(1997年 アメリカ)
売れない小説家のジャック・トランスは、高額な報酬と静かな執筆環境を得られる真冬のホテルの管理人職を引き受け、家族と共に冬をそのホテルで過ごすことになった。そこは「出る」と評判のホテルだった。
スティーヴン・キング自身の物語
原作は、家族がいるのに職はない、夢を追っても成功する保証がないという貧乏作家時代のキング自身を投影したパーソナルな作品であり、主人公ジャックは作家として伸び悩んだうえに酒に逃げるクセがあり、さらにはストレスから幼い息子に暴力を振るい骨折させてしまった前歴を奥さんから責められ続け、また自分自身でも後悔し続けているという設定が置かれています。
ジャックは家族を本気で愛する家庭人であるが、本質的に抱える弱さからすべてを台無しにしてしまうのではないかという脆さも併せ持っている。その葛藤こそが原作の骨子となっています。
原作者が望む形での映像化
しかし、1980年の映画化ではスランプ状態のストレスから家族を殺そうとする作家の物語に改変され、キングがもっとも描きたかった要素は完全に消え失せました。キングがこれに憤ったことは当然であり、原作者が公然と批判する作品とだけあって、キューブリック版もしばらくは「エンジンの乗っていないキャデラック」などと低い評価を受けることになりました。
シャイニング(1980年)【凡作】原作改変の詰めの甘さが惜しい(ネタバレあり・感想・解説)
その後、批判をやめることを条件にキューブリックより許可を得て製作されたと言われているのが本作なのですが、キング自らがプロデューサーを務め、脚色までを担当するという気合の入りよう。「これが俺の『シャイニング』だ!」という鼻息の荒さを反映して、上映時間は驚愕の4時間半。さすがに一気には見られないので、3日に分けて鑑賞しました。
分かりやすくはなったものの…
プレミア上映版(146分)→全米公開版(143分)→コンチネンタル版(119分)と、バージョンを重ねる毎に説明描写が削除され、視覚体験の追求のみに特化したキューブリック版とは対照的に、本作は説明、説明、また説明。序盤の状況説明にたっぷり1時間も使うほどの念の入れようであり、おかげで話の内容はよくわかったのですが、分かりきったことをクドクドと説明されると、見ている方はダレます。映像作品において観客に解釈の余地を残すということは大事なのだなと、反面教師的に教えられました。
キューブリック版再評価のきっかけ
世界一の映画監督が時間とお金をいくらでも使える状況で製作したキューブリック版と、予算的にも表現的にも多くの制約が課せられるテレビという媒体において製作された本作を比較するのは酷かもしれませんが、そうした条件面での格差を考慮しても作品としての完成度ではキューブリック版にまったく及んでいません。その存在価値は、せいぜいキューブリック版の補足編程度のものであり、キングの思惑とは裏腹に、キューブリック版がいかに優れた映画であったかを証明する材料のひとつになっています。
実際、完成後しばらくは賛否両論状態だったキューブリック版も、キング自身が製作に乗り出した本作が惨憺たる仕上がりだったことから批判の声がピタッとやみ、以降はホラーの名作としての評価が確立したように思います。
原作のキモの部分はちゃんと描けている
ただし、本作には独自の良さもあります。それは、人生詰んだ男がもがき苦しむ様であり、己の弱さに引き摺られながら、それでも良い父親であろうとする男の葛藤です。
ホテルに関するヤバい話を山ほど聞かされた。この仕事で自分は壊れるかもしれないが、それでも家族を養うためにはやるしかないんだという序盤からお父さんの苦悩が丁寧に描写されていたし、一度は悪霊に屈しながらも、息子に対する深い愛情から我に戻る場面も感動的であり、キングがキモと考えていた部分はきちんと描けているように感じました。ただし、感動のクライマックスに辿り着くまでに4時間以上を要するという道のりはかなりの負担でしたが。
白い刻印_不器用な男がすべてを失うまで【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)
↑良い父であろうとするものの、スペックが足らずに苦しむ男の苦悩を描いたポール・シュレイダー監督の同年の傑作。
コメント