白い刻印_不器用な男がすべてを失うまで【8点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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(1997年 アメリカ)
父グレンからの虐待を受けて育ったウェイドは、田舎町の警察で補助業務をしている。ある日、都会から鹿狩りにやってきた事業家が不可解な死を遂げた。警察は事故として処理したが、不審なものを感じたウェイドは独自調査を開始する。

©JVC Entertainment Networks

スタッフ・キャスト

監督・脚本はポール・シュレイダー

1946年ミシガン州出身。厳格なカルヴィン主義の家庭に育ち、18歳まで映画を見ることを禁じられていたのですが、初めて見た映画に感動して映画にのめり込みました。コロンビア大学とUCLAで映画学を学んだインテリであり、映画評論家として活動した後、シドニー・ポラック監督の『ザ・ヤクザ』(1974年)で脚本家デビューしました。

実在する犯罪者アーサー・ブレマーと自身の不遇を重ね合わせて書いた『タクシードライバー』(1976年)がカンヌ映画祭パルムドールを受賞して以来、スコセッシの御用脚本家の一人となり、『レイジング・ブル』(1980年)、『最後の誘惑』(1988年)、『救命士』(1999年)を執筆。また自身も監督業を行っており、『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』(1985年)でカンヌ映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞しました。

主演はニック・ノルティ

1941年ネブラスカ州出身。長い長い下積みを経てエミー賞とゴールデングローブ賞にノミネートされたテレビのミニシリーズ『リッチマン・プアマン 青春の炎』(1976年)でブレイクし、80年代バディアクションのひな形となった『48時間』(1982年)の大ヒットで人気をより強固なものとしました。粗暴な男を得意とする一方で、『ケープ・フィアー』(1991年)や『ロレンツォのオイル/命の詩』(1992年)では家庭的な男を演じたりと、幅広い演技の幅を持っています。

本作とは対照的に、息子を脅かす毒親を演じました。

作品概要

ラッセル・バンクス著『狩猟期』(1989年)が原作

ラッセル・バンクスは人生に対する幻滅や過去の過ちへの罪悪感をテーマとした重厚な作風の作家であり、本作の原作『狩猟期』もまた、過疎の町を舞台にひとつの死亡事件と親子の対立を丹念に綴った500ページの大作でした。

代表作の『この世を離れて』(1991年)は本作と同年にアトム・エゴヤン監督の手により『スウィート ヒアアフター』(1997年)として映画化されており、こちらはカンヌ映画祭審査員特別グランプリを受賞しました。両作は、共にポール・サロッシーが撮影監督を務めています。

ジェームズ・コバーンがアカデミー助演男優賞受賞

強烈なインパクトを残す父・グレン役はポール・ニューマンやジェームズ・ガーナーにオファーされていたのですが、あまりに容赦のないキャラクターだったために断られ、ジェームズ・コバーンに役が回って来たという経緯があります。

コバーンは70を超える映画と100を超えるテレビドラマに出演する超ベテランだったものの、演技力を評価されたことはありませんでした。しかし、本作でのド迫力の演技は多くの批評家を唸らせ、本命視されていた『トゥルーマン・ショー』(1998年)のエド・ハリスを押さえてアカデミー助演男優賞を受賞しました。

登場人物

ホワイトハウス家

父親がジェームズ・コバーンで、息子がニック・ノルティとウィレム・デフォーというド迫力一家。ベトナムに行った親戚の話が出てきますが、恐らくそいつはクリストファー・ウォーケンだろうと思います。

  • ウェイド・ホワイトハウス(ニック・ノルティ):父グレンからの虐待に遭って育った影響からか、揉め事を望む性格ではないにも関わらずカッとして物事をぶち壊しにすることが多い。ゴードンに雇われて警察の補助業務をしており、本人は警察官のつもりでいるが、住民達からは雑用係としてしか見られていない。
  • グレン・ホワイトハウス(ジェームズ・コバーン):地元でも有名なDV親父。成人後の子供達からは距離を置かれて妻との二人暮らしを送っていたが、妻の死をきっかけにウェイドとの同居となった。
  • ロルフ・ホワイトハウス(ウィレム・デフォー):ウェイドの弟で、現在は地元を離れて地方都市で大学教授をしている。兄とは違い要領の良い性格で、父グレンによる虐待をうまく避けながら成長した。そんな自分の防波堤になってくれていたウェイドへの罪悪感でもあるのか、時折ウェイドからかかってくる取り留めもない長電話に付き合っている。
ホワイトハウス家大集合。物凄い迫力。

街の人々

  • マージ・フォッグ(シシー・スペイセク):地元のダイナーでウェイトレスのアルバイトをしている中年女性で、離婚後のウェイドと交際している。後にウェイドと同居する。
  • リリアン・ホーナー(メアリー・ベス・ハート):ウェイドの別れた妻で、現在は娘のジルを引き取って裕福な再婚相手と生活している。演じるメアリー・ベス・ハートはポール・シュレイダー監督の奥さん。
  • ゴードン・ラリヴィエール(ホームズ・オズボーン):警察官にして地元の有力者。警察業務を手伝わせるためにウェイドを雇用している。
  • ジャック・ヒューイット(ジム・トゥルー=フロスト):かつては高校野球のスター選手で地元の有名人だったが、プロ入りできずに戻ってきた。以来、ウェイドと共にゴードンの元で雑用をしている。鹿狩りにやってきた都会の事業家のアテンドをしていた際にその事業家が不自然な死を遂げたため、ウェイドから疑いの目を向けられている。

あらすじと感想

「悪意はないが迷惑な人」の描写が秀逸

主人公のウェイド(ニック・ノルティ)は、真面目に仕事をして家族との平穏な生活を望む人物ではあるものの、自己演出や人間関係の構築を極めて不得意とする「悪意はないが迷惑な人」です。冒頭でのハロウィーンの夜の一幕において、そんなウェイドの生き辛さが端的に描写されます。

楽しいはずの娘との夜が崩壊していく

ウェイドは別居中の娘との久しぶりの面会に張り切っており、娘を喜ばせてやりたい、可能なら「ママよりパパと過ごす方が楽しい」と言わせてやりたいと思っています。しかしハロウィーンの夜は出足から躓き、娘がもっとも楽しみにしていたイベントには間に合いませんでした。ようやく着いた会場に残っていたのは、むしろ娘が参加したくないイベントでした。しかしウェイドは「せっかく来たんだから」と嫌がる娘を無理やりに参加させます。娘のテンションはダダ下がりし「家に帰りたい」と訴えるものの、ウェイドは娘の顔色の変化を読み切れず、「せっかく来たんだから楽しめ」の一点張り。こりゃ完全にダメだと判断した娘は、母親に「迎えに来て欲しい」と電話します。

ここでの父と娘のやりとりには、見ているこっちまでが居心地の悪さを感じるほどの迫真性がありました。父も娘もうまくやりたいという思いを持っているのに、ウェイドのルーズさや空気の読めなさで楽しいはずの予定がどんどん狂っていきます。「お前のためにここまで来たんだから…」というウェイドと、「パパのことは好きよ。でもこれはちょっと…」という娘の噛み合わない会話が両者の溝を深めていく過程の、どっちも善意を持っているのにうまくいかない感が切なくて仕方ありませんでした。

別れた妻から悪い親認定される

ウェイドの苦悩はさらに続きます。別れた妻と張り合う気持ちのあったウェイドにとって、母親を呼ぶという娘の行為は親としての自分のプライドを潰す行為でもありました。しかし娘に怒りをぶつけるわけにもいかないので、ウェイドは頭を冷やすためにいったんその場を離れ、そこで声をかけられた友人相手に不満をぶちまけます。

そんなことをしている内に別れた妻と新しい旦那到着。「娘を一人っきりにして、あなたは友達と遊んでたの?」「いやいや、そういうことではなくて…」。この場面だけを見れば自分が責任を放棄したように見えるかもしれないが、こうなるまでにはいろいろあったということを全然聞き入れてもらえません。このまま最低な親という烙印を押されると思うと一瞬だけ怒りを抑えきれなくなったウェイドは、新しい旦那を突き飛ばしてしまいます。「暴力よ!なんて最低な男なの!」と騒がれて、その夜は終わるのでした。

確かにウェイドは悪かった。空気が読めず、不器用で、間が悪く、大人として未熟な態度をとっていました。相手を突き飛ばす行為もいけません。ただし、そもそも娘を楽しませたかったという思いを度外視され、起こった結果だけを見て悪者扱いは気の毒でもあります。

何事にも得意・不得意というものがあります。ウェイドは人との関係性構築や親としての務めというものが不得意なのです。そして、それはあくまで技術的な問題であって、善意・悪意はまた別の問題。ウェイドからすれば、不得意であること、うまくできなかったことを責められるのは仕方ないが、そこに悪意を疑われ、悪い親として扱われることには納得いかないんだろうと思います。

地域全体から軽視されている

ウェイドの悲しき扱いは親子関係に留まりません。彼は制服を着てパトカーに乗って仕事をしてはいるものの、その実体は警察官の職位を持っているがビジネスで忙しいゴードンに、日常業務の代行者として雇われているだけの身です。緑のベストを着ている駐車監視員のおじいさん達みたいなものですね。それでもウェイド本人は警察官としての誇りを持って働いているのですが、ゴードン含め街の人たちからは警察官として扱われていません。当然っちゃ当然なんですが。

主たる業務は通学路の交通整理

個人的な思いと周囲からの評価の絶望的な乖離。そのことが彼の心理を終始不安定な状態に置き、目の前で起こった現象に対して常に自己のプライドの問題を絡めて物を言うという面倒くささに繋がっています。相手にはそんな気はないのに、ウェイドはすぐにバカにされたと思って半ギレで食って掛かってくる。そして、その面倒くささがまた彼の評判を落とす方向に作用するという悪循環を起こしています。「悪意はないが迷惑な人」、これがウェイドの客観的なイメージです。

まさにウェイドは中年版トラヴィスと言えます。『タクシードライバー』(1976年)の主人公トラヴィスもまた、高い自尊心に対して低い社会的ステータスの中で苦しみ、他人から尊敬されたいのに他人を遠ざけるという矛盾した行動をとっていました。しかしウェイドがトラヴィスと違うのは、彼がなぜそうなったのかという点に明確な理由があることです。

長男はつらいよ

親子関係には2種類あります。子が親を慕い、自分も親のような大人になりたいと思うパターンと、親を憎み、自分は親とは違う大人になりたいと思うパターンです。そして後者はさらに2種類に細分化できます。至らぬ親を反面教師として立派な大人になるパターンと、結果的に自分も親と同じ大人になってしまうパターンです。

ウェイドの父グレン(ジェームズ・コバーン)は、街の誰もが知っているほどの偏屈で暴力的な男です。グレンは家庭内で暴君の如く振る舞い、女房子供を理不尽な怒りでいたぶっていました。そんな家庭環境の中でも、弟のロルフ(ウィレム・デフォー)は幼少期より器用に振る舞い、父からの理不尽な攻撃をうまくかわしていたのですが、その分、兄のウェイドにかかる負担が重くなっていました。

ウェイドとロルフの兄弟は、共に父のようにはなりたくないと思っていたのですが、父の影響下を脱することのできた弟のロルフが父を反面教師として立派な大学教授になったのとは対照的に、ウェイドは父を憎みながらも、人格形成過程で受けた悪影響を断ち切ることができずに中年を迎えていました。良くも悪くも親からの影響を強く受けてしまう長男のつらさは万国共通のようです。

私自身も長男であり、また家族に対する怒鳴り・暴力OKの昭和風味の父に育てられたので、ウェイドの苦しみは理解できます。同じ家の中でも妹はうまく父から逃れていたのに、自分はモロに喰らっていたなぁと。幸いなことに、私は大学進学を機に地元を離れたので毒抜きの期間がありました。まったく実家に帰らない何年かを経て父を許す気にもなって親子関係は円満になったし、私自身の人格も実家に居た頃から随分と変わって、かつての父親みたいな人間に仕上がるという罠は回避できたかなと。ただし、もしずっと実家に居ると危なかったと思います。昭和風味2号になるところでした。

尊敬されたいと願う気持ちが暴走

愛されたいと願うのに受け入れられない、尊敬されたいと願うのに軽蔑されるウェイドは、悲しきモンスターのようでした。しかも人格形成過程で受けた虐待が彼の人格を歪めたのだからいたたまれません

そんなウェイドの前で大事件が起こります。街の若い衆であるジャックが小遣い稼ぎに都会から鹿狩りにやってきた事業家をアテンドしていたら、その事業家が自らの猟銃の誤射により死亡したと言うのです。みんな顔見知りの田舎町なので、誰もジャックを疑わずその証言通りに事故死での処理が進む中、ウェイドには「猟銃の誤射で自分の足を撃つ奴はいても、どてっ腹を貫くようなケースなんてありうるのか?」との疑問が浮かびます。この合理的な疑問は、ウェイドが数日前に事業家の娘婿から受けた嫌がらせと結びついて「あいつが関与した殺人事件に違いない」という陰謀論へと発展し、そして「この事件を解決することでみんなを見返すんだ」というウェイド自身の功名心とも結びついて、ウェイドを虜にしました。頼まれてもいないのに、いや、否定されればされるほど「今に見ておれ!」という気持ちを強くして独自捜査に精を出し、ウェイドはどんどん深みにはまっていくのでした。

精神のバランスを崩して冷静な判断力を失う

ハロウィーンの夜の件で愛する娘との面会がより難しくなっていたウェイドは、悪い親扱いをされて頭に来ていたこともあって、別れた妻相手に親権裁判の準備を始めていました。しかし、ウェイドの気質を知る街の人たちは奥さんの判断こそ妥当と考えており、ウェイドに対して「勝ち目はないからやめとけ」としか言ってきません。反対されることでウェイドは余計に頭に血が上り、勝ち目のない裁判の準備でストレスを抱えることとなるのでした。

母の急死と父との同居という大問題も同時に抱えていました。ある日ウェイドが実家に立ち寄ると室内は凍えるように寒く、そこに居た父は何やらソワソワして話かけても噛み合わない言葉しか返してきませんでした。「母さんはどこ?」と寝室を確認すると、眠ったまま亡くなった母親を発見します。父を問いただすと「いや、なんか死んでて…」と長年連れ添った妻を亡くした人間とは思えない反応を見せます。

母親の死体を発見するというただでさえショッキングな場面の上に、異常とも言える父親の反応。そして、父を一人にはできないからと実家に戻っての同居が始まるのですが、父は昔のままでした。理不尽なことですぐに激昂し、ウェイドを10歳の子供のように怒鳴りました。

ストレスの中でウェイドの判断力はどんどん狂っていき、また出口のない暗闇の中で、街の全員に自分の価値を分からせるという一発逆転の手段は例の殺人事件の解決のみとなっていました。度を越した固執は状況判断をより狂わせ、もはや「陰謀があってくれなければ困る」という状況にまで陥っていました。

注意!ここからネタバレします。

ついに訪れた社会との決別

ウェイドの唯一の心の支えだった恋人のマージは、父からの暴言やセクハラに耐えかねて出て行こうとしていました。車に荷物を積むマージを必死で引き止めるウェイド。ちょうどその場にいた娘はウェイドがマージに暴力を振るっていると思い、抗議の声を上げます。「違うんだ!」その瞬間、ウェイドは勢い余って娘を突き飛ばして怪我をさせてしまいます。ウェイドは生きがいだったマージと娘を同時に失ったのでした。

「これ以上やるな、落ち着け」という場面で頭に血が上ってしまうウェイドを見ていると、本当に短気で愚かなんだけど、誰からも省みられずただ悪者にされていく様が哀れでもありました。また、暴力を振るったつもりはないのに「暴力よ!」と騒がれて、自分が悪者にされるという恐怖は、男ならある程度身近に感じられます。

父がさらにウェイドを追い込みます。生きがいに去られて打ちひしがれるウェイドに対して心ない罵声を浴びせ、殴りつけてくる父。もはや人の血が通っているとは思えぬ所業に対し、ウェイドは初めて父を殴り返しました。しかし、ウェイドにとっては強大な悪魔だった父もすでに老人であり、その一発の反撃で絶命してしまいます。今まで父からさんざんやられてきたことを考えれば、ウェイドには一発くらい殴り返す権利はあるだろうと思うのですが、その一発が彼を二度と後戻りできない領域へと追い込んでしまいました。

ついに息子が反撃

ウェイドは父の殺害現場である自宅の納屋に火をかけ、その後は例の殺人事件の容疑者と睨んでいたジャックを殺害して姿を消しました。平穏な暮らしと尊敬を求めた中年男は、こうして殺人鬼になったのでした。

まとめ

人間の闇を描写してきたポール・シュレイダーの作風は、本作でひとつの頂点を迎えたと言えます。ここまで哀れで救いがなく、「自分にもこの主人公と同じ要素があるかもしれない」と観客を不安にさせるドラマには、そうそうお目にかかれません。

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