セルピコ_題材は良いけどやや単調【6点/10点満点中】(ネタバレなし・感想・解説)

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実話もの
実話もの

(1973年 アメリカ・イタリア)
言わずと知れた社会派ドラマの名作だが、個人的には今一つに感じた。セルピコの最初の彼女のような明らかに無駄な構成要素があるし、告発するする詐欺を働いた一番悪い奴らには迫り切れていない。

作品解説

実話に基づく社会派作品

本作のモデルは実在の刑事フランク・セルピコ。

1970年4月、当時のNY市長ジョン・V・リンゼイは、市警内部の汚職を調査することを目的にホイットマン・ナップ判事を委員長とするナップ委員会を立ち上げたが、そのきっかけはNY市警フランク・セルピコ刑事とデヴィッド・ダルク巡査部長による告発記事だった。

1971年2月、捜査中のセルピコが顔を銃撃されるという事件が発生。その銃撃を取り巻く状況はすぐさま問題視され、市警の同僚が銃撃を仕向けたのではないかという疑惑が持ち上がったが、正式な捜査は行われなかった。

怪我の回復後、ジャーナリストのピーター・マースがセルピコの伝記を執筆。

その頃、セルピコと一緒に不正を告発したデヴィッド・ダルク巡査部長は、自身の物語の映画化権をハリウッドに売ろうとしていた。

ダルク役にポール・ニューマン、セルピコ役にロバート・レッドフォードという『明日に向って撃て!』(1969年)のコンビが再結集し、監督は『ワイルドバンチ』(1969年)のサム・ペキンパーという、これはこれで完成作品を見たくなるメンバーが集められたが、語るべきストーリーがないとして企画はボツになった。

その後、ハリウッド進出を目論んでいたイタリア人プロデューサー ディノ・デ・ラウレンティスが、セルピコの本の映画化権を出版前の時点で購入。ラウレンティスはパラマウントに共同製作を持ちかけた。

警察を悪く描く内容にパラマウントは乗り気ではなかったが、当時のパラマウントの親会社だったガルフ&ウエスタンの社長チャールズ・ブルードンが製作を望んだことから、企画にゴーサインが出た。

監督とプロデューサーがバチバチに対立

ラウレンティスがビジネス面での交渉をまとめる一方、製作現場をとり仕切っていたのはマーティン・ブレグマンだった。

ブレグマンはウディ・アレン、バーブラ・ストライサンド、フェイ・ダナウェイといった錚々たるスターのマネージャーを勤めてきた人物であり、セルピコの物語に光るものを感じてピーター・マースの代理人にコンタクトをとったことが、この企画に参加するきっかけだった。

ブレグマンは『真夜中のカーボーイ』(1969年)でアカデミー賞を受賞したウォルド・ソルトを脚色に雇った。ソルトには赤狩り時代にブラックリストに載ってハリウッドを干された経験があり、セルピコに共感できる経歴の持ち主だった。

そしてブレグマンは、当時マネジメント契約を結んでいたアル・パチーノに主演を勧めた。パチーノはソルトの脚本の出来が良くないと感じていたが、セルピコ本人との面談の場が設けられた際にこの役を演じることに決めた。

監督には、後に『ロッキー』(1976年)でアカデミー賞を受賞するジョン・G・アヴィルドセンが雇われた。当時のアヴィルドセンは、超低予算映画『ジョー』(1970年)のヒットで注目されたばかりの気鋭の若手監督だった。

アヴィルドセンもまたソルトの脚本を気に入らず、『ジョー』でも組んだ脚本家ノーマン・ウェクスラーによる書き直しを条件とした。

そうこうしているうちにアル・パチーノは『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974年)への関与も必要となり、本作に取り組む時間は短くなっていった。

加えてアヴィルドセンとブレグマンの意見の相違も目立ってきた。アヴィルドセンは社会派ドラマとして作ろうとしていたのに対して、ブレグマンはセルピコ個人にスポットを当てた人間ドラマにしたがっていたのだ。

アヴィルドセンは、事あるごとに「だったら辞めるぞ」と言ってブレグマンを脅すようになり、両者の関係は悪化。

社会人として言わせてもらうと、意見相違の際に「もうやらない」「辞める」と相手を脅して自分の意見を押し通そうとする奴は、本当にロクなもんじゃない。仕事場でそういう人間に当たってしまったことが一度だけあるけど、社会人人生で最悪の経験だった。

そしてある会議でのこと。実際のセルピコの両親の家での撮影を強く希望するアヴィルドセンに対し、ブレグマンは「ただでさえ厳しい状況で、そんな効率の悪いことなんてやっていられない」として却下。両者の緊張関係はピークに達し、その会議の場でラウレンティスはアヴィルドセンの解雇を決定した。

なおアヴィルドセン側の言い分だと、当時のブレグマンの恋人だった女優コーネリア・シャープの起用を拒否したことが、解雇の原因であるとのこと。

シャープはセルピコの最初の彼女役で出演しているのだが、確かに彼女の出演しているパートはあってもなくてもいいようなものだったので(日曜洋画劇場では出演場面全カット)、これを拒んだアヴィルドセンの判断はあながち間違ってもいなかったと思う。

なおフランク・セルピコ本人はアヴィルドセンの方針を支持しており、その解任を批判した。本作をきっかけとしたセルピコとアビルドセンの友人関係はその後も続き、80年代には不動産を共同所有するほどの仲になっていた。

シドニー・ルメット監督が突貫で撮影

当時気鋭の監督だったアヴィルドセンが切られた後には、抜群の安定感を持つベテラン シドニー・ルメットが雇われた。正反対の人事である。

ルメットはニューヨークを舞台にした社会派作品を多く手掛けてきた監督で、この企画との親和性が髙かったうえに、確実な実績を持っているのでタイトな製作スケジュールにも対応できると考えられたのだ。

ルメットはノーマン・ウェクスラーによる脚本の改訂を支持しつつも、依然としてセリフが弱いことを気にしており、かと言って書き直している時間もないので、俳優によるアドリブを全面的に認めることにした。

俳優たちはソルト版とウェクスラー版の両方の脚本を持ち、どちらか良い方のセリフを使うというスタイルで対応するようになった。

土地勘のあるルメットはロケ地などをテキパキとまとめていったが、それでも104もの撮影地を次々に移動しなければならないし、セリフを話すキャラクターに至っては107人もいて、これらを仕切ることは肉体的にも精神的にもかなりハードだった。

そして『ゴッドファーザー』(1972年)のゆっくりとした製作ペースに馴染んでいたアル・パチーノは、別々の場所で3つのチームを同時に動かし、1テイクを撮るとすぐに次の撮影現場に移るというルメットの異常なペースに面食らった。

なお、フランク・セルピコ本人は撮影現場に張り付くことを希望していたが、ルメットとブレグマンは俳優の気が散らされることを懸念し、セルピコにはセットに近寄らないよう要求した。

実際のところ、事実を改変した部分も少なからずあったようで、本人に「そんなことはなかった」と現場で口出しされて撮影が止まるような事態になっては困るという、製作サイドの事情の多分にあったのだろうと思うが。

優秀なスタッフが無茶な現場をサポート

撮影は1973年7月に開始されたが、同年12月公開は決まっており、実質的な製作期間は4カ月半でポストプロダクションにかける時間がない。

そこで撮影されたフィルムはすぐに編集部門に送られ、編集作業を終えたフィルムはすぐに音響部門に送られるという流れ作業が組まれた。

編集に与えられた作業時間は1ターム48時間という厳しいスケジュールだったが、『ハスラー』(1961年)や『俺たちに明日はない』(1967年)の名編集者デデ・アレンは、見事これをやりきった。

そしてルメットは音楽を使わないつもりでいたのだが、ラウレンティスが劇判を付けるべきだという考えを持っていることを知るや、勝手に決められる前に自分で作曲家を選ぶことにした。

ちょうどそのタイミングで、『その男ゾルバ』(1964年)や『Z』(1969年)で知られるギリシア人作曲家ミキス・テオドラキスが娑婆に出てきたことを知る。

テオドラキスはギリシアにおける20世紀最大の音楽家と評される人物だが、左派政治家としても活動し、1967年の軍事クーデターに反抗して逮捕されていた。

セルピコ本人以上にセルピコな経歴を持つテオドラキスはこの作品にうってつけの人物であるとのことでルメットはさっそく作曲を依頼し、テオドラキスはすぐにNYに飛んできてくれた。

大ヒット&高評価を獲得

このような強行軍で製作された本作だが、公開されるや大ヒットとなった。興行成績は2980万ドルで、1973年に公開されたすべての映画の中で11位という輝かしい成績。

また批評家からも好評を持って受け入れられ、ゴールデングローブ賞ではアル・パチーノが主演男優賞を受賞。またアカデミー賞でも主演男優賞と脚色賞の主要2部門でノミネートされた。

感想

題材は良いけどやや単調

長年気になっていたけど、なぜか一度も見ずに来た映画。

月末で消滅する楽天ポイントが1500円分あって、何か買い物しなきゃと思ってた時に本作を思い出して、楽天ブックスでBlu-rayを購入した。

ようやっと名作を鑑賞できることにテンションが上がったけど、アル・パチーノがアパートの前で子犬を買う場面が私の記憶に残っていて、実は見たことがあったということを思い出した。って、どんなやねん。

そんな私の微妙な記憶が示す通り、私の中では本作の評価はさほど高くない。

で、今回あらためて見返しても、やはり微妙だった。

こんな刑事がいたという実話は面白いし、アル・パチーノは確かに熱演だ。

ただし社会派作品としての山場を作り切れておらず、2時間強の上映時間が単調に過ぎ去ったという印象。

また実際の事件発生からタイムリー過ぎたことの弊害か、悪の掘り下げが足りていないようにも感じた。

特に「告発するする詐欺」をしていた連中の背景がさっぱり分からないのだが、セルピコと同じ目的意識を持ちながらもその実現ができなかった彼らは、目的を貫徹したセルピコとの対比で重要な存在だったはず。

その他、事実の再現にこだわり過ぎてセルピコが転属しすぎだったり(勤務する署をひとつに絞るという脚色でも良かったのでは?)、2人登場するセルピコの彼女のうち一人目は全くの不要だったりと(日曜洋画劇場では登場場面全カット)、主題から考えた時に必要とは思えない枝葉も多かったように思う。

というわけで世評に逆らい私の印象は芳しくなく、ここからは映画の感想というよりも、映画を見て考えたことをつらつらと書いていきたいと思う。

個人を不正に巻き込むスキーム

NY市警の警官達がこうも汚職まみれになってしまったのって、ほんの些細な不正を受け入れ続けたことの積み重ねだろう。

不正に対して違和感を持ち続けたセルピコのドラマから逆説的に描かれるのだけど、それは食堂のおやじからサンドウィッチを奢られることから始まった。

セルピコは「自分には奢ってもらう理由がない。金なら払う」と言って抵抗するんだけど、先輩警官は「いいから素直にご馳走になっとけ」と言う。

サンドウィッチひとつなら後日大問題になるなんてことは考えられないし、頑張って警察官になったことで得られた役得の範囲内で内面を処理できる。私だってその立場なら素直に奢られるかもしれない。

次に来たのは賄賂なのだが、これも300ドルという少額だ。この金額なら巨大な不正への関与を疑われる心配はないだろう。

しかも署内で複数人に対して同時に配られているものなので、もしも後に何かあっても、「みんな受け取っていました」「私はどういうものか知りませんでした」と言って逃げられそうだ。

なので「この程度でガミガミ騒ぐよりも、素直に受け取ってうまいものでも食いに行くか」になってしまう。

そうして一度受け取ってしまえば二度目三度目と続いていき、累積で見ると結構な金額になってしまうので、そのうち後戻りできなくなる。

そこから先に控えているのは本格的な汚職で、街の犯罪者をゆすって集金し、組織的に資金をプールして全員で分配するという闇のスキームの当事者となる。もはや立派な犯罪グループだ。

『トレーニング・デイ』(2001年)のように、初日からいきなり巨悪の片棒を担がされれば誰だって抵抗するだろうが、サンドウィッチの件とか300ドルの件とかで徐々に慣らされた後だと心理的ハードルが下がっているし、これまでのことを振り返ると今さら正義を主張しても手遅れだということになり、気が付けば汚職街道まっしぐら。

セルピコとコンビを組む汚職警官の一人が、「俺だって何やってんだかと思うことはあるよ」と吐露する場面もあり、一人一人は悪人ではないということが分かる。

問題は、本来善良だった警察官たちを堕落させ、汚職に絡めとる周到なスキームの存在であることが提示される。

見過ごしてしまう奴らが一番悪い

そのスキームの確立に一役買ったのが、チェック機関が有効に機能しなかったということだ。

もしも彼らがちゃんと仕事をしていれば、多くの警察官は「そんなことをすれば大変なことになる」と言って軽微な不正にも手を染めなかったはずだ。

劇中、不正を告発したいセルピコは何人もの協力者にアプローチする。

会う人会う人、表面的には良いことを言ってくれるのだが、後日のアクションが伴わない。結果、「告発するする詐欺」のようになってしまうのだが、ここから分かるのは、告発を止めようとする者がチェックプロセスのどこかに挟まっているということだ。

本来、不正を止めねばならない側に、警察と馴れ合って事態を有耶無耶にしたがっている者がいる。

これこそが真の悪だと思うんだけど、本作はそこに迫り切れていないので、社会派映画としては何とも中途半端なところで終わっている。

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