ボクたちはみんな大人になれなかった_共感できないとしんどい【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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青春もの
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(2021年 日本)
中年男が20年も前に分かれた彼女を思い出してウジウジするというしょーもない話でした。かなり内省的な話なので、共感できないと本当にしんどいです。女性の方にとっては、男性の恋愛観が垣間見えるお勉強映画にはなるだろうとは思いますが。

感想

共感できないとツライ映画

内容は中年男性が女性遍歴を中心に自分の人生を振り返るというもので、私は主人公の設定年齢より6~7歳ほど歳下で、世代的には同じと言えなくもないので鑑賞しました。

タイトルに「ボクたちは」とある通り、これは自分の話だと思える共感が大事な作品なのですが、世代が近いにもかかわらず、私は共感できませんでしたね。

なのでちょっとしんどかったです。

序盤で「子供の頃になりたかった自分になれているだろうか」みたいなセリフがあって、恐らくあれが掴みの一言、万人にとっての共感の接点になって、物語に入り込んでいくきっかけとなるのでしょうが、あの時点で私はハマれませんでした。

別に私が満ち足りた人生を送っているということではなく、昔から将来に明るい展望を持つタイプではなかっただけなのですが。自分ならせいぜいこの程度だろうという低い想定しかてこなかったので、特に失望もないという。

なんか、暗い話しちゃってごめんなさいね(笑)

私を映画に戻します。

主人公の誠(森山未來)だって、そんなに悪い人生を送っているわけではありません。てか上出来なくらいでしょう。

創業当時から勤めている映像制作会社はマンションの一室から始まって、綺麗なオフィスを構える一端の企業に成長。誠は今や立派な経営幹部です。

「テロップを作るつまらない仕事」と謙遜するもののベテランの業界人だし、グラビア崩れの美女をお持ち帰りするくらいは余裕でできる充実ぶり。

そんな羨ましい生活を送っておきながら「思い通りの人生じゃない」と言うのは、自己憐憫が過ぎやしないかと思います。

こうした男の人生のたな卸的な話を、ストレートに描くのは厳しいものがありますね。多少笑いの要素が入っている方が良かったかなと。笑いとは批評性の延長線上にあるものなので、そこに冷淡な笑いがあるだけで一歩引いた視点が出来上がります。

その点、本作はあまりにも感傷的過ぎるので、いい歳をした大人が何をうじうじやってんだかという印象になっています。

人間関係は時間ではなく密度

メインの話は誠の女性遍歴なのですが、現在独身であるという事実や、年代を逆行していくという構成から、どの彼女とも最終的にはうまくいかなかったという結論ありきの話となっています。

この辺りはジム・キャリーの『エターナル・サンシャイン』(2004年)っぽかったですね。

誠が回想する女性はこの3人。

  • 石田恵(大島優子):2011年-2015年
  • スー(SUMIRE):2000年
  • 加藤かおり(伊藤沙莉):1995-1999年

冒頭のグラビアお持ち帰りから察するに、交際人数はもっと多いと思われるのですが、彼の人生に影響を与えたのがこの3人ということなのでしょう。

この通り、誠の主観のみで濃淡付けられていることが本作の特徴であり、使われる時間の長さや、どの場面が切り取られるかによって、その時々の彼女の扱いや、誠にとっての重要度が分かるようになっています。

これは面白い表現方法だと思いました。

3人の中で異質だったのは恵(大島優子)。

後の2人がキラキラとした出会いや楽しい思い出が中心だったのに対して、恵だけはうまくいかなかった、気まずくなったという光景ばかりが切り取られます。交際期間は3人の中で最長であるにもかかわらずです。

彼女ができたからと言ってテンションが上がらなくなった、お互い適齢期というやつだったので何となく付き合い、いろいろ決めきれずにダラダラと時間が過ぎてしまったということなのでしょうが、直接的な説明がなくとも30代の恋愛事情が透けて見える構成はうまかったと思います。

これと対照的なのがスー(SUMIRE)で、彼女は本当に一瞬の接点だったのかもしれないが、誠の中では強烈な印象を残しています。

人間関係とは時間の長さではなく密度だということがよくわかりますね。

ただしスーちゃんのパートにはおかしなところも多いのが困ったところ。

出会いの場面からして「私、絶望している人を見抜くのが得意なの」ですからね。そんなこと言う奴おらんやろと、大木こだまばりにツっこんでしまいました。

実はスーちゃんは店のオーナーからマンションの提供を受ける代わりに売春させられていて、誠を部屋に連れてきたタイミングでお客さんを取らされます。

普通なら適当な理由をつけて誠を帰らせるところですが、スーちゃんは十中八九引かれるであろう話を正直にします。惚れた男に対して、何でそんな要らん情報を出しちゃうんでしょうか。

