地獄の黙示録_つまらんのに見てしまう映画【6点/10点満点中】(ネタバレあり・感想・解説)

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戦争
戦争

(1979年 アメリカ)
個人的には名作の皮を被ったポンコツ映画だと思っているのだが、メディアが出るたびに買ってしまうし、つまらないと分かっているのに何度も見てしまうという、不思議な魅力を持った映画でもある。自分でもこの映画が好きなのか嫌いなのかがよく分からないのだが、それこそが本作の良さなのだろう。

感想

つまらんのに見てしまう映画

歴史的傑作という評価はほぼ確定している作品なので、異論を唱えることには躊躇もあるのだが、個人的にはつまらんと感じている映画。

前半部分は面白いけど散発的なエピソードの羅列のようにも感じるし、後半部分は分かったような分からんようなセリフばかりで眠気を誘われる。

残念ながら、見終わった後に「面白かった!」と満足できた経験は一度もない。

なのだがメディアが出るたびに買い直しを繰り返しており、10代の頃からTHX版レーザーディスクを所有していたし、その後もDVDが出れば劇場版と特別完全版のセットを買い、Blu-rayが出れば3枚組のボックスを買った。

今はファイナルカット版のUHDを買おうかどうか悩んでいるところである。

つまらんと思っているのだが、なぜだか買ってしまう映画。

そして鑑賞回数もまぁまぁに達しているのであるが、見るたびにつまらんと感じてしまう。でも時が経つとまた見てしまう、そんな映画。って、どんな映画だ。

そんなよく分からん関係性の映画なので、個人的に思うところをつらつらと書いていきたい。ただし考察や研究などは溢れかえっている作品なので、今回は一般的な作品紹介を割愛する。

任務を下される序盤の素晴らしさ

ベトナム戦争末期、陸軍空挺部隊のウィラード大尉(マーティン・シーン)に、グリーンベレー隊長 カーツ大佐(マーロン・ブランド)を暗殺して来いとの指令が下る。カーツ大佐は軍の指揮命令系統から完全に外れ、ジャングルで己の王国を築いているらしい。

ハリソン・フォードがチョイ役で出ていることもあって有名な序盤であるが、この場面はなかなか良い。

ハリソン・フォードが演じているのはルーカス少佐で、その上司らしき男はコーマン将軍と言う。コッポラの知り合いの実名を当てている辺り、事情を知っている人間はニヤリとしてしまうし、こういう遊びをしていることから、本作は元々娯楽作として企画されていたのではないかと推測してしまう。

そして彼ら以外にスーツ姿の男が同席しているのだが、こいつはCIAなのだそうな。

周囲が軍服姿の中、ひとりだけスーツ姿のエージェントという描写は『プレデター』(1987年)『今そこにある危機』(1994年)でも見られるが、それを初めてやったのは本作ではないかと思う。三度の飯よりエージェントが好きなアクション映画ファンにとっては、なかなか燃える描写である。

どうやらコーマン将軍はカーツ大佐の友人らしく、「あいつは最高の軍人だったのに、戦争でおかしくなってしまった。これ以上名誉を汚す前に殺してやるべきだ」みたいなことを言う。

一方、CIAの男は黙ったままで、最後に一言「殺って来い」とだけ言う。

この場面の張りつめた空気が素晴らしく、これからやろうとしているミッションの重みが伝わってくる。アクション映画として上々の出足である。

なぜカーツだけが許されないのか

ここから本編に入るのだが、その内容を一言で表すならば、戦争の狂気を描くということになるのだろう。

ウィラードは目立たぬよう通常の哨戒艇で輸送されるのだが、そのクルーときたら戦争をしているという自覚が限りなく薄い徴用兵で、職業軍人のウィラードからすれば、こいつらが兵士を名乗っていること自体が狂ってるという思いだ。

中でもクリーン(ローレンス・フィッシュバーン)は17歳。そんな子供に、他人の生殺与奪を握るかもしれない武器を持たせているなど、本国では考えられない狂気の沙汰である。

そして行く先々でもウィラードは戦争の狂気を目撃する。

第一騎兵師団のキルゴア中佐(ロバート・デュヴァル)は、破壊や人殺しを楽しんでいる狂人であり、そんな狂人が上からも下からも支持されている米軍という組織自体が心配になってくる。

前線を離れれば軍はプレイメートを兵士の慰問に呼んでいるが、まともな組織のすることではない。

そしてもう一つの前線では指揮命令系統がズタズタに寸断されており、もはや作戦が何だかも分からないのに兵士が各自の判断で銃を撃ちまくっている。

全員イカれている。そしてウィラード自身もイカれている。

冒頭、ウィラードはサイゴンのホテルで暇を持て余し、モノローグで「なぜ俺はまだサイゴンに居るんだ」と語っていた。

祖国に帰っても居場所はなく、サイゴンでの待機すら耐えられず、早くジャングルの前線に戻りたいという思いでいる。

戦場の破壊と死にすっかり魅了されており、『ハート・ロッカー』(2008年)でも描かれた戦争ジャンキーの状態にあるのだ。

俺を含めた全員がイカれているのに、なぜカーツだけが許されないのか。旅を続ければ続けるほど、ウィラードは戦争も軍隊も自分自身も分からなくなっていく。

恐らくこれは、ベトナム戦争が長期化して、もはや何を守りたくて戦っているんだかすら見失なったアメリカ合衆国の末期的症状を示しているのだろう。

最初は反共と言って攻め込んでいったが、これだけ人を殺しまくっておいて、アメリカの掲げる理念が本当に正しいと言えるのだろうか。そして共産主義が俺たちより悪いと断言できる根拠って一体何なんだろうか。

そんなアメリカ合衆国の葛藤が、ウィラードの物語に反映されているんじゃなかろうかと思う。

こうして物語全体を俯瞰すると、ふむふむ良いことを言っているなぁという感じで、名作に相応しい風格を感じるのであるが、全体のまとまりは決してよろしくない。

各エピソードはぶつ切り状態でうまくつながっていないし、前半のキルゴア中佐の場面が見せ場的にもテンション的にもピークであって、そこから測ったように盛り下がっていくという構成も観客に対して不親切だった。

そして最大の問題は、肝心のカーツ大佐の物語にオチがついていないということである。

オチが付かないのは如何なものか

多大な犠牲を払いながらもウィラードはカーツ大佐の王国に到着する。

そこはフルチンの死体が警告のように吊るされている明らかにイカれた場所で、案内に出てきた自称ジャーナリスト(デニス・ホッパー)は四六時中ラリっていて何を言ってるんだかサッパリわからない。

ウィラードの前任者であるコルビー大尉(スコット・グレン)も上半身裸で地元民に馴染みまくっており、ウィラードの姿を見ても一言も発しない。

何かとんでもない場所だということはよく伝わってくるのであるが、具体的に何がどうということはよく分からん。

そうこうしているうちに肝心のカーツ大佐とご対面となるのだが、カーツはポエムを読むばかりではっきりしたことは何も分からない。

これが本作最大のがっかりだろう。

有名な話だが、この終盤は本当にシナリオなしで作られている。マーロン・ブランドが軍人には見えないほどの肥満体で現場に姿を現したため脚本通りに撮れなくなり、コッポラもどう終わらせればいいのか分からないまま、適当に撮っていたのである。

人によってはこのカオスこそが作品の呼吸であると評価されるのだが、私はただただ混乱してオチが付けられなくなり、それらしく誤魔化しただけにしか感じられなかった。

しいて言うならば、洗脳することに長けているカーツはやはり共産主義の隠喩で、最後までその口車に乗せられずに暗殺を成し遂げたウィラードはアメリカ合衆国だったのかななんて思う。

我ながらこじつけが酷い気もするが、そうとしか言いようがないほど、このラストはよく分からんかった。

あと牛の首がぶった切られる場面は、残酷慣れした私ですら耐えられなかった。やはりリアルの屠殺を見るのは厳しいものがありますな。

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