(2020年 日本)
昭和バイオレンスを得意とした井筒監督に期待したら、大いに裏切られた任侠ものの風上にも置けぬ任侠映画。じいさんになった元ヤクザの主人公が徳と善行に目覚め、「良い人生だったなぁ」とほのぼのするオチにはひときわ脱力させられた。
感想
井筒和幸監督の8年ぶりの監督作。
『岸和田少年愚連隊』(1996年)、『パッチギ!』(2005年)など昭和を舞台にした暴力映画を得意としてきた井筒監督が、戦後昭和史を生き抜いたヤクザの一代記を描くとなれば、さぞかし凄い映画になるのだろうと期待するところだが、どっこいこれが任侠ものと呼ぶことも憚られるような腑抜けた映画だった。
1956年、主人公 井藤正治(元EXILEの松本利夫)の少年期より作品はスタートする。
祖父は地元銀行の創設にも携わった名士だったが、敗戦による社会全体のパラダイムシフトとゴク潰しの実父の存在によって、いまや井藤家は平均家庭以下の極貧状態にある。
正治少年は実家の屋根の銅板を引っぺがして鉄屋に売り、またある時には子供ながらアイスキャンデー売りに精を出し、何とか日銭を稼いでいた。
そんな家庭環境なので、中学に上がる年齢になると正治少年はすっかり悪の道に染まり、非行→少年院→闇社会の人脈形成→鉄砲玉→兄弟盃と、極道の王道コースを突き進むのだった。
この少・青年期のエピソードは20分程度でテンポよく描かれるのだが、これが全然面白くない。エピソードの羅列状態で、演出にメリハリというものがまったくないのだ。
「これはヤバイかも・・・」という不安は的中し、ここから先も映画は一切面白くなることはなかった。
やがて正治は組を持つにいたるのだが、そこは極道の世界のこと、ライバル組織との抗争もしばしば起こる。
しかし抗争に向かっていく過程での不穏な空気も、いざ抗争が火を噴いた際の血生臭い戦いも十分には描かれない。
それどころか、大勢のキャラクターの描き分けにも失敗しているので誰が誰に襲われたのかも定かでなければ、どういう決着を迎えたのかもはっきりしないまま、次のエピソードへと飛んでいくという凄まじいことになっている。
演出上の不備はそれだけではない。
やがて正治はクラブでホステスをしていた佳奈(柳ゆり菜)と結婚するのだけれど、二人が接近するまでの過程がほぼ飛ばされているので、「いつの間に二人はそんな仲に?」と頭が疑問符だらけになった。
146分もの長尺の全編にわたってこの調子。
何の溜めもなくはじまったイベントが唐突に終わり、脈絡のない状態で次のエピソードへとすっ飛んでいく。これをひたすらに繰り返すのみなのだ。
実は知人の一人が本作にスタッフとして関わっていたので、撮影の裏話はいろいろ聞かされていたのだけど、本作には駄作になるべくしてなったどうしようもない背景がある。
あんまり詳細に触れると特定されて知人に迷惑をかけるかもしれないのでざっくり書くけど、主人公 正治は実在の暴力団組長をモデルにしており、かつ、映画への出資者は元組長その人だったらしい。
要は、元極道が自分の金で自分の伝記を作らせたのが本作だったというわけ。
元組長は毎日撮影現場を訪れるほど熱心だったが、これって作り手側からすると、モデルとなった人物による監視が途切れなかったともいえる。
そしてご本人に思い入れもあるだろうから、「このエピソードは絶対に入れてほしい」とか「このことには触れるな」とか、いろんな指示が出ていたであろうことは想像に難くない。
エピソードの取捨選択ができない、映画文法的につながるような脚色もままならない状態で作らされたので、こんな壊滅的な仕上がりとなったのだ。
出資者としては、成りあがっていく前半は『スカーフェイス』(1983年)、ファミリーを形成する後半は『ゴッドファーザー』(1973年)と、ギャング映画のハイブリッドを目指していたのだろう。山盛り状態にされたエピソードからは、そんな鼻息の荒さがうかがえる。
それらの名作ギャング映画は、いずれも主人公が大事なものを失うことで幕を下ろすのが定石であるが、この点、クライマックスにだけは本作のオリジナリティが光りまくる。
数々の抗争を生き伸びた初老の正治は、信頼する子分に組を継承させたうえで平和的に極道を引退。
その後は徳に目覚めて仏教に帰依したり、発展途上国の子供たちの支援を行ったりと、充実しまくった老後を送って劇終。
・・・って、これで共感を得られると思ったのだろうか?
その過程をどれだけ美化しようが、面白おかしく描こうが、極道は社会に迷惑を及ぼす存在だ。最後は何かしらの代償を支払わせないと観客は納得して席を立てないのだが、本作では元組長が物心ともに満ち足りた状態で終わってしまう。
こんなヌルいヤクザ映画ははじめてだ。
無頼(①頼みにするところのないこと。 また、そのさま。 ② 一定の職業を持たず、無法なことをすること。 また、そのさまやその人。)というシブいタイトルの逆をいった物語はいかがなものかと思う。
コメント
悪い意味で色々有名な井筒監督ですが、反社を出資者に映画を作るとは(しかも令和のこの時代に)恐れ入りました。
3点どころか2点以下のプロバガンダ映画しか撮れない最低な人間性だと思います。
井筒監督作品であるにも関わらずメジャー系の配給網に乗せられなかったのは、反社が入ってるためだそうです