で、客が帰ると外で待ってくれていた誠に抱き着き、二人はそのまま性交するわけですが、ついさっきまでおっさんに抱かれてたスーちゃんは、いくらスーちゃんでもありえないでしょう。誠も日を改めればいいのに。

結局、はじめての彼女が一番

そして最も時間をかけて描かれるのが加藤かおり(伊藤沙莉)。結局、はじめての彼女がもっとも印象的ということなのです。

それまでシネマスコープだった画角が、彼女のパートだけスタンダードになることでも、その特別性や別格感が強調されています。

シネスコは背景などをパノラミックに捉えることに適した画角である一方、スタンダードは登場人物のフォーカスに適しており、彼女の場面だけスタンダードになることで、当時の誠にはかおりしか見えていなかったという表現になっているわけです。

ただし客観的な魅力度で言うと、3人の中で彼女は最低なんですよね。見た目も性格も。

自分をブスと言って、相手から「そんなことないよ」と言われるのを期待してる感じがちょっと面倒くさいし、”普通”を嫌って自分で服に模様を書き込むようなタイプですからね。ぶっちゃけイタイです。

もしも20代後半や30代で出会っていれば、誠は彼女にハマらなかったんじゃないかと思います。でも初めてできた彼女って男にとっては特別なんですよ。

男は一生かけて初めての彼女を越える女性を探すのだが、強烈な思い出補正がかかっているので、後続組はなかなかそれを上回っていけないわけです。

そして、繰り返しますが本作は誠の主観で構成されています。

彼にとってはかおりが突然去って行ったと記憶されているだけで、実際にはうまくいっていない期間や、別れの前触れはあったのかもしれません。

しかし美しい部分しか誠には残っていないんですね。これは恵の記憶とは対照的なんですが、それで「あ~、若い頃は良かったなぁ」なんていって振り返ると。

そうしてハマる彼女ができないと言いながら中年になり、「ボクたちは大人になれなかった」とボヤくわけです。何ともしょーもない話ですね。

一方、現在のかおりはというと、普通に結婚して子供を持って幸せに暮らしています。

彼女のFacebookを見た誠は「あれほど”普通”を嫌ってたのに」なんて言うわけですが、若気の至りを卒業して大人の生活を送っているかおりこそがマトモであり、20年以上も前に終わった恋愛に執着し続けているあなたの方が間違ってるんですよ。

本当にツライのは七瀬

そんな具合に誠の人間関係の移り変わりがひたすらエモく描かれるわけですが、彼の後景に常にいながら、決して重要な記憶としては浮かび上がってこない気の毒な人物がいます。

それこそが冒頭でぐでんぐでんに酔い潰れ、「世の中の人間の80%はゴミ、残り20%はクズ」という名言を残した七瀬(篠原篤)です。

七瀬は2020年に誠と偶然の再会を果たすのですが、2000年にはゲイバーの店員として、1995年にはお菓子工場で働く同僚として登場し、全期間で誠との関わり合いを持つ唯一の人物となっています。

七瀬はゲイで、1995年から恐らく現在まで誠に片思いをしています。ただし届くことのない思いであることは分かっているので気持ちを海の底に沈め、誠の応援団に徹してきたわけです。

2020年の夜も、これ以上一緒にいると辛くなってしまうということで、無理矢理に誠をタクシーに乗せてその思いを断ち切ります。これは切なかったですね。

悠長に元カノとの思い出に耽っていられる誠なんかとは、切実さが違うのです。

また、彼は社会から求められるオネェ像に徹してきました。明るく、おしゃべりで、誰に対しても馴れ馴れしいという。

みんなあれが素の七瀬だと思ってきたわけですが、実はステレオタイピングされたオネェ像を演じていただけで、当人は疲れ切っていました。

これもまた、自分を偽ることなく生きてきて、その結果、彼女とうまくいかなかったり結婚できなかったりして悔恨の情を吐露する誠などとは、次元の違う苦しみを味わってきたということになります。

七瀬の物語は切なかったですねぇ。

誠よりも七瀬にフォーカスした映画を作って欲しいくらいですが、それだと全然別の映画になっちゃいますね。

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