ザ・バンク 堕ちた巨像_思うような人生を送れない場合もある【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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陰謀
陰謀

(2009年 アメリカ、ドイツ、イギリス)
登場人物たちの私情は描かれず、ひたすらに仕事として巨悪に立ち向かう捜査官と検事補の姿が激熱な70年代風サスペンス。そのストイックな作風、全体に張り詰めるピリピリとした空気感は上出来だったし、善悪が混濁した国際金融の描写も正鵜を射ていました。

作品解説

実際の銀行不正がモデル

本作のモデルになったのは、ルクセンブルクに拠点を置いていた国際商業銀行(BCCI)で1991年に発覚した実際の不祥事です。

同行は表向き発展途上国への融資を行う銀行だったのですが、本業では全く儲かっていなかったようで、そのうちCIAの手先となって反共組織への資金援助を行うようになりました。

さらには独裁政権への武器密輸、独裁者のマネーロンダリングや資産秘匿などにも加担し、果てには麻薬取引にも関与。サダム・フセインやマヌエル・ノリエガなど”錚々たる”顧客を抱えていました。

1991年に経営破綻してこの闇が発覚したのですが、表向きはまともな国際金融機関が世界中の悪党のATMをやっていたということに衝撃が走りました。

この題材に目を付けたのが、後に『アメリカン・ハッスル』(2013年)や『トップガン マーベリック』(2022年)を手掛ける脚本家エリック・ウォーレン・シンガーであり、金融機関の不正を扱った作品は他に『ゴッドファーザーPARTⅢ』(1989年)くらいしか目ぼしいものがなく、これは斬新で面白くなるとして脚本を書きました。

最初に書かれた脚本は実際の事件と同じ80年代末を舞台にしたノンフィクション風だったのですが、トム・ティクヴァ監督からの提案によって現代劇に変更されました。

興行的には低迷した

本作は2009年2月13日に全米公開されたのですが、クライブ・オーウェンとナオミ・ワッツの共演作であるにもかかわらず初登場7位と低迷。

僅か3週目でトップ10圏外へと出ていき、全米トータルグロスは2545万ドルと低迷しました。

国際マーケットでも同じく不調で、全世界トータルグロスは6016万ドル。劇場の取り分を差し引くと製作費5000万ドルの回収はできなかったと思われます。

感想

アンチヒーローサスペンス

主人公はインターポール捜査官のサリンジャー(クライヴ・オーウェン)。

無精ひげによれよれのスーツ姿のサリンジャーは70年代のエリオット・グールドを思わせるような見た目で、そのむさ苦しさにはヒーローらしさ皆無です。

彼は国際的なメガバンクIBBCの不正を追って睡眠時間すら削るほどの偏執的な捜査をしているのですが、なぜそこまで仕事に憑りつかれているのかは明らかにされません。

どうやら数年前までロンドン警視庁に所属しており、その時に何か大きな事件があってインターポールに移籍したらしいということは分かるのですが、具体的に何が起こったのかへの言及はなし。

それはもう一人の主人公エレノア(ナオミ・ワッツ)も同じく。

彼女はNY検事局に勤務する検事補であり、サリンジャーと同じくIBBC検挙に全力を注いでいるのですが、夫や幼い子供とのプライベートを蔑ろにし、時に上司と喧嘩してまで本件に拘っている理由は特に説明されません。

大西洋を挟んで仕事をしていたサリンジャーとエレノアは、やがて行動を共にすることとなるのですが、二人が出会っても特に恋愛関係に発展するでも、お互いを思いやる友情が芽生えるでもなし、あくまで仕事上での付き合いという範疇を乗り越えません。

個人的な動機とか、不正に対する義憤というドラマチックな要素は意図的に切り捨てられ、ひたすら仕事にのめり込み狂気寸前にまで至った職業人の物語。

このストイックな作風、全体に張り詰めるピリピリとした空気感には『パララックス・ビュー』(1974年)や『大統領の陰謀』(1976年)などの70年代社派サスペンスに通じるものがあって、実に楽しめました。

