのです。

劇場版第二作『哀・戦士編』(1981年)でジャブローに降下する大量のジオン量産機の画と、連邦軍の凄まじい弾幕に恐れをなした名もなきジオン軍パイロットの「降りられるのかよ」というセリフは、まさにその真骨頂と言えるものでしょう。

こういう世界観が堪らないわけです。

善悪のボーダーレス化

そんな量産機のイメージ通り、ガンダムで描かれるのは戦争なのですが、単純な勧善懲悪の話ではないところが作品の魅力です。

宇宙移民が進んだ世界において、地球連邦からの圧政に苦しむスペースコロニーで独立の機運が高まり、ついに一年戦争が開戦。

この筋書きを見る限りはスペースコロニー側にこそ大義がありそうなのですが、主人公アムロ・レイとその搭乗機ガンダムが所属するのは地球連邦軍であり、スペースコロニー側のジオン公国は敵対者となります。

また、地球連邦内にも乱暴狼藉を働く輩がいるし、ジオン公国側にも尊敬に値する敵将がいて、味方だから良い奴、敵だから悪い奴という単純な図式ではないことに、現実社会の難しさが投影されています。

豊かな人間ドラマ

そんな世界観なので人間ドラマも一筋縄にはいかず、主人公アムロ・レイの成長譚を軸として、実に癖のあるキャラクター達の入り乱れる群像劇となっています。

機械いじりが好きな少年アムロは、最新鋭機ガンダムに興味を持ったこと、及び、危険回避のため敵と戦う必要性に遭遇したことからこれに乗り込み、襲ってきたザク2機を撃破します。

軍人でもない15歳の少年が兵器を動かして敵を倒した。

通常ならば「ありがとう。じゃあね」で終わるべき話なのですが、母艦ホワイトベースも背中に火がついた状態で、ガンダムに乗れる奴がいるなら子供でも使いたいという状況があったことと、アムロ側も居住コロニーを破壊されて難民状態となり、ホワイトベースに乗り込む以外に道がなかったことから、流れでガンダムのパイロットにさせられます。

ただし繰り返し言いますがアムロは15歳の少年なので、命令されても「え?僕が出なきゃいけないんですか?」という態度を取ります。当たり前のことですが。

一方、命令する側からすればここは軍隊で指示は絶対。一瞬でも反応が遅れれば全員死ぬかもしれない極限状況で、お前はいちいちうるさいんだよということになってきます。

前半ではアムロを抑え込もうとするブライト・ノア艦長と、不貞腐れるアムロという図が繰り返されます。

その後、多くの戦場と魅力的な人々の死に直面することで、ブライトの言う通り戦場は地獄で、甘えたことを言っていられる余裕はないことを悟り、アムロはマシな人間に成長していきます。

この動的なドラマが実に面白いわけです。

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