(2022年 日本)
高校生を主人公にした経済啓蒙映画というコンセプトは素晴らしいのだけど、主張があまりに偏りすぎていて、そもそも同じ考え方の人にしか通じない内容となっている。主演の子は可愛いが厭味ったらしい喋り方のせいで魅力台無しだし、いろいろとうまくいっていない。
感想
見る人は相当限定される社会派青春映画
漫画『こんなに危ない!?消費増税!』の映画化企画。オリラジ中田敦の推薦文が帯に載せられるなど、そこそこ話題になった漫画らしいが、私は未読。
映画版はTOKYO MXで放送されたのを見た。
主人公は女子高生 高橋アサミ(加藤小夏)。
元財務官僚の亡き父からの影響を受けて政治にも経済にも一家言を持つアサミが、大人たちのやっていることにツッコミを入れていくというのが、作品の骨子である。
冒頭、学校の授業ではアベノミクスの成果について触れられているのだが、その内容が間違いだらけで聞いていられないとばかりに、アサミは立てた教科書の陰に隠れて弁当を食べている。
教師から早弁を注意されると「仕方ねぇな」と言わんばかりに今までの授業内容を批判するアサミと、論破され言い返すことのできない教師。
この数分の出来事に「素晴らしい!よく言った!」と拍手喝采できる人は、本作を最後まで楽しむことができるだろう。
しかしそうでなかった人は、ここでやめた方がいいかも。全編こんな感じだから。
まず本作の構造的な欠陥として、序盤の時点で主人公の主張が出尽くしているということがある。残り90分近くはひたすら同じ話を繰り返しているだけで、議論もドラマも発展していかない。
そもそもアサミってファンタジー映画でいう賢者ポジションなので、本質的に主人公には適していない。本来主人公にすべきだったのは、政治・経済に全く無関心だったクラスメイト安倍晋太郎(北川尚弥)辺りだろう。…って、すごい役名だな。
本作の構造って、オビワンを主人公に、ルークを脇役にした『スター・ウォーズ』みたいなもので、これで面白くすることはかなり難しいと思う。
父を亡くしたアサミは商店街で飲食店を経営する叔父・叔母に引き取られており、廃れゆく商店街の再興に走ることが作品の横軸となっている。
意図は分かる。物語として一本筋を通そうとしたのだろう。
ただしこれがまったく主題と絡んでおらず、そのうち作り手側もどうでもよくなってきたのかストーリーは有耶無耶にされてしまい、最後に残るのはアジビラの如く主張をがなり立てる主人公の姿のみなのだから、映画としてはまったくいただけない。
細かい点では、学校の授業でアベノミクスを扱うのかという違和感もある。
一般に、学校で扱われるのは歴史的評価が確定したトピックだけで、ゆえに授業が面白くないとか、現実に即していないという批判も出るわけで、本作が製作された2022年時点でアベノミクスは授業に出てくるものではなかったと思う。
ここに本作のもう一つの欠点が表れているのだが、社会派を標榜する割に、リアリティは割と置き去りにされている。
中盤では、政府批判の動画がバズったアサミに対して政治家が圧力をかけてくる。
その政治家は二階堂すすむ(萩野崇)と言い、自民党の重鎮 二階俊博をどことなく連想させる名前なのだが、二階堂は高校へと直接乗り込み、アサミに対して面と向かって「動画を消せ」と迫ってくる。
SNS上に政府批判の動画なんて山ほど転がっており、その中のいくつかはたまにバズるが、その度に自ら動くほど国会議員は暇ではない。
また動画投稿者の元に直接出向くということは、言論弾圧をしたという証拠を残すということであり、それは火消しどころか燃料を投下しているようなものだ。そんな迂闊な政治家がこの世にいるとは考えづらい。
その後には二階と新人議員が鉢合わせる場面があるのだが、過疎ってる商店街で同時刻に国会議員が2人もいるなんて偶然がありうるだろうか。
こういう明らかにおかしな展開を挟まれては、主軸となる論調にも説得力が伴ってこない。大きな主題を扱うからこそ、細部にもこだわって作ってほしかった。
監督にもトンネルの外は見えていない
またアサミのキャラ付けが決して好感を持てるものではないという問題もある。
自分とは相いれない主張に対しては、面倒くさそうに頭をかきながら「あ~~~、何でそうなるかなぁ」というセリフをはっきりと口に出す。目の前の相手を完全にバカとして扱っているのである。
アサミに扮する加藤小夏はかわいらしい見た目だし、演技力もありそうなので、将来化ける可能性はあるが、こういう厭味ったらしい演技をさせられては魅力半減である。
ではアサミがそこまで鋭いことを言っているのかというと、そうでもない。
アサミが主張するのはMMT理論(現代貨幣理論)というやつで、これはれいわ新選組の山本太郎代表が盛んに論じている内容とほぼ同じ。ちなみに本作には山本太郎氏の推薦文が寄せられている。自民党が似たようなことをすれば袋叩きに遭うだろう。
