(2020年 アメリカ)
マンハントものとして優れているだけではなく、鋭い風刺劇としても見応えがありました。ハリウッド映画では珍しくリベラルエリートたちの欺瞞を暴いた点は大きく、なぜこれをトランプが批判したのかはよく分かりません。ともかく、見るべき価値の大いにある作品です。
感想
マンハントものの新たな傑作誕生
人が狩られるマンハントものは映画界の人気ジャンルの一つであり、『プレデター』(1987年)、『ハード・ターゲット』(1993年)、テレビシリーズにもなった『パージ』シリーズ(2013年- )など枚挙にいとまがありません。近年ではブラジル映画『バクラウ/地図から消された村』(2019年)も人気を集めました。
そんな中で登場した本作は何となく「『パージ』みたいな映画かな」と思ってアマプラで見始めたのですが、これが余りに面白くてビビりました。
序盤の時点で別格感全開。
『プレデターズ』(2010年)の如く、どこともわからない森で目を覚ますいけにえ達。
まず焦点が当てられるのはプラチナブロンドの美人で(エリック・ロバーツの娘、ジュリア・ロバーツの姪だそうな)、その扱いといい佇まいといい彼女が本作のスクリーミング・クィーンなのかと思いきや、早々に命を落とします。
次に焦点があてられるのがトム・クルーズとニコラス・コスター=ワルドーを足したようなイケメンで、こいつがヒーローになるのかと思いきや、やはり次の場面で命を落とします。
その次に中年3人組に焦点があてられるのですが、やはりこいつらも死亡。
一般的なホラー映画のタイムラインを踏まえて「このタイミングで出てくるキャラクターが恐らく主人公であろう」という観客の先読みを次々に裏切っていくという、作り手側の高度な遊びには魅了されました。
この辺りはホラー映画のナレッジが集積されているブラムハウス・プロダクションズならではの強みですね。
そして視点は『トゥモロー・ウォー』(2021年)でクリス・プラットの奥さんを演じたベティ・ギルピン扮するクリスタルに落ち着くのですが、ここからは冷静沈着な判断能力と高い戦闘能力を併せ持つクリスタルのワンマンショーとして盛り上がっていきます。
狩られる立場だった者が、逆に狩る者達を追い立て始めるということにマンハントものの魅力は詰まっており、どえらくかっこいいクリスタルの活躍には大興奮なのでした。
マンハントものとしては『プレデター』(1987年)以来の大収穫ではないでしょうか。
リベラルエリートこそが悪者という新機軸
クリスタル達を狩猟の対象としているのは、リベラルエリートであることが判明します。
彼らはトランプ支持者らしき白人貧困層を誘拐して殺人ゲームに興じているのですが、「地球は温暖化してるんだよ!」とか「人種差別をするな!」とか、政治的に正しいことを言いながらターゲットを殺すので、この映画がちょっと何言ってんだか分からなくなってきます。
『ハード・ターゲット』(1993年)や『バクラウ/地図から消された村』(2019年)などで描かれた通り、このジャンルは狩る側が倫理的に間違っており、狩られる側は特に落ち度のない弱者という設定にされるのが一般的。
そうでなければ観客は誰に同情し、誰を応援すればいいのか決めかねてしまうわけですが、本作では狩る側が政治的に正しいことを言いながら殺人を犯し、一般的に悪者とされている差別主義者や陰謀論者が無惨にも殺される側になるので、まぁ混乱させられました。
そんな中でも人間味を持って描かれるのは白人貧困層側なので、作劇上はこちらに肩入れしながら見るのが正しいのでしょうが、あまりにもいつものハリウッド映画とは違いすぎる作りなので、終始おかしな気分でした。
ではリベラルエリートたちがなぜこんなことをしているのかというと、白人貧困層から事実無根の疑惑をかけられて失脚したことへの憂さ晴らしでした。
SNS上のチャットをハッキングによって覗き見られた際に、「トランプ支持者を殺してやりたい」という並みの読解力があれば悪い冗談だと分かる一節を、「リベラルエリートが貧困白人を集めて殺している」という疑惑として受け取られて大炎上。
「いやいや、冗談に決まってるじゃないですか」と弁解しても「デマでも信じている人がいる以上、組織としてもちゃんと対処しなきゃいけないから…」と言われて彼らは職を追われてしまいます。
これに怒ったリベラルエリートたちは「じゃあ本当に殺人ゲームをしてやる!」と言い、特に酷いことを書き込んでいた12人を突き止めて狩猟の対象としたというわけです。
で、そのボス格なのがヒラリー・スワンク扮するアシーナなのですが、こいつが白人貧困層とは別の方向性を持つ差別主義者であることが明らかになります。
クリスタルから「なぜ私をスノーボールと呼ぶのか」と質問されたアシーナはジョージ・オーウェルの小説『動物農場』(1945年)からの引用であると、いかにもインテリっぽい返しをするのですが、逆にクリスタルから小説の読み違えをしているとの指摘を受けてしまいます。
クリスタルがオーウェルを読んでいることに驚くアシーナ。彼女は白人貧困層をステレオタイプ的に捉えており、文学作品になど触れているはずがないと思い込んでいたわけです。
またクリスタルは「自分は書き込んでいない。地元に居た同姓同名の人物と間違えているのではないか」とも訴えます。
クリスタルの言い分が事実かどうかはわからないのですが、万が一でも人違いであれば一大事なので確認はとらねばならないところ。しかしアシーナは「白人貧困層なんてどうせ似たり寄ったりで、書き込みが事実かどうかは関係ない」と言って攻撃の手を緩めません。
結局、綺麗事を言うリベラルエリートも意見が合わない相手を悪魔化して捉えており、自分の信じる正義の中でのみ生きているというわけです。
リベラル寄りのハリウッドがリベラルの欺瞞も暴いたという辺りに、本作の革新性はあります。この描写には心底驚かされました。
相手は嘘をついていると言い合う米社会の混沌
結局この映画が何を描いているのかというと、疑惑の掛け合いで混沌としたアメリカの言論空間ということになります。
はじまりは就任したてのトランプ大統領に対するロシアゲートでした。
ロシアゲートとは、2016年の大統領選において民主党陣営のメールがロシア情報機関によってハッキングされネット流出した事件で、対抗馬だったドナルド・トランプが関与していたのではないかという疑惑です。
これは政権を揺るがす一大スキャンダルとなったのですが、司法機関が捜査してもトランプ関与の決定的な証拠は出て来ず終いでした。
これに対しアメリカ国内における反トランプは「大統領がもみ消したのだ」と言い、トランプ支持者は「フェイクニュースで混乱させられた」と言い、まさに国論を二分する状況が出来上がりました。
共和党支持でも民主党支持でもない日本人の私の目からすると、当時のリベラル系メディアは明らかに勇み足であり、トランプは大統領にふさわしくない人物であるという決め付けの元に、事実確認のとれていない疑惑をかけたように見えました。
そうした不条理には反動が伴うものであり、リベラル系メディアの思惑とは裏腹に、ロシアゲートはトランプとその支持者たちの精神的絆をより深めることに貢献しました。
白人貧困層を馬鹿にし蔑ろにするリベラルエリートと戦ってくれる唯一の戦士がドナルド・トランプであるという構図が出来上がってしまったのです。
ここから一部の白人貧困層はリベラルエリートの陰謀論を信じるようになっていき、小児性愛者グループと民主党員が繋がっていることを発見したとか、民主党員がピザ屋で悪魔的儀式を行っている(通称ピザゲート)などという冗談みたいな陰謀論が独り歩きし始めました。
さすがにピザゲートはないだろと思うのですが、ならば2016年にロシアゲートを信じたリベラルエリートも同じ穴の狢ということになるので、双方が冷静に自らの落ち度を検証すべきです。大事なのは相手の落ち度ではなく自分達の落ち度ですね。
本作には、製作者たちのそんな思いが込められているように感じました。
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