(2005年 アメリカ)
飛行機内で娘が行方不明になった!機長の制止を振り切って機内を勝手に探し回る主人公の身勝手さが光る。また黒幕の正体にも納得感が薄く、全方位的に成立していないミステリーの失敗作(けれど興行成績は良かったようだ)

概要
本作のアイデアを思い付いたのはテレビ脚本家のピーター・A・ダウリングで、大物プロデューサー ブライアン・グレイザーに売り込んだ。その後ダウリングはプロジェクトを離れ、『薔薇の素顔』(1994年)、『ニュースの天才』(2003年)のビリー・レイが引き継いで脚本を完成させた。
監督は『RED/レッド』(2010年)、『G.I.ジョー/漆黒のスネークアイズ』(2020年)のロベルト・シュヴェンケで、ドイツ人のシュヴェンケにとってのハリウッド進出作に当たる。
作品のレビューは賛否両論に分かれたが、5500万ドルの製作費に対して全世界で2億2300万ドルのヒットとなり、商業的には大成功となった。
感想
ソフト化時に見たっきりの映画だったけど、最近Netflixで見たキーラ・ナイトレイ主演の『第10客室の女』(2025年)が”海上のフライトプラン”とでも言いたくなるような作品だったので、ついでに本作も再見した。
20年近く前に見た時にはつまらないと感じた本作、今回見ても印象はまったく変わらずだった。
ジョディ・フォスター扮するカイルは仕事先のベルリンで夫を亡くし、6歳の娘ジュリアと共に自宅のあるNY行きの飛行機に乗るのだが、フライト中のうたた寝から目を覚ますと娘がいない。
客室乗務員の呼びかけで機内の一斉捜索が始まるが一向に見つからず、それどころか「乗客名簿に名前が載っていない」「そもそも娘さんを見た人が機内に一人もいない」と、こちらの正気が疑われ始める。
サスペンスの王道である「人がいなくなる」系の話であり、また女性主人公の正気が疑われるという展開からはガス・ライティングものの一種と言えるのだが、これらのプロットはさほど有効に機能していない。
なぜなら、主人公が己の正気を疑う瞬間がほとんどなく、機長の制止を振り切って客室を勝手に探しまくるという、超アグレッシブお母さんだからだ。
旦那を亡くして情緒不安定になっていたとはいえ、ここまで身勝手に騒がれると感情移入することは難しい。「こんな人がいると迷惑だなぁ」と感じる観客が大半ではなかろうか。
機内のアラブ人を一方的に犯人扱いをするなど、さすがに擁護しがたい言動もあったし。
結局、このアラブ人は無関係だったんだが、主人公は一言の詫びも入れないし。
また後半明かされる犯人側のプランがあまりに無謀すぎて納得感ゼロだったことも、話のつまらなさに拍車をかける。
娘を隠したのは航空保安官(ピーター・サースガード)とキャビンアテンダント(ケイト・ビーハン)で、彼らは主人公を爆弾魔にでっち上げ、自分たちは一切手を汚さず航空会社から5000万ドルをせしめようとしていた。
主人公の旦那の棺にプラスチック爆弾を隠したうえで、娘を行方不明にして主人公に大立ち回りを演じさせ、機内の注目を彼女に集める。
そして「犯人からの脅迫を受けた」という体で航空会社に身代金を伝え、最終的に飛行機を爆破して証拠を全部消し去るということが彼らの計画だったのだ。
クライマックス、航空保安官はこのカラクリをベラベラと説明し、完璧な計画だと自画自賛する。
しかし「機内の誰も主人公の娘を見ていない」「主人公と娘が同時に眠りに落ちる」「機長が主人公に対して塩対応をする」「娘を失った主人公が機内を引っ搔き回す」「搭乗時の防犯カメラを誰も見返さない」等々、犯人側からは制御不可能な成功条件をいくつもクリアーしないとゴールにたどり着けないという、どこまでも偶然性に頼り切ったプランであり、こんなことに人生をかけてバッカでとしか思えなかった。
この特大プロットホールのせいで、真相に近づくにつれて作品のテンションは落ちていき、最後の最後の大爆破に至っては「なぜ爆破する必要があった?」と大きな疑問符が付くに至った。
人が消える系のサスペンスは相当うまい監督が作らないと悲惨なことになるという、悪しきサンプルとしての価値しかないと思う。


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