アサミ(≒MMT論者)の主張の骨子は以下の3点だ。
- 財政赤字であっても政府は積極財政を続けるべき
- 政府の借金は貨幣をいっぱい刷って返せばいい
- 極端なインフレにならないよう調整すれば問題なし
まともな方が聞けば「ん?」と感じる内容だろう。
この主張の最大の問題は、日本国内にしか目が向いていないということであり、対外的な信用力というものが度外視されている。
貨幣の信用力とは、厳しい制約条件の中でコントロールされてこそ維持できるのであって、時の政府が借金を帳消しするため札を自由に刷るようになれば、日本円の信頼性はこども銀行券並みに地に落ちるだろう。
それを回避するための「3.極端なインフレにならないよう調整すれば問題なし」なのかもしれないが、具体的にどういう方法論でこれを担保するのだろう。安全装置の部分が曖昧な政策に一国の命運など預けられない。これでは机上の空論だ。
「1.財政赤字であっても政府は積極財政を続けるべき」「2.政府の借金は貨幣をいっぱい刷って返せばいい」についても、政府が際限なく無駄遣いすることを可能にするロジックであり、これを是とする姿勢は、権力に対する盲目的な信頼を前提としている。
劇中、政府や財務省はマスコミをも操って国民を洗脳しているとして不信感をさんざん喚き散らしておきながら、マクロ経済対策については政府を性善説的に捉えており、彼らに圧倒的な権力を与えても、それが濫用されることはないという前提に立っているのでは筋が通らない。
「みんなわかってない」と偉そうに論じながら、もっとも浅いレベルで思考停止しているのが主人公ではないだろうか。
エンディングでは「♪何かをすれば批判を浴びる、出る杭は打たれる~」という歌詞のテーマ曲が流れるが、そういうのは他人から批判されないレベルのロジックを構築してから言ってほしい。
なおアサミに影響を与えた父 高橋陽一郎は、元財務官僚で経済学者の高橋洋一氏をモチーフにしたものと言われており、高橋氏自身もユーチューブでその件に触れていたが、皮肉なことに、高橋氏はMMT理論に対して否定的な発言を何度かしている。
MMT理論は数式化がなされていないのでモデルの検証ができない。ゆえにただの主張でしかなく、アメリカでは学問として見做されていないというのが高橋氏の見解。
そうした下調べもせず映画を作ってしまった点も、本作の不出来を象徴している。
不況を長引かせているのは主人公のような人たち
私の持論だけど、日本人には一発解決を望む傾向があると思っている。
効果てきめんな一発逆転策がどこかにあって、それさえやればすべてバラ色。だから一つ一つの問題に向き合おうとしなくなる。これが日本人の国民性ではないかと。
本作の主人公は、とり憑かれたように「デフレの今は…」という発言を繰り返す。
彼女にとってはデフレこそが諸悪の根源であり、デフレ脱却さえすればすべての問題は片付くと思っているのである。
劇中のアサミは廃れゆく地元商店街の再興にもっとも関心を持っているが、それはデフレ脱却のみで実現できるのだろうか?実現できると言うならば、両者をつなぐロジックを観客に対してはっきりと提示すべきだ。
確かにデフレは経済成長の阻害要因の一つではあったが、それがすべてではないと思う。
高齢化の結果、社会保障費は1990年の3倍になっていること、そして少子化の結果、将来に向けて生産人口が減っていくのは決定的であることなどの方が、個人的には停滞の原因としては大きいと思っている。
要は、政府が使う金が増えている割に、日本経済全体の稼ぐ力は減るという二進も三進もいかない状態にあって、これは金融政策で辻褄を合わせれば何とかなるものではない。そもそも物量が追い付いていないのだから。
MMT理論を最初に提唱したのはステファニー・ケルトンというアメリカ人経済学者だと言われている。彼女はバーニー・サンダースの政策顧問も務めた人物だが、少子高齢化周りの状況はアメリカと日本で随分と違う。
アグレッシブな金融政策をやっても将来的に実体が追い付く見込みのあるアメリカと、名目と実体の絶望的な乖離しか生じえない日本ではそもそもの基礎が違うのだが、そのことが日本のMMT論者の目には入っていないようだ。
そして2023年2月以降の日本ではインフレが進行中だが、2022年以前から存在する社会問題の大半には解決の目途が立っていないではないか。こうして答えが出た後になると、MMT論者たちはどこかに消えてしまったが。
政治・経済とは複数の要素が絡み合った難しいものであり、「あちらを立てればこちらが立たず」という状況が往々にして生じうるものだ。
そうした現実を直視せず、非常に簡単な解決策にすべてを託そうとする姿勢こそが、日本を長期停滞させてきた元凶ではないかと思う。
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