思うような人生を送れない場合もある

彼らに身柄を拘束されるのが、IBBC顧問のウェクスラー(アーミン・ミューラー=スタール)。

ウェクスラーは元東独軍人であり、IBBC内では軍事や公安に係るアドバイザリーをしています。要は巨悪への加担者であるわけですが、サリンジャーによると、経歴を見る限りは不正をするタイプの人間ではないとのこと。

人生のほとんどを正義のために生きてきたウェクスラーが、何の間違いか現在は悪事を為す側にいるのです。

なぜこんなことになったのかと尋ねるサリンジャーに対し、ウェクスラーは「私も君のように真っすぐに生きたかったが、思うような人生を送れない場合もあるのだ」と返します。この言葉が私にはグサッと刺さりました。

人生とは往々にして本人のコントロールを受け付けないものです。自分で判断しながら生きているつもりでも、実際にはそうではない場合がほとんど。

進学や就職の際に社会情勢に恵まれていたかとか、人生の岐路に立った時にどこから声をかけられたかという「些細なこと」で人生の方向性は固まっていき、一度決まった進路は個人の努力だけではそう簡単には変えられません。

このウェクスラーもまた、何かのご縁でIBBCとの関係を持つようになり、断ることが容易ではない、もし断れば現在の安泰な生活を失うかもしれないという選択を幾度となく迫られ、仕方ないと妥協し続けた結果、本来の人格とは異なる不正ベッタリの人間になってしまったのでしょう。

専門家の指摘が無視されるというダメ組織あるある

彼の仕事ぶりを象徴するのが身柄を拘束される直前のIBBC内での会議の様子で、事が荒立っている今は動きを控えるべきと主張するウェクスラーの発言は、場の全員から無視されます。

この反応に対して「何のために高い金で私を雇っているんだ。意見を聞きたくないのか?」とウェクスラーは迫っていくのですが、相変わらず他の出席者たちは都合の悪い話には耳を貸さないという姿勢を崩しません。

最後には「決めるのはあなた方、リスクを負うのもあなた方なので、やりたいようにやればいい」と投げ槍にならざるを得なくなります。何年もずっとこんな感じなのでしょう。

これには私も身に覚えがあります。組織の方向性に対して賛成意見を言っている分にはみんな聞く耳を持ってくれるのですが、反対意見や対処すべきリスクを説き始めた途端に「会計士さんは難しいことを言うから」「まぁそれはそれとして」という態度を取られるという笑。

本当に慎重な専門家ならば、この反応が返ってきた時点で危険を感じて手を引くことを考え始めるのでしょうが、現実にはこちらの生活もかかっているのですぐには引けないわけです。「まぁ大丈夫か」「議事録に発言は残したし、いざという時にも言い訳はできるか」と自分を納得させて素人判断を追認するということはあります。何かごめんなさいね。

理想に燃えるサリンジャーと妥協を生きたウェクスラー

話をウェクスラーに戻しますが、もし事の発端部分で関わり合いを持ったのがIBBCではなく別の銀行ならば今でも正義の人だったのかもしれないが、彼は容赦なく環境に絡めとられていったわけです。

完全に捻じれてしまった人生を今さらやり直すわけにもいかず、仕事に後ろめたさを感じながらも、もうこのまま行くしかないんだと割り切るしかない感覚、社会人としてよく分かります。

念のため言っておきますが、私自身が後ろめたい仕事をしているわけではありませんよ(笑)。ただ、人生がある方向に向かって流れ始めたら最後、もう止められないという感覚は理解できるということです。

これに対し正義一直線のサリンジャーは「最後に正しいことを為すべきだ」と熱く語り、ウェクスラーは「本気で巨悪を倒したいならルールをはみ出す覚悟が必要になるが、本当にいいのか?」と返します。

ここから正義一直線だったサリンジャーはアウトローとなり、不正の加担者だったウェクスラーは正義を為す側に転じ、お互いに影響を及ぼし合うのですが、そんな二人のやりとりは淡々としつつも激熱であり、覚悟を背負った二人の男の背中に宿る闘志には圧倒されました。

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