デップvsハード_極度の偏見に基づくドキュメンタリー【1点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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実話もの
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(2023年 イギリス)
ジョニー・デップとアンバー・ハードの泥沼離婚劇を題材にした全3話のドキュメンタリーだけど、裁判の模様を編集しただけで、新しい情報や分析が出てくるわけでもない相当ポンコツな作り。しかも作り手は明らかにハード寄りでかなり内容が偏っているので、見ていられなかった。

感想

ネトフリドキュメンタリー史上ワースト1

泥沼化したジョニー・デップvsアンバー・ハードの一連の離婚騒動のうち、デップが汚名を払しょくした2022年4月の裁判にフォーカスした全3話構成のドキュメンタリー。

イギリスのチャンネル4で放送され、それ以外の地域ではネットフリックスで配信。私は3話を一気見したのだが、ネトフリ配信のドキュメンタリーでは現時点でワースト1と断言できるほど酷かった。

ドキュメンタリーを名乗る以上、関係者への新規のインタビューなり、専門家による事後的な分析なり、知られざる事実の発掘なりと、事件から期間を置くことで見えてくる”何か”を提示すべきだろうと思うが、本作にそうしたものは全くない。

テレビ中継された裁判の様子を切り貼りしただけという簡単なお仕事なので、地球的な注目を集めた当該裁判においては「知っとるがな」の連続だった。

作り手のハード贔屓が凄い

まぁその程度なら単なるつまらないドキュメンタリー止まりなんだが、私をしてネトフリ史上ワースト1と言わしめているのは、作り手側が明らかにアンバー・ハード側に偏った姿勢を示しているということだ。

ドキュメンタリーでは、法廷の模様と並行して、白熱したSNSの様子が映し出される。

本作の製作者は、世論は圧倒的にデップ支持で、ハードにとってはまったくもって公正な状況ではなかっと説明する。

確かにこの裁判の最中だけを切り取ればそうなるだろうが、2016年に離婚して以来の流れで捉えると、見え方は全く違ってくる。

当初、世論からの攻撃を受けたのはジョニー・デップだった。

世は#MeTooが盛り上がりを見せていた時期であり、そんな中でハードは「大スターの実態を暴いた勇気ある告発者」ポジションを取ることに成功。

しかし離婚が成立していない時期に大富豪イーロン・マスクとの交際が発覚したり、ハードがデップに対して暴力をふるうこともあったりと、「この人こそ、何かおかしくないか?」ということが徐々に明るみに出てきた。

英国の裁判ではデップが敗訴こそしたものの、ウィノナ・ライダーやヴァネッサ・パラディら過去のパートナー女性たちが揃って「ジョニーは暴力的な人間ではない」と証言したことから、ハードへの心証はどんどん揺らいでいった。

そうした流れの中でのこの世論である。デップ擁護派には狂信的な者も一部には居たかもしれないが、多くの人々は長期の騒動の中で「どちらが真実を語っているっぽいか」を見極め、世論が形成されていったのである。

百歩譲って世論が間違いを犯していたにせよ、2022年の裁判ではデップの主張がすべて通っている。この結果を見ても、どちらが正しいのかは明らかだろう。

しかし本作の製作者は「陪審員がSNSの影響を受けていないとは言い切れない」「加熱したメディアに引っ張られたんじゃないか」と苦しいことを言いだす。

公判中に陪審員がメディアに触れることは禁止されているので、もしもSNSを見ていたとすれば問題だ。

ただしこのドキュメンタリーは、陪審員がそうした違反行為をしていた可能性が高いという証拠の提示もなしに、「彼らは影響を受けていたかもしれない」と言い出すのだから開いた口が塞がらない。

これではどんなジャッジにだってケチをつけられるだろう。

そして最後は「事実の証明など不可能」「人は信じたいものを信じる」である。

そんなことを言い出すと何も信用できなくなるし、それでも「事実らしきもの」を明らかにしようとするのがドキュメンタリーの役割ではなかろうか。

出てきた結果が気に入らなくて、でもその結果を覆す論拠も提示できない人間の捨て台詞みたいなものを聞かされても、私の心は1ミリも動かなかった。

なんという無意味なドキュメンタリーを作ったんだろうか。

疑うのも否定するのも自由だが、客観的な論拠もなしに「多分こうだったはずだ」レベルの主張では、SNSで盛り上がってた人達と同じ穴の狢。

ハード擁護にしても、もっとマシな作り方はなかったんだろうか。

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コメント

  1. 匿名 より:

    こういうプログラムが相当の予算で作られまかり通る。世の中はプロパガンダで溢れていることの証ですね。

    • 私がよくやり玉にあげるポリコレが最たるものですね
      つまり「政治的に正しくする」という意図を持って作品を作り上げるということなんですが、そこでの正しさって一体何なんだろう、誰かが「正しいこと」を恣意的に規定し始めたらどうするんだろうという疑問は常にあります。