SPACE BATTLESHIP ヤマト_キムタクが気の毒【4点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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宇宙
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(2010年 日本)
おおむね不評のキムタク版ヤマトだけど、よくよく見てみると悪いのはキムタクではなく、キャラ設定がいい加減な脚本にあったと言える。見せ場も海外ドラマからのパクリが多く、いろいろと問題の多い作品だと思う。

感想

SFなのに昭和の浪花節

世間では評判らしい『ゴジラ-1.0』(2023年)が個人的には肌に合わなかったことから、逆に山崎貴監督に興味がわいてきて、かつて監督が手掛けた本作をさかのぼって見た。

公開時には大変な話題作で、興行成績は堂々の41億円。ディスク売り上げも好調で商業的には大成功だった本作『SPACE BATTLESHIP ヤマト』だが、当時から内容面での評価は芳しくなく、一体誰が見に行ってるんだ状態だった。

世代ではない私は『宇宙戦艦ヤマト』に特段の思い入れはなく、面白ければフラットな立場から受け入れるつもりでいたが、それでも酷くつまらないと感じた。

それ以来、特に振り返ることもなく過ごしてきての今回の再見となるが、改めて見ても酷い出来だ。

山崎貴監督の特徴は『ゴジラ-1.0』とも共通しており、VFX面ではかなり奮闘している一方で、ドラマの作りが壊滅的に悪い。観客を感動させようとするあまり、やたらくどい場面が多いのだ。

本作のクライマックスなんて凄かった。

地球への帰路に立ちふさがる巨大ガミラス艦と、波動砲を封じられたヤマト。

大多数のクルーを下船させた後、ヤマトは地球を救うため特攻をかけることにするんだけど、じゃあ誰が操縦するんだとなって「俺が残る」「いや俺が」と、艦橋メンバー達によるダチョウ倶楽部みたいなやりとりが延々と続く。

その茶番劇には森雪(黒木メイサ)も参加するんだけど、生きるコスモクリーナーになったお前が地球に帰らなきゃミッション失敗だろと観客はツッコミを入れるが、当事者たちは真剣そのものだ。

その間、何もせず待ってくれているガミラス艦。

しかも直前のイスカンダル星での地上部隊の攻防戦でも、同じく「俺が残る」「いや俺が」をやってからの2度目である。もういい加減にしてほしい。

確かにアクション映画における自己犠牲は美しいが、戦闘の流れを止めてまでやるようなものでもない。ああいうのは「他に選択肢はない」という場面でサラっとやるから感動的なのだ。

そもそも、ヤマトクルー達のメンタリティが腑に落ちない。

本作の地球は「このままだとほぼほぼ滅亡」というSF映画史上1,2を争うほどの絶望的な状況で、「イスカンダル星に行けば何とかなるかも」という希望だけを背負い、勝算などまるで見えない中でヤマトは航海に出る。

十中八九は死ぬくらいの覚悟で乗り込まなきゃいけないほどの崖っぷち状態なのに、クルー達はやたらと生死に頓着している。裏を返せば、生きて帰る気満々ということだ。

私はダニー・ボイル監督の『サンシャイン2057』(2007年)という映画が大好きなんだけど、あの映画は「人類の存亡を背負って困難なミッションに挑むクルーのメンタリティとはどんなものなのか」ということを深掘りしていた。

彼らの頭には、ミッションの成功可能性を1%でも高めるためには何をすべきかしかない。もしミスれば人類滅亡で帰る場所もなくなるのだから、仲間や自分の命に頓着することに全く意味がないと達観しているのだ。

中に一人だけ生きて帰る気マンマンの奴が居て、帰路を想定した発言をするんだけど、「それが大事なことか?」って感じで誰からも相手にされない。

このドライなやりとりの裏にこそ、彼らの置かれたハードな状況が垣間見えてくる。

「俺が残る」「いや俺が」をやられると、かえって状況の切実さが薄れるということを、山崎監督には分かってほしいものだ。

キムタクがかわいそう

そして、本作の話になると必ずと言っていいほど主演の木村拓哉がやり玉に挙げられる。

確かに彼が演じるのは古代進というよりも『HERO』の久利生公平に近い。そのために「キムタクは何を演じてもキムタク」などと揶揄されたのだが、本作の古代進というキャラは脚本レベルで壊滅しているので演技プランを立てようがなく、いつもと同じパターンで演じる以外に道がなかったように思う。

実写版と原作で共通しているのは、古代は戦死した兄への思いから、その作戦での指揮を執っていた沖田艦長を逆恨みしているという点である。ただし、その時点での古代進の背景は実写と原作で全く異なるが。

原作の古代は士官学校を卒業したての新米で、まだ実戦を知らない真っ直ぐな青年であるがゆえに、兄と沖田艦長がいかに厳しい状況に置かれていたのかを想像できない。

その後のヤマトの航海で幾多の死線を潜り抜ける中で、戦場にはどうしようもない局面もあるのだと学んでいくという成長譚が置かれていた。

一方キムタク版古代は初登場時点でバリバリの成人である。

「兄の仇!」みたいな感じで沖田艦長(山崎努)に掴みかかっていくので非軍属かなと思いきや、実はかつてのエースパイロットで、ブラックタイガー隊を率いた経験も持っているという。

この時点で彼の人物像がサッパリ分からなくなってくる。

大のおとなで、しかも戦場の厳しさ・指揮の難しさも経験済。ならば沖田艦長が厳しい決断を迫られたであろうことは容易に想像可能なはずで、この人は一体何にキレているのか皆目見当もつかなくなるのだ。

さらにややこしいのは、古代自身も別のクルーからの恨みを買っているということである。

森雪(黒木メイサ)は現在のヤマトのエースパイロットだが、新米時代には除隊する古代とほぼ入れ替わりでブラックタイガー隊に入隊し、悲惨な戦闘経験を経て「古代隊長は逃げた」と思い込んでいる。

かつて古代が軍を去った背景には、戦闘で民間人を巻き添えにしてしまったという辛い経験があって、同じ隊に居たのならそのあたりの情報も伝え聞いていたと思われるが(現に、他の元部下たちは今でも古代を慕っている)、それでも古代を罵り続ける森雪は結構な鬼である。

ただし自分自身もつらい思いをしておきながら、兄の戦死において沖田艦長が苦渋の決断を下したという想像ができない古代も古代。艦内における人間ドラマはほぼ破綻していると言っていい。

これほど筋の通っていないドラマを演じさせられる役者達はまぁ気の毒で、キムタクは得意の演技で乗り切るしかなかったのだろうと思う。

本作でキムタクを責めないで欲しい。

中途半端な設定改変

ストーリーは原作を踏襲しつつも、設定にはいくつか変更が加えられている。これらは原作の不合理を解消するもので納得できる内容ではあったけど、一部におかしなものもあった。

上述の通り、古代は新米士官からベテランパイロットに変更された。

これって一義的には木村拓哉の年齢に合わせた改変なのだろうとは思うんだけど、途中から沖田艦長の指揮を引き継ぐという点も考慮すると、すでに十分な戦歴を持っている設定の方が合理的だと感じる。

また旅の目的も微妙に異なる。

原作では、波動エンジンの設計図と「放射能除去装置(コスモクリーナーD)を受け取りに来るように」とのメッセージがイスカンダル星より送られてきており、コスモクリーナーの受領こそがヤマトの旅の目的だった。

そこで巻き起こったのが「そもそもコスモクリーナーの設計図を送ってくればよかったんじゃないか」問題である。

これに対し本作では、そもそものメッセージの段階でコスモクリーナーの話は出てこない。

地球に届いたのは波動エンジンの設計図とイスカンダル星への航路のみであり、放射能除去については、防護服を着ていない古代が被爆しなかったという一点から、沖田艦長が類推したに過ぎないということに。

その結果、旅の目的はより不安定なものとなり、「地球がこのまま滅ぶにせよ、ヤマトという希望があれば、残された時間をより前向きに生きられるんじゃないのか」ということにされた。

原作の不合理を解消しつつ絶望感マシマシとなったこの改変は良かったと思う。

ただし前述したとおり艦内のドラマのグダグダによって、せっかくの雰囲気はぶち壊しになるのだけど。

宿敵ガミラスの設定も変更されている。

ガミラスは皆さんお馴染み、青い顔の方々だが、遥か彼方の宇宙人が、なぜ地球人そっくりなのかはよく分からなかった。また流ちょうな日本語で地球人と会話ができることにも違和感があった。

これに対し本作では、ガミラスは思念体という設定とされたので、姿かたちに係る問題はクリアーされた。ヤマトクルーと会話する際には地球人に憑依することとされたので、原語問題も片付いた。

ただし彼らが物理的な肉体を持たないとするならば、なぜ地球を攻撃してるんだかよく分からなくなるが。

ガミラス星は今まさに滅びようとしており、種の保全を目的とするガミラスは地球に移住するため邪魔な人類を攻撃してるってことなんだけど、思念体ならば人類と競合せず同居可能じゃないかと思えて仕方ない。

現に、ガミラスと同族のスターシャは、森雪に憑依しても元の人格と競合することなく共存しているではないか。ガミラスもこの方式で良かったんじゃなかろうか。

考えようによっては、オリジナルよりも大きな設定の穴のような気もする。

GALACTICAからのパクリが酷い

あと山崎貴監督の悪癖として、好きなものを堂々とパクるという点がある。

金城武を主演に迎えたSFアクション『リターナー』(2002年)なんかは壮絶の一言で、設定は『ターミネーター』、主人公のドラマは『レオン』、侵略者のUFOは『インデペンデンス・デイ』、良い宇宙人は『E.T.』、アクションは『マトリックス』、チェイスシーンは『M:i-2』といった具合に、何が元ネタなのかがはっきりと分かる。

もはやオマージュという優しい言葉でフォローできるレベルではなく、ここまではっきりパクるのはまずいですよと誰も注意しなかったのだろうかと、見ている側が心配になってくるほどだった。

そして本作だが、私が大好きなテレビドラマ『GALACTICA/ギャラクティカ』(2003~2009年)からのパクリが物凄いことになっている。

  • ワープ航法後も敵の追撃を受けるという構成
  • 宇宙戦中に素早いパンやアップを繰り返すカメラワーク
  • エースパイロットが腕っぷしの強い女性
  • 戦場に取り残されたパイロットの酸欠エピソード
  • 制服の下に着るタンクトップやヘルメットのデザインがそっくり
  • パイロット達が酒好きで、食堂でくつろぐ場面がお決まりとなっている
  • 航空部隊が危機に晒されたその瞬間、大気圏内に母艦が姿を現して自由落下しながら敵を撃破。地面が迫るとワープして宇宙空間に戻るという見せ場が、モロにseason3『大脱出』

ここまでくると「たまたま似てしまった」という言い訳も通用しないだろう。

前述した『リターナー』(2002年)は元ネタが誰の目にもわかるレベルなので、まだ牧歌的なものを感じたけど、『GALACTICA/ギャラクティカ』を見た日本人はさほど多くないので悪質なものを感じる。

本作をオリジナルだと勘違いする観客が多く出るであろうことについて、クリエイターとして胸が痛まなかったのだろうか